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アニメ国際シンポジウム
「日本アニメの歴史と現在」
日時・会場:
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2015年10月3日(土)
和洋女子大学
研究発表分科会I「アニメーションの制作現場から」
- 発表者:大平晋也(名古屋造形大学、アニメーター)、崎山北斗(名古屋造形大学、アニメーター)、大塚学(MAPPA)、櫻井圭記(Production I.G、アニメーション脚本家)
- 司会:山本正英(名古屋造形大学)
研究発表分科会II「アニメーション研究の立場から」
- 発表者:岩下裕一(和洋女子大学)、辻伸也(スタジオきんぎょ、アニメーター)、三浦俊彦(東京大学)、丸山正雄(MAPPA)
- 司会:小澤京子(和洋女子大学)
基調講演
- 杉井ギサブロー(アニメーション監督)「メディアの変革期への挑戦――TV アニメ『鉄腕アトム』の誕生」
パネルディスカッション「世界各国のアニメと日本アニメの受容」
- パネリスト:エドワード・ファウラー(カリフォルニア大学アーヴァイン校名誉教授)、呉讃旭(明知大学校)、陳明姿(台湾大学)、秦剛(北京外国語大学)
- コメンテーター:中村威久水(和洋女子大学)、佐藤淳一(和洋女子大学)
主催:和洋女子大学、和洋女子大学日本文学文化学会
後援:国際交流基金
○シンポジウムの趣旨
このシンポジウムは、いわゆる「アニメ」(≒日本の商業アニメーション)と呼ばれるものを主対象とし、その変遷史を縦糸、各地域における受容とリアクションの状況を緯糸として結び合わせることで、現在の状況を浮かび上がらせようとしたものである。
シンポジウムが開催された2015年当時、「アニメ」がサブカルチャーとしてのポテンシャルを内在させていた(あるいはそう信じられてきた)時代は過ぎ、少なくとも日本国内の受容に関しては、ポピュラー・カルチャーないしマス・カルチャーに揺るぎない地位を占めていると言ってよいだろう。いまや「アニメ」は政府によって、「国策」としての「クール・ジャパン」の目玉――輸出市場戦略とナショナル・プライド高揚のための一大「コンテンツ」――に据えられるほどだ。同時に、欧米での日本アニメ市場はすでに衰退期にあるという話もしばしば耳にする。学術研究の領野に目を移せば、アニメーション一般についても日本の「アニメ」についても、すでに様々なアプローチによる研究が、国内でも海外でも相当に蓄積されてきている(その状況と研究動向の前線を紹介したものとして、例えば表象文化論学会学会誌『表象』第7号「特集:アニメーションのマルチ・ユニヴァース」や、その連動企画である『REPRE』第18号の小特集「アニメーションの生態学」がある)。かかる現状と問題意識を踏まえつつ、現在手元にあるリソースを総動員し、「アニメ」と呼ばれるものを、過去から将来の展望に至るまで、「制作の現場からの証言」、「他者の文化の受容とその領有・変容のあり方の調査・研究」、「作品に関する歴史研究、ないしは理論的な分析」という多角的な観点とアプローチから複数の声が語る場を共有することによって、現在の「布置」を恊働作業で描き出す試み――本シンポジウムの趣旨と意義を概括するならば、このようなものになるだろう。
○当日の概要
【研究発表】
午前中には口頭発表の場として、二つの分科会が設けられた。
分科会「アニメーションの制作現場から」は、実際にアニメーション制作の第一線を担っている実務家たちが、自身の活動を語るものである。報告者は他方の分科会の司会を担当しておりこの分科会には参加できなかったため、以下は事前に徴求した発表要旨に基づく報告である。大平晋也氏と崎山北斗氏は共同で、商業アニメーションにおけるアニメーターの関与の仕方と作業プロセスを、具体的な素材を挙げつつ解き明かす。次いで制作会社MAPPAのプロデューサーである大塚学氏が、制作におけるプロデューサーの役割について説明した。アニメーション脚本家であり批評家としても活躍する櫻井圭記氏は、この二つの活動の共通点を、創造性と批評性という二点から、具体的な作品分析にも触れつつ明示してみせる。
一方、「アニメーション研究の立場から」と題された分科会では、「アニメ」の前史と来歴、国際的な受容および市場の変化と現状、および作品解釈の方法論が示された。日本語を対象とする言語学研究者の岩下裕一氏は、自身の受容経験から出発しながら、手塚治虫登場までは「漫画映画」と呼ばれていた「アニメ」とマンガ、さらには紙芝居や絵物語との共通点と相違点を、図像と言語表現の関係という視座から解き明かしてみせた。岩下氏の発表は、その後の丸山正雄氏による分科会発表や杉井ギサブロー氏の基調講演とも同時代の事象を扱うものであった。この三者が同じシンポジウムの場を共有することで、「漫画映画」から「アニメ」への転換がなされた時代の様相を、受容と制作の両面から立体的に浮かび上がらせることに成功したと言えるだろう。
アニメーション制作者であり、大学や自身が興したアニメスクールで後進の育成にも携わる辻伸也氏は、6年間のヨーロッパ滞在で経験した「日本アニメ」をめぐる状況について、具体的なエピソードや数字を挙げつつ発表した。欧米での日本アニメ人気は2000年代前半に絶頂期を迎えるが、現在の市場規模は縮小している(米国では2002年には4億ドルあった市場が、2012年には2億ドルへ半減したという)。かつての日本アニメブームは、欧州では未だ根強い「アニメやマンガは子供向けのもの」という風潮と合致する作品(例えば『ポケットモンスター』)、あるいは「ニンジャ」やカンフー映画といった、「ニッポン」ないし「東アジア」のステレオタイプと結びついた人気モティーフの登場する作品(例えば『NARUTO』や『ドラゴンボール』)の大ヒットに支えられていた。マンガ人気を基盤とする「マンガ原作アニメ」が毎年大量に制作され、また大人向けのアニメ市場も堅固な日本と比べて、欧米では成人向け市場のポテンシャルは僅少である。「海外進出」を志向するならば、受容層の予備知識を考慮した上で(例えば欧州では幼少時に『鉄腕アトム』を見るような土壌が無いため、ロボットアニメは受けが悪いそうだ)、「理解しやすい」設定を考える戦略が必要であると辻氏は説く。
続いて分析哲学・論理学の研究者である三浦俊彦氏による、『エンドレスエイト』(2009年のテレビアニメシリーズ『涼宮ハルヒの憂鬱』第12-19話で放映)の作品分析が行なわれた。これまでのアニメーション研究の潮流は、制度分析(「オタク論」の系譜も含めたファンダム研究、市場や「商品経済」の側面に注目した研究、異文化圏における受容研究など)と作品分析、およびその両者における歴史研究に大別できるように思われる。そして作品分析においては、文学や絵画、あるいは映画研究の方法論をアニメーションに「援用」したに過ぎないものが、従来は多かったのではないだろうか。論理学をベースに、『エンドレスエイト』を「コンセプチュアル・アート」という範疇として捉えた上で、その「失敗」の原因を内在的に分析しようとした本発表は、個別のアニメーション作品の特質に即した、新たなアプローチの可能性を示唆したものといえるだろう。
この分科会の最後の話者は丸山正雄氏、手塚治虫の創設した虫プロダクションに1960年代半ばから入社し、その後マッド・ハウスを立ち上げて数々のアニメ作品を世に放ってきた、いわば時代の生き証人である。現在、アニメ制作会社MAPPAの代表を務める丸山氏は、テレビアニメ『鉄腕アトム』により達成された一種のパラダイム・シフト――映画の文法に則って制作されていた「漫画映画」から、テレビ放映スケジュールに合わせたリミテッド・アニメーションへ――から語り興し、その後の日本での「アニメ」興隆は、コミック文化の多様性と質の厚さに支えられていたことを指摘する。近年の米国が生んだ二大ヒット映画『ベイマックス』と『スターウォーズ』は、氏によれば日本アニメの特徴を巧みに導入している。「日本で『ベイマックス』のようなアニメを制作できる状況を作り出すには、どうすればよいのか」と自問する丸山氏は、アニメの真髄は「アニメとして面白い動きを創出すること」、すなわちモノの動かし方のタイミングや「間隔」の作り方にあると締めくくった。
【基調講演】
杉井ギサブロー氏の基調講演は、日本のアニメーション史における、メディアの態様そのものの二大転換期を取り上げたものであった。東映動画を経て虫プロダクションに入社した氏は、日本初の本格的なテレビ放映アニメーション(=「アニメ」)である『鉄腕アトム』(放映1963-66年)の制作に関わる。当時の東映動画はディズニー方式を導入し、分業制で劇場向けのフル・アニメーションを制作していたが、手塚治虫は「アトム」のTVシリーズ放映に際して、後にリミテッド・アニメーションと名付けられる新機軸を考え出した。一秒間のコマ数をフィルム映画と同様の24コマ(=フル・アニメーション方式)から12コマへと減らすことによって、作画作業を合理化するというものである。杉井氏は、この『鉄腕アトム』が有した「新しさ」の本質を、「テレビ向き」であったことに見出す。従来のフル・アニメは劇場用に作られてきたが、当時の日本はちょうど東京オリンピックを契機として、一般家庭にテレビが普及し始めた時代だった。つまり手塚には、「媒体の特色を見極める」炯眼があったと氏は言う。また手塚は、劇場のスクリーンよりテレビの方が、主たる視聴者の子供にとっては「マンガに近い」メディアであり、週刊誌連載のマンガと同じように見てくれるのではないか、と考えていたという(これは裏を返せば、劇場用には媒体の特質上フル・アニメが要請される、ということでもある)。手塚は「運動」をデザインとして捉えており、これは運動によって質感や量感まで表現しようとするディズニー式のリアリズムとは対極的なものであった。運動をいわば記号化・象徴化する手塚のこの発想は、「動き」の伝達性を根本から変えた、と杉井氏は規定する。技法が作品に先行していた「アトム以前」の時代に対して、「アトム以後」は素材に適したアニメ技法を選択できるようになり、そのためアニメ化できない作品は無いと言えるくらいになったという。
このリミテッド・アニメという画期的な発想は、時間的コストを圧縮することで「毎週テレビ放映」というスケジュールへの対応を可能としただけでなく、予算の大幅削減ももたらした。これを杉井氏は「1/30の合理化」と名付けている。「アトム」がもたらしたこの「転回」により、以降日本ではアニメの産業化が一気に進展した。
アニメに「マンガ性」を導入することで新時代を切り開いた手塚は、またマンガに映画性を導入した人物でもあったという(後の日本でのハリウッド映画ブームを予言していたかのように)。杉井氏は手塚を、時代の性質を画するメディアの固有性を、看破する才能があった人物と結論づける。
そして二度目の変革期とは、まさに現在、インターネットの時代である。かつて劇場映画からテレビへとメディアのシフトが起きたように、インターネットはこれからの映像にとって主要な媒体となるはずだ、と氏は言う。例えば、運動性を伝達する「言語」のあり方は、劇場のスクリーン、テレビ、PCのモニタ、スマートフォンやタブレットの液晶ではそれぞれ異なってくるはずだ。それでは、このインターネットという媒体の特質とは何か、それを捕捉した映像作品にはどのようなものがありうるのか――そう杉井氏は問い、その答えを探ることは、聴衆である若い世代に委ねられている、と講演を締めくくった。
産業としての「アニメ」を支える経済的な側面にも目を配りつつ、メディウムの固有性と「運動」の伝達方法との関係を、エポックメイキングな具体的作例を示しつつ明快に説く杉井氏の講演は、非常に刺激的であり、示唆に富んだものであった。
【パネルディスカッション】
パネリストの四名とも研究者としての基盤は比較文学・比較文化に置いているが、出身はアメリカ合衆国、韓国、台湾、中国と多様である。このパネルディスカッションでは、それぞれの国での「アニメ」受容史がテーマとなった。この討議の場を通して明らかになったのは、「アニメ」との邂逅に際しては、一方的かつ受動的なreceptionではなく、相互作用的ないしは二次創作的なinteractivityが作用しているという、四カ国の共通項である。
カルフォルニア大学アーヴァイン校で長年教鞭を取ってきたE. ファウラー氏は、担当講義のシラバスや、ファンカルチャーについてのオンライン記事といった具体例を提示しつつ、アメリカ合衆国における「アニメ」の受容のあり方を示した。氏が強調するのは、米国において「アニメ」とは特定の企業による「商品」というよりも、むしろファンの共同体を醸成する媒質であること、また受容に際しては、例えば『ASTRO BOY(鉄腕アトム)』米国放映時の主題歌の英語版ヴォーカルへの吹替えや『SAMURAI CHAMPLOO(サムライチャンプルー)』オープニング画面への大量の字幕挿入といった、インタラクティヴな契機が存在していることである。
呉讃旭氏の発表は、アンケートや統計調査に基づく詳細な資料に則り、韓国での日本アニメの受容史と、韓国におけるアニメ制作の変遷史を、産業の国際的な構造や国家の外交政策との関連を示しつつ辿るものであった。1960-70年代にかけ、日本や米国からセル画の彩色を請け負っていた韓国は、70年代半ばから80年代半ばまで、下請けした日本のアニメを国内用に作り替えて放映していたという。しかし1988年のソウル・オリンピックの前後から、「産業」としてのアニメの可能性が認識され、政府が国産アニメ制作を支援するようになる。大学のアニメーション関連学科設立の気運や映像産業振興法成立(1995年)などを受け、2000年代からは創作アニメが本格化(対して90年代の全盛期には視聴率40%に達したこともある日本のアニメは、メディアが地上波からケーブルTVへと移行したこともあり、「サブカルチャー」化しているとのこと)、2010年代からは海外進出を企図しアメリカからも人材を招聘、どの文化圏でも受け入れられるような「標準化」を進めているという。氏の発表からは、一国のアニメ作品史における変遷が、国際関係や政策、国内外の産業・市場の動向にも大きく依拠していることが浮彫りになった。
続いて陳明姿氏は、台湾における日本アニメの受容のあり方を、特徴的な幾つかの事例を挙げつつ報告した。ここで明らかになったのは、台湾で人気を博す日本アニメは、当地の文化的伝統や受容層の心性、社会的需要に適合的な要素を持っていること(例えば『千と千尋の神隠し』の龍神の造形や台湾の九份と似た街並、少女たちの自己投影を誘うヒロイン像)、また大ヒットした日本アニメ作品を元に、よりローカライズされた作品がいわば二次創作的に作られ、新たなヒットを生み出していることである(例えば『花より男子』の舞台を台湾に移し、登場人物名や風俗も台湾風に改変した実写ドラマ『流星花園』)。1990年代から台湾に流入した日本のアニメは、台湾式に適宜変形・翻訳されつつ、子供や若者ばかりでなく成人層にも受容され(これは、午前中の分科会発表で辻伸也氏が指摘した欧州の状況とは対照的だ)、現在では台湾の文化や社会に大きな影響を与えている、と陳氏は締めくくる。
最後のスピーカーである秦剛氏は、「西遊記(孫悟空)」をモティーフとした中国アニメの系譜が辿った変容を示し、そこには時代毎に異なる心性や欲望、政治性が反映されていることを剔抉してみせた。氏はまず2015年公開の大ヒット作『西遊記之大聖帰来(Monkey King: Hero is Back)』の孫悟空像(ニヒルな壮年のヒーローで10頭身ほどある)を示し、これとは対照的に、中国初の長編アニメ『鉄扇公主』(1941年)に登場した孫悟空は、ディズニーの影響が強く、またスーパー・ヒーローにはほど遠いコミカルな造形であったと説く。しかし1960年前後の同主題アニメ(『火焔山』1958年、『大鬧天宮』1961年)になると、ディズニー色の払拭と中国の「伝統的」モティーフ(京劇、民族音楽、赤と黄の配色)の多用が顕著となる。秦氏の指摘によれば、この「孫悟空の中国化」は、当時の中国の国家レベルでの政治的傾向とも合致するものであった。時代毎に異なる敵の造形(例えば2015年の最新作では「意思疎通のできない巨悪」として描かれる)は、「他者」の表象における時代状況の反映として読み解くことが可能であり、また孫悟空の「戦う理由」も、時代に伴い変遷している(かつて濃厚だった仏教色は現在では皆無)旨を氏は指摘する。
各パネリストの熱のこもった発表により、共同討議の時間は僅かとなったが、いずれの国・地域でも、日本アニメの受容が、それぞれの文化、社会、政治、産業経済といった様々な要因と結びつきつつ、いわば変形や加工や翻訳のプロセスを経て、混淆的でありつつ固有でもある「アニメ文化」の醸成をもたらしたことが、共通認識として確認された。
なお、このシンポジウムの基調講演者・登壇者を招聘するにあたり、津堅信之氏(京都精華大学)と山本正英氏(名古屋造形大学)に多大なご尽力を頂いた。ここに改めて感謝の意を記したい。(小澤京子)