研究ノート 積島直人

大友良英の「アンサンブルズ」と高柳昌行の「汎音楽」の位相
積島直人

音楽家大友良英が2011年の東日本大震災以降、積極的に取り組んでいる活動に「アンサンブルズ」というものがある。「アンサンブルズ」とは、主に大友の展示作品や、プロフェッショナル、アマチュアを問わない不特定多数の演奏者による集団即興演奏のプロジェクトに対して冠せられているもので、その中で行われている指揮法などの具体的な部分は、大友がローレンス・D・”ブッチ”・モリスやジョン・ゾーンらとの邂逅を経て編み出した即興演奏のメソッドに準拠している。また幾人かのプロフェッショナルなミュージシャンが演奏の土台作りに参加するという点において、大友が1990年代から培ってきたもの(演奏法、人的ネットワーク)の延長線上にあり、その意味においては東日本大震災以降に活発化するという言い方は正確ではないかもしれない。にも関わらずそのような書き方をしたのは、現在行われている「アンサンブルズ」の企図するものの変容からである。大友の直近の音楽観を端的に表す言葉として、2014年に行われたRed Bull Music Academy Tokyo のトレイラー映像に織り込まれた文章を引用してみる。

「きっかけを作るのがオレの作曲。現場で音が生き生きと響けば、自分が作ったことなんてどうでもよくなる。」

この発言に集約されているように、現在の「アンサンブルズ」(=アンサンブルの複数形)はそれによって音を出し、一つの音楽(あるいは音楽的な空間)を素描し、それによってできた複数のネットワークが日本のみならずアジア各地へと展開し、新しい連帯を志向するというものである。すなわち「アンサンブルズ」の鳴らす音、ひいては「アンサンブルズ」そのものが(いささか陳腐な言い方をしてしまうならば)何かの目的ではなく手段として機能しているように見えるのである。大友は、かねてより「音楽は無力であるべき」という一つの音楽観を持って活動してきた。その大友が上述したように、目的から手段へと移行する契機は、2011年の東日本大震災をきっかけに「文化の役目」という新たなスローガンを標榜してゆく経緯と基本的に同期している。だとすれば、「アンサンブルズ」と「アンサンブルズ」によって展開されていくものに対してどのような仕方で把握と分析が可能であろうか。一つはやはり素直に社会的な運動という文脈からとらえることが挙げられるだろう。しかしながら筆者は今一度それを音楽家の作家論という文脈から捉えてみたいと考えている。それにおそらく鍵となるのは大友がかつて師事していたジャズギタリスト高柳昌行の「汎音楽」という概念とそれに付随する言説である。クール派のジャズを出発点とし、晩年には様々なエレクトロニクスを使用したノイズ的音響へのアプローチへ至ったギタリスト高柳は演奏活動と同時に膨大な量のテクストも執筆し、現在その大部分は『汎音楽論集』(2006)としてまとめられている。

「僕はよく < 汎音楽人>という言葉を使います。演奏者、聴取者、産業側の三位一体が同一レベルで成され、且つ、未来を十分に志向している場合、すでに個別の名称は不要であり、その実体は統合的に音楽家そのものであると考えられるからです。誤解のないように言っておけば、同一レベルとは遥かな《高み》に達する、あるいは達しつつあることの意で、人間レベルを指しています。」(高柳 1975)

以上のような高柳の「汎音楽」にまつわる理念を、評論家北里義之は「七〇年代の[……]『ポスト post』という接頭辞への対抗概念として機能した側面を持っている。」(北里 2007)と指摘する。この指摘をそのまま受け取るならば、高柳がこのような思想に至るには時代との相互作用があったからであるとも言える。高柳の録音作品で、特にクール派からノイズ的音響(あるいは「汎音楽的なもの」)へと至る過渡期のものはほとんど残されていないものの、彼自身の論集からは「汎音楽」へと至る思考の展開を追っていくことは可能である。『スイングジャーナル』の1959年9月号にはその発端とも取れる短い文章が掲載されている。

「近況 長年にわたって勉強してきた結果、自分なりの思想を持つにいたり喜んでいます。正しい思想は世界に一つしかないことが実証と理論的裏付けを持って理解出来つつあります。何より嬉しいことです。[……]
抱負 惰弱な自分に強烈な自己批判を加え、十数年後に起こるであろう思想戦にたえうる人間に革命していきます。」(高柳 1959)

大友は20代前半から数年ほど高柳に師事し、彼の使う機材などのメンテナンス等も一手に引き受けていたが、最終的に喧嘩別れのようにして師弟関係を解消し、本格的に自身の音楽活動を始めたという経緯がある。改めて言うまでもないが、大友の「アンサンブルズ」が高柳の「汎音楽」に単純に相当するということではない。ここで注目したいのは「音楽は無力」というから東日本大震災を経て「文化の役目」へと至る大友の時代背景と、「ポスト」への対抗軸として「汎音楽」へと至る1970年代の高柳の時代背景、ひいては「自分が作ったことなんてどうでもよくなる(大友)」と「遥かな《高み》に達する(高柳)」の縦横にねじれた師弟の位相関係である。

大友の音楽動向に関する研究は筆者の修士課程からのテーマであるが、震災を契機とした大友の活動の展開が「転向」なのか「発展」なのかという問題に十分踏み込んだ議論ができなかった。特に高柳との師弟関係に関しては通時的な人的関係としての記述にとどめるのみで、主に大友の共時代的な部分にフォーカスを当てていた。現在筆者が取り組んでいることは、高柳の思考の痕跡を丁寧に読み込み、「汎音楽」というフレームワークから、再度大友の「アンサンブルズ」を眺め、大友が高柳の何を受け取り何を捨象したかを考察することである。こうすることで震災以降の「アンサンブルズ」が持つ脈動を、音楽的な文脈から分析可能になるのではないかと考えている。

積島直人(青山学院大学)