新刊紹介 | 翻訳 | 『帝国日本の生活空間』 |
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天内大樹(訳)
ジョルダン・サンド(著)『帝国日本の生活空間』
岩波書店、2015年10月
モノに触れつつ考えること
本書は各章ごとに元の論文はあったとはいえ、原著のない訳書である。2011年夏だったか、作業を開始して以来、著者ジョルダン・サンド氏との深いコミュニケーションの中で(※1)内容が増減したため、筆者の責任が減るものではないが、初めて単訳を手がけた筆者としては誤訳の可能性が少ないという幸運を得られた。その分というわけではないが、本書には訳者あとがきがない。本稿では訳者あとがきがあれば書いただろうことを以下記す。
ジョルダン・サンド氏は1960年生まれ、東京大学で建築史の修士号、コロンビア大学で歴史学の博士号を取得し、現在ワシントンDCのジョージタウン大学歴史学科教授を務めている。本人は日本語を流暢に話すし、日本語論文も執筆しているが、日本語著書には森まゆみ氏との共著『佃に渡しがあった』(岩波書店1994)が一冊あるのみであった。2015年春には「慰安婦」問題を、政治の観点と同等以上に歴史学の方法論という観点からも危惧する歴史学者の声明文の作成に携わったため、カタカナで彼の名前をウェブ検索するとそのトピックの記事が多い。とはいえ彼の研究の観点は物質文化論にあり、筆者も『美術フォーラム21』20号の特集「物質性/マテリアリティの可能性」(2009年11月)向けの論文「ちゃぶ台論をひっくり返す──小寺家の食習慣」の翻訳を通じて初めてお会いした。ほかの著書には明治期から戦前期までの日本の住宅を扱ったHouse and Home in Modern Japan: Architecture, Domestic Space and Bourgeois Culture, 1880-1930, (Cambridge, MA and London: Harvard University Press, 2004)と、戦後東京における人々の記憶と都市の関係に迫ったTokyo Vernacular: Common Spaces, Local Histories, Found Objects (Berkelley: University of California Press, 2013)がある(※2)。
本書も、物質文化論的な関心と方法論的関心から2000年以降書かれた論文を元にしている。前者の関心に属するのは一章の洋館と室内装飾、二章の「味の素」ほかグルタミン酸ナトリウム調味料、四章の文化住宅、五章の籐椅子、六章の被植民地人の帝都観光、終章での日米に吸収された二つの王国間の物質、動物、人の流動といったテーマである。先述の雑誌特集での翻訳論文のように、現在も小金井の江戸東京たてもの園に収蔵されているちゃぶ台という一対象をめぐる物語ではなく、むしろモノや行動の一ジャンルに関して当時流通していた文字・画像などの表象を通じて、『帝国日本の生活空間』を成り立たせた社会状況に迫る各章となっている。後者に属するのは序章、またとりわけ、できるだけ価値中立的に記した歴史上の断片とそこから拡がるべき解釈とを分節しながら、1908年の日米など太平洋諸国の状況を想像させる試みとなった三章である。筆者の見解として記すならば、歴史学で扱うべき事実は、制度的な保証に裏打ちされた断片的な公文書やオーソライズされた報道媒体ばかりでは得られない。資料不足という二次的な問題ではなく、方法論という原理的な問題として、周辺資料から組み立てた想像、解釈を含めて初めて研究の意義をもった「事実」が成り立つのではないか。筆者は歴史学の訓練を受けた者ではないが、歴史上の人物の思想的な脈絡を読み取る際の、一次文献と二次(以降の)文献の扱い方と並行した問題と捉えられる(※3)。これは様々な戦地での様々な暴力の実相に迫る際にも言えよう。
筆者の小さな関心に引き付けて、手前味噌ながら素材と文化史という視点から類書を挙げると、古くは長谷川堯・黒川哲郎『建築光幻学──透光不透視の世界』(鹿島出版会1977)、遠藤徹『プラスチックの文化史──可塑性物質の神話学』(水声社1999)、筆者も邦訳に携わっているAdrian Forty, Concrete and Culture: A Material Story(London: Reaktion Books, 2012. 邦題未定、鹿島出版会2016予定)、また各々近現代日本の煉瓦と現代日本の鉄筋コンクリートについて記した拙論も既刊または近刊である。三宅理一監修、中島智章・前島美知子『サンゴバン──ガラス・テクノロジーが支えた建築のイノベーション』(武田ランダムハウスジャパン、2010)をこの系列に加えてもよいし、産業遺産や廃墟をめぐる議論も隣接したトピックとなろう。現代日本の建築家の間でも物質や素材に視座をおいた議論が、例えば川俣正が行った物質の循環経路への介入行為を参照したような物質の循環への着目というかたちで、あるいは木質素材の有効利用や断熱素材の性能向上といった、エコロジーや新建材やディテールへの期待などから、近年盛んだったように思われる。いってみれば輪郭をもたない物質をめぐる、こうした新たな歴史記述を、輪郭をもつモノ(※4)をめぐる歴史の蓄積やその新展開と、どのように接合または交叉させていくかという課題がありうる。そのときに浮上するのは、たとえばグルタミン酸ナトリウムという素材そのものに着目した本書第二章、籐椅子という素材と形状の新提案により和室に椅子という洋式家具が定着した経緯を記した第五章などであろう。
翻訳作業中の細かい訳語の検討から離れ、あらためて物質文化論の関心と方法論的関心の交叉として本書を捉え直してみたいが、筆者がその地点に至るにはもう少し時間がかかりそうである。願わくば読者の方々のコメントやご指摘によって、その時間が短縮されんことを。(天内大樹)
※1 たとえば筆者の勤務地である浜松と、サンド氏がしばしば滞在する東京との中間にあるという理由から、熱海で一泊「缶詰め」になった。
※2 本書とこの二つの著書には、すでに中国語訳の計画があり、House and Home in Modern Japanについては北京大学出版社から間もなく刊行予定という。一方、本書以外の邦訳の予定は今のところないと聞いている。
※3 主宰する勉強会での議論や勤務先の歴史学者の話から想像する限り、この見解が日本の歴史学研究で主流であるかは疑わしい。
※4 額縁、台座、ファサードなどを伝統的に備えてきたジャンルのモノを念頭に置いている。