トピックス 5

講演会「ミュージアムのジレンマ──収集、展示、マスメディア」

日時・会場:

    2015年10月28日(水)14:00-16:30

    国立西洋美術館講堂

発表者:

  • エドマンド・ウォーレン・ペリー・Jr.(ペリー演劇図書館館長、元スミソニアン協会ナショナル・ポートレート・ギャラリー研究員)
    「ミュージアム、モニュメント、そして混乱―アメリカの文化展示とメモリアル」
  • シャノン・ケネディ・ペリー(テネシー大学附属マクラング自然史博物館、コレクション・マネージャー)
    「寄贈のジレンマ、化石、銃器──収拾のつかない収集について」

企画・モデレーター:横山佐紀(国立西洋美術館)
主催:国立西洋美術館
後援:全日本博物館学会、文化資源学会
助成:アメリカ大使館


「展覧会」が常に賛辞と共に閉幕を迎えるわけではなく、時に異なる価値観が露わとなる葛藤と論争の場へと変容し得ることは、1989年のコーコラン・ギャラリーでのロバート・メイプルソープ展の中止を見聞きしている私たちにはなじみの事実であるかもしれない。その一方で、ミュージアムが抱える葛藤は展覧会のみに表れるのではなく、その基盤たる収集という行為にすでに含まれてもいる。たとえば、あらゆるミュージアムにとって一般市民から寄贈者までを含む「支援者」との関係を維持することはきわめて重要だが、彼らの善意の寄贈行為/寄贈品は、時にミュージアムにジレンマと混乱をもたらす。キュレーションが注目を集める現在、わたしたちは社会との関係においてミュージアムがどのような矛盾や葛藤を含みうるのかについて思考をめぐらせる機会をあまりにも逸しているのではないか。本講演会はこういった問題意識のもと、ミュージアムが抱える「ジレンマ」を全体のテーマとし、アメリカからふたりの専門家を迎えて、展示、収集、マスメディアの切り口から迫った。

エドムンド・ウォーレン・ペリー・Jr. 氏の報告は、館の意に反して大きな論争を招くことになった『HIDE/SEEK』展(2010年10月〜2011年2月、スミソニアン協会ナショナル・ポートレート・ギャラリー、以下NPG)の経緯を、インサイダーの視点から論じたものであった。アメリカの社会や美術におけるセクシュアリティを問い直す『HIDE/SEEK』展は、アンディ・ウォーホルを含む105点の作品から構成されていたが、デイヴィッド・ウォジェローヴィッチ(David Wojnarowicz)による、磔刑像をアリが這いまわるビデオ作品“A Fire in My Belly”がキリスト教右派の反発を買い、NPGは作品の撤去を決定、これに続いたのは、左派からのNPGとスミソニアンへの批判、左派・右派双方の市民による抗議活動(それは展示室内でも展開された)、ウォーホル財団やメープルソープ財団からの展覧会への助成金引き上げの申し入れ、他の出品作家からの作品取り下げの要求、そして左右に挟まれ対応に追われたNPG側の果てしない疲弊と釈明の徒労である。ペリー氏の指摘で興味深かったのは、左右を問わず「資金」が主張を通すための材料となったこと、作品の撤去によって没後20年を経たこのアーチストが脚光を浴び再評価の機運が高まったこと、そしてインターネットというメディアが左右の議論を瞬く間に増幅させたことである。アメリカにおける宗教とミュージアム(展示)をめぐる問題は、今後さらに検討されるべき視角であろう。ほかにも、現代アメリカにおける南軍旗やそのデザインの使用に関する問題や、KKKに関与し南北戦争中には虐殺に近い戦闘を行った南軍の将軍の銅像をめぐる問題にも議論が及び、「展示」=public displayが、多様な価値観を抱えるコミュニティの裂け目を露わにしかねないことが改めて浮き彫りにされたように思う。

一方、シャノン・ケネディ・ペリー氏は、ミュージアムの収集方針が明確ではない場合、寄贈がコレクションにどのような混乱やジレンマをもたらしうるのかをテネシー大学マクラング自然史博物館の生々しい事例から明らかにした。マクラング自然史博物館のコレクションは、博物館として開館する以前からすでに篤志家たちによってテネシー大学に寄贈されていた様々なモノ―ニューディール期のテネシー川流域開発公社(TVA)によって発掘された考古学資料、卒業生の第二次世界大戦関連の品々、豊かな一族が集めた(本物だと彼らが信じていた)アンティーク家具、農具などなど―を引き継いだまさに「収拾のつかない収集」であり、収蔵の経緯が不明なもの、寄贈者の名前が判明していないもの、所有権の所在が明確ではないものが数多く含まれる。度重なる善意の寄贈と館の受け入れ方針の曖昧さが生んだこの混乱を整理するために、同館では1994年に収集方針を打ち立てて収蔵品を整理し、学内での新たな活用方法を見出すと同時に、寄贈の申し出を断り、より適切な他の受け入れ先を提案することを検討しているという。コレクションとはミュージアムのアイデンティティそのものであるが、その構築は、レジストラー(コレクション・マネージャー)の仕事があってこそである。「ミュージアムにレジストラーは不可欠である」という実に基本的な事実が日本で充分に認識されていないことを、再確認させられる内容であった。

短い時間ではあったが、ディスカッションでは熱心な質疑が行われ、ミュージアムと社会の関係を再考する非常に充実した会となった。企画者として、このような場を引き続き設けていきたいと考えている。(横山佐紀)