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「ナムジュン・パイクと電子の亡霊(ゴースト):
阿部修也さんとパイク・アベ・シンセサイザーの夕べ」報告
2013年5月28日(火) 早稲田大学大隈小講堂
主催 早稲田大学総合人文科学研究センター
共催 早稲田大学文化構想学部表象・メディア論系、早稲田大学川口芸術学校
- 17:30 - 開場 パイク・アベ・シンセサイザー公開チューニング 阿部修也
- 18:15 - 第一部 パイク・アベ・シンセサイザーを語る(司会:草原真知子)
- 「心霊写真 WS/レクチャーシリーズについて」橋本一径
- 「ゴーストの系譜:ファンタスマゴリアからヴァーチャルリアリティまで」
草原真知子 - 「ナムジュン・パイクとビデオアートの身体性」齋藤理恵
- 「ナムジュン・パイクについて」 阿部修也 (聞き手:瀧健太郎、草原真知子)
- 19:30 - 第二部: パイク・アベ・シンセサイザー実演
- パイク・アベ・シンセサイザー デモンストレーション 阿部修也
- パイク・アベ・シンセサイザーと現代音楽によるパフォーマンス
- 阿部修也、瀧健太郎、寒川晶子(ピアノ):ジョン・ケージ作曲
「ある風景の中で」 ほか
この公開講座は、ナムジュン・パイクのコラボレーターであった阿部修也氏を迎えてパイク・アベ・シンセサイザーを実際に体験する場を設けようという趣旨で企画された。パイク・アベ・シンセサイザーはナムジュン・パイクの作品にきわめて重要な役割を果たし、ビデオアートの代表的な表現の一つを創出しただけでなく、映像生成技術史に名を残す代表的なビデオ・シンセサイザーだが、今まで東京で公開・実演されたことがなかった。今回は持ってきていただいたのは、パイク亡き後、韓国のナムジュン・パイク・アートセンターで展示するために阿部氏がカリフォルニアから1台を運んで修理したのを機にもう1台を復元したもので、これを旧型の大型CRT2台とビデオカメラ、さらに会場のプロジェクターに接続した。
当日は、なるべく多くの人に間近で見て欲しいという阿部氏の提案で開場と同時に装置の公開チューニングを開始。開演前からシンセサイザーを囲んで熱気溢れる対話が展開し、開演時刻には定員300人の会場は満席となった。プログラムの第一部はトークセッションで、橋本一径、草原真知子、齋藤理恵によるイントロダクションに続き、パイクとの出会いや共同開発の経緯などを阿部修也氏に語って頂いた。その一部は以下の通りである。
東北大学で物理学と通信工学を修めた阿部氏は1963年当時TBSで技術開発に携わっていたが、現代美術にも関心がありフルクサスについても知っていた。秋葉原で紹介されたパイクと意気投合し「ロボット K-456」の技術面を担当した後、パイクとのコラボレーションが海を越えて続いたが、1969年、半年以内にビデオ・シンセサイザーを作ってテレビ局で使いたいという切羽詰まったパイクの要請に応えて阿部氏は必要な機材を買い集めて短期間に装置をほぼ完成させ、翌年ついにTBSを退社して渡米する。その後阿部氏はシンセサイザーを改良する一方、パフォーマンスや作品制作時にはシンセサイザーを操作し、さらにロサンゼルスのCalArtsで学生を指揮してシンセサイザー5台を製作(現在韓国で展示しているのはその中の一台)、それらを使って映像制作を指導した。当時のパイクの暮らしぶりやボストンのテレビ局での様子、1969年にパイクが薄型スクリーンを予見してElectronic wallpaper を構想し、実際の制作は阿部氏が、セールスはパイクが担当しようと話していたことなど、阿部氏の記憶は驚くほど明晰で、語られるエピソードはどれもユーモアに溢れて面白く、パイクとの間の真摯な友情が滲み出ていた。
第二部では、阿部氏がシンセサイザーの図面を示しながらその仕組みと設計上の工夫を説明、次いでビデオカメラから入力された顔の画像をリアルタイムでさまざまに変容させた。パイクは虹のイメージにこだわり、シンセサイザーには虹の七色のスイッチと7つの入力ポートが設けられている。アナログ装置はそれぞれ個性があって一台ずつ違い、操作する人の精神状態やその日の電波状況などによっても画像が変わるそうだ。また、パイク・アベ・シンセサイザーの色信号はTV放送では許されない(局の装置にダメージを与える)飽和度まで出るように設計してあり、パイク自身はそのような強烈な色彩を好んでパフォーマンスで使っていたので、ビデオで見るパイクの作品は本来の色調ではないという。これは我々がパイクの作品を見るときに留意すべき点であろう。
プログラムの最後はピアニストの寒川晶子氏を交えたパフォーマンスで締めくくられた。寒川氏が最初は即興、次いでジョン・ケージの “In a Landscape”を演奏するのに合わせて瀧氏がビデオカメラの前でパイクの写真を動かし、その映像が阿部氏の操作で刻々と変容しながら舞台両脇のCRTと正面のスクリーンに映し出された。寒川氏は一柳慧に学んだ現代音楽のピアニストであり、ニューヨークのザ・キッチンでのパフォーマンスを再現したかのような貴重なひとときに、来場者は息を呑んで見入っていた。
〈イベントを終えて〉
阿部氏はパイクと一緒に作りかけてそのままになっていたアイディアを最近になって完成させた「皆既日食」という作品を持参し、今後はこのシリーズ化を計画していると語っていた。パイクと阿部氏の関係が単なるアーティストとエンジニアの分業ではなく、信頼し、刺激し合える友人であったことがこの作品の経緯からも窺えた。
長らく「伝説」であったパイク・アベ・シンセサイザーを阿部修也氏その人の操作で見る機会を設けることができたのは、自分の知っていることを伝えたいという阿部氏自身の熱意と、阿部氏の教え子でもある瀧氏の全面的なサポートのおかげに他ならない。また今回の企画のきっかけを作ってくださった幸村真佐男氏に感謝したい。なお、このイベントの企画・実施は科学研究費基盤(B)「日本のメディアアートの成立過程と現在」(研究代表者 草原真知子)によって可能になった。(草原真知子)