第10回研究発表集会報告 | ワークショップ「アンドレ・バザンの現在」 |
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2015年11月7日(土) 13:30-15:30
東京大学駒場キャンパス21KOMCEE(East 2F-212)
ワークショップ:「アンドレ・バザンの現在」
堀潤之(関西大学)
三浦哲哉(青山学院大学)
畠山宗明(聖学院大学)
伊津野知多(日本映画大学)
【司会】木下千花(首都大学東京)
「ヌーヴェル・ヴァーグの理論的父」として知られるアンドレ・バザン(1918-1958)は、120年ほどの映画の歴史のなかで最も影響力を持つ批評家である。1970年代の「政治的モダニズム」の季節にはナイーヴなリアリストとみなされ、批判あるいは「父殺し」の対象となったが、1990年代後半以降、映像理論の中心が精神分析からメディア論へと移り、現象学や認知科学への関心が強まるなか、フランスやアメリカで再評価が進んだ。日本でも2014年に主著『映画とは何か』の新訳(野崎歓・大原宣久・谷本道昭)が岩波文庫に加えられ、野崎のバザン論が上梓されたほか、三浦哲哉、岡田温司らの近年の映画論においてもバザンは中心的な位置を占めている。表象文化論学会では、15分程度のインフォーマルな発表をとおして問題提起を行い会場との質疑応答に重きを置く「ワークショップ」形式を取り、バザンのアクチュアリティを照射した。
ワークショップは、バザンの『オーソン・ウェルズ』(1950;インスクリプト、2015年12月)の翻訳を終えた堀潤之氏がバザンのテクストの出版の歴史を概観する「イントロダクション」で幕を開けた。『オーソン・ウェルズ』はバザン最初の著作であるにも拘わらず、1972年に出版された水増し再編集ヴァージョンが普及し、「増補改訂版」=決定版であるという誤った認識が広まることによって、皮肉にも幻の本となってしまったという。ジョナサン・ローゼンバウムによる英訳(名訳だが)で1972年版を読んでいた私などには耳の痛い話だ。『オーソン・ウェルズ』の運命はある意味でバザンの著作全体の縮図とも言えるだろう。バザンは生涯に2592篇もの記事・批評を出版したが、アクセスしやすい書物の形で触れることができるのは、多く見積もってもそのうち5%ほどに過ぎないという。私たちは本当にバザンを読んだと言えるのか、と堀氏は問いかける。フランスでは「バザン全集」の編纂が進み、英語でもダドリー・アンドリューらが「バザン・アーカイヴ」の発掘・出版に勤しんでおり、今後の展開が期待されるところだ。
堀氏の発表は、ウェルズ論の分析をとおしてバザンのリアリズム論を再考した。バザンのリアリズムについては、古典的デクパージュを廃した長回しとディープフォーカスによる連続した時空間が現実世界のような曖昧さを生み出す、という理解が一般的である。この理解を完全に覆す必要はないにせよ、堀氏による1950年版の綿密な検討をとおして、バザンがウェルズの過剰さやバロック性にも着目していたことが明らかになった。
『映画とは何か』と題したフランス映画理論史(筑摩書房、2014)のなかでバザンを論じた三浦哲哉氏は、バザンの「『田舎司祭の日記』とロベール・ブレッソンの文体論」から弁証法的あるいは逆説的なレトリックを抽出し、そこにリアリズム概念が自らを壊しつつ確立させる批評的実践を見出す。すなわち、『田舎司祭の日記』において白い画面に十字架の影が現れるショットについて「映像が取り除かれ文学にその場を明け渡したスクリーンは、映画的リアリズムの勝利を示している」(208)と書くような場合である。さらに、三浦氏は生物の「幼形成熟」のようなバザンの自然科学的な概念に注目し、翻案/脚色(アダプテーション)を進化論的な「適応」(アダプテーション)として捉え、映画と絵画や演劇、小説など他メディアとの関係のなかに生まれる「不純な映画」の称揚と結びつける。
堀氏と三浦氏がバザンの言説の内部における異種混淆性や逆説に着目することでリアリズム概念の可能性を開いてゆくとしたら、続く畠山宗明氏の発表は、教科書的な映画理論概説で常にバザンのリアリズム論と対置されるセルゲイ・エイゼンシュテインのモンタージュ論の再読を通して、バザン読解に新しい視座をもたらした。畠山氏は、堀氏がバザンについて行ったのと同様に、エイゼンシュテインのテクストに帰ってそのモンタージュ概念を再検討する必要性を指摘する。エイゼンシュテイン自身はモンタージュを統辞論的に捉えることはしておらず、むしろ同一ショット内の要素間の緊張、葛藤、衝突をモンタージュとみなしていた。さらに、『全線』の麦畑の例をとおして、ショットの持続のなかで「図」(ドミナント)と「地」(非ドミナント)を反転させることもまたエイゼンシュテインにとってはモンタージュだったことが示される。こうして長回し・ディープフォーカス/モンタージュ、リアリズム/フォーマリズム、という図式を越えて、バザンと共通する問題系が浮き彫りになった。
伊津野知多氏は、バザンの「写真映像の存在論」の(悪)名高い「ミイラ・コンプレックス」概念を再読して発表パートを締めくくった。伊津野氏によれば、デジタル化によって写真映像のインデックス性(指紋のような光の型どり)に依拠した立論の足場が消滅した現在だからこそ、映像を捉えるにあたって「ミイラ」の喩えが逆に極めて有効である。つまり、インデックスが表象される不在のものを指し示しているのに対し、映像はそれ自体で充満している点で、その人そのものであるミイラと似ている。しかし、ミイラが同一ではないながらその人そのものであるように、デジタル映像は可塑的でありつつも絵画やCGとは違ってやはり現実と繋がりを持っており、そこにこそ改変し操作しつくす作業の魅惑が宿っているのである。
司会者(=本報告執筆者)は、ワークショップ形式の維持を目的として、各発表がどんなに盛り上がっていても15分ほどで強権的に中断させ、フラストレーションのたまった会場の参加者に補足の質問を促した。発表内容の充実ぶりを鑑みると、通常のパネル形式をとって20-25分の研究発表を連ねても良かったと思う。一方で、各発表およびバザンの議論に深くコミットした高密度の質問が続き、発表者との間に生産的な対話が成立したのも事実だ。翻案=適応(アダプテーション)に映画のある種の本質を見るバザンの立場に寄り添いつつも、『田舎司祭の日記』の実践の意義を敢えて問い直す質問は、三浦氏から「河床」に擬えられる均衡状態が自動性を生みだし、それを打破することで精神的リアリズムが立ち現れる、という結論を引き出した。バザンの言説における「リアリズム」の複数性を確認する質問に答え、堀氏は映画の基本的な存在論的基盤との諸々の交渉をリアリズムと呼ぶ、というダニエル・モルガンの説を紹介し、伊津野氏は、非人間的な、機械による世界の縮減として写真映像=ミイラを定義してベルグソンとバザンを結びつけた。「図」と「地」、アスペクト知覚とリアリズムの関係についての質問に応答して、畠山氏は、バザンが曖昧さと結びつける「自由」をアスペクトに決定づけられるいわば不自由として捉える視座を示した。バザンの深いカトリック性についての質問に対して、畠山氏と三浦氏は、信仰とその不可能性をめぐるバザンの近代的な実践が、視野や翻案の問題の根底にあるという見解を示した。また、質疑応答のなかで、堀氏、畠山氏、三浦氏が、それぞれ異なった文脈のなかで、バザンを1940-50年代の映画史的/映画理論史的な地層のなかに定位し、その「化石性」に逆に現在における読みの大きな可能性を見出していたのは印象深かった。
木下千花(首都大学東京)
【発表概要】
2018年の生誕百周年を前に、フランスの映画批評家アンドレ・バザンを巡る状況は再び活発に動き始めている。日本でも『映画とは何か』の新訳(岩波文庫)や、その訳者の一人である野崎歓のバザン論(『アンドレ・バザン──映画を信じた男』、春風社)に引き続き、最初の著作である1950年のウェルズ論(『オーソン・ウェルズ』、インスクリプト近刊)が刊行されるなど、バザンについて再び考察する好機が訪れているかのようだ。
もちろん、近年の映画をめぐる言説の中で、バザンの名が忘却されたことなど、ほとんど無かったと言って良い。トーキー時代の新たな映画美学の提唱者として、ヌーヴェル・ヴァーグの精神的父として、そしてフランスの哲学者ジル・ドゥルーズが書物の上で組織した映画と哲学の出会いに重要なインスピレーションを与えた人物として、この半世紀の間アンドレ・バザンの名はほとんど常に、映画について書くことそのものの、欠かすことのできない起源に位置づけられてきた。
しかし仮に、バザンをめぐるそのような切れ目のない受容空間が形成されてきたのだとしたら、私達はなおさら、彼のテクストを絶えず、そして執拗に問い直さなければならないだろう。そのような神話的と言ってよい受容のあり方は、書き手のイメージとテクストとの乖離を、不可避的にもたらすだろうからである。
本パネルでは、そうした問題意識に立った上で、ウェルズやブレッソンといった作家の側から、あるいは「リアリズムとモンタージュ」、インデックス性といったもはやクリシェ化したとも言える対立項や論点から、そして何よりも彼自身のテクストからバザンを再読し、その現在性を改めて問いなおしてみたい。