第8回大会報告 | シンポジウム:映像のポストメディウム的条件 |
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2013年6月29日(土) 13:00-15:30
関西大学千里山キャンパス第1学舎1号館A503教室
シンポジウム:映像のポストメディウム的条件
阪本裕文(稚内北星学園大学)
竹久侑(水戸芸術館現代美術センター)
リピット水田堯(南カリフォルニア大学)
【司会】門林岳史(関西大学)
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「映像のポストメディウム的条件」、そもそもポストメディウムという不思議な概念、これはいかなるものなのかという問いに、近年使われつつあるポストメディウムあるいはポストメディアという概念の系譜を辿り、輪郭を与えることから司会の門林岳史氏はこのシンポジウムを始めた。
ポストメディウム概念は、ロザリンド・クラウスが1999年の『北海航行――ポストメディウム的条件の時代における芸術』で用いて以来、ここ十数年の論考においてしばしば用いる概念であり、さらに実際には、似たような言葉が様々な人々のあいだで使われてきた。必ずしも影響関係は明確ではないにせよ、1980年代におけるフェリックス・ガタリの「ポストメディア時代」、2001年におけるレフ・マノヴィッチの「ポストメディア美学」、2005年のピーター・ヴァイベルの「ポストメディア的条件」など継続して使われつつあるというのである。
このような状況のなかで、その基調をなすポストメディウム概念の提唱者としてみなされているのは、ロザリンド・クラウスである。クラウスは、クレメント・グリーンバーグが主張した、芸術はメディウムへの純化へと向かうべきというメディウムスペシフィシティの概念に対して、スタンリー・カヴェルが映画は単一のメディウムから成り立っておらず単一のメディウムスペシフィシティを同定するような理論化はできないと論じたことを引き合いにだす。このような対比の上で、クラウスは、グリーンバーグのように技術的支持体としてではなく、ある種の慣習を含んだものとしてメディウムをとらえようとした。ポストメディウム的状況においては、古いメディウムのあり方自体が新しいメディウムの中で再発明されていく、いわばメディウムはメディウムのなかで改めて自己を差異化していくことになるというのである。
そして、門林氏は、もともと美術批評の領野で用いられたポストメディウムという概念が、現在では、美術批評だけでなく、映画をめぐる議論にも刺激を与えつつある状況が、本シンポジウムが企画される直接的な文脈として提示する。たとえば、メアリー・アン・ドーン、D.N.ロドウィック、フランチェスコ・カゼッティ、というとりわけ英語圏で活動する映画の理論家たちである。最後に、門林氏は、このような動向を踏まえ、もともとのクラウスの意図を超えて、ポストメディウム/ポストメディアを、とりわけ映像におけるポストメディウムというものを考えていくことと本シンポジウムの企図を述べた。
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一人目のパネリスト、阪本裕文氏は、クラウスが行った実験映画への論及への応答として、日本の実験映画史を参照することで、具体的には松本俊夫、飯村隆彦、牧野貴という三人の作品群を参照することで、ポストメディウムという概念の有効性を問うた。
一方で、阪本氏は、クラウスの実験映画への論及、とりわけ構造映画への言及を、標準的な実験映画史における理解と比較することで評価する。すなわち、マイケル・スノウらの構造映画は、標準的な実験映画史ではまさにモダニズムそのものとされているのに対して、クラウスによる指摘では、構造映画をモダニズム的な志向性をもつと同時に、様々な水準でのメディウムの組み合わせによって成り立つ集合的複合的な装置に他ならないからである。
他方で、阪本氏は、このような実験映画論に著名なビデオアート論も含めたクラウスの議論を参照する際に留意すべき点も指摘している。一つ目に、クラウスがピックアップした作品をとりあげるとすれば、これらの作品だけを過去から強調してとりあげることになりかねないこと。二つ目には、日本の実験映画史とクラウスの観点を結びつけようとする際、クラウスがそのなかで動いたようなモダニズムとモダニズム批判の文脈に回収できない、日本における実験映画とビデオアートが展開した固有の条件に注意を払わなければならないということである。
そして、阪本氏は、松本俊夫、飯村隆彦、牧野貴ら三人の作品と実践を、ポストメディウムという概念と突き合わせ、それぞれ考察した。
まず、松本俊夫からは、映像におけるポストメディウムを考える際に、映像の記録性や記録性に対する批判がポストメディウムという概念とどのような関係を結んでくるのかという問いを導き出す。松本俊夫の実践は、メディウムとメディウムや内側と外側といった様々な水準での「越境性」を主題とするものであり、ポストメディウム的といいうるような特徴を備えている。だが重要なのは、松本の実験映画を、個別の作品のみを観ることで形式的な実験とすることではない。彼が、もともと制作していた記録映画との対比において、当時の変化する社会的現実を映像によって捉えるための一つの方法論として実験映画やエクスパンデットシネマを制作していた脈絡を踏まえる必要があるのである。
ついで、飯村隆彦からは、映像における身体や知覚をめぐる問題がポストメディウムの概念とどのような関係にあるのかという問いを導き出す。飯村の多くの試みは、単体としての映像作品とインスタレーションいずれにおいても、映像において人間の身体や知覚がいかに分節化されうるのかを問い示そうとするものだったのである。
最後に、牧野貴からは、デジタルメディアが登場して以降の変化においてポストメディウムの概念と関係するのは具体的にどのようなものであるのかという問いを導き出す。牧野の作品は、デジタルビデオが4Kなどのかたちで高解像度化することで、フィルムで撮影された映像とそれをテレシネ化した映像との間の境界が無化されるような状況を明らかにしている。このような映像メディウムを支える物質性の痕跡自体を複製し識別不可能なものにする作用は、デジタルメディア環境におけるポストメディウム的な実践のひとつではないかというのである。
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二人目のパネリスト、竹内侑氏は、2000年代以降の二つの展覧会とそれに参加したアーティストたちを取り上げることで、現代美術における映像の用いられ方を具体的な実践のあり方、そして可視化と記録という主題をから浮き上がらせた。二つの展覧会とは、いずれも水戸芸術館で2010年以降に開催された『リフレクション:映像が見せる“もうひとつの世界”』と『3・11とアーティスト: 進行形の記録』である。
『リフレクション』展が焦点を当てたのは、2000年代以降の映像を、見えないもの、隠されたものを可視化するメディアとして小さな物語を明らかにするものとして扱ったアーティストたちである。マティアス・ヴェルムカ&ミーシャ・ラインカウフ、CHIM↑POM、藤井光、ジェレミー・デラーらである。このような試みが可能になった条件には、2000年代以降、映像メディアに対する一般的なアクセスのしやすさが飛躍的に向上した状況がある。これは、一つにはデジタルカメラや編集ソフトなどの制作に関わる面でのアクセスの向上、二つには2005年のYouTubeの登場に見られる映像の公開に関わる面でのアクセスのしやすさを、アーティストがどのように活用していったのかということである。
竹久氏は、『リフレクション』展から、現代美術における映像のあり方において次のような三つの変化を捉えることができると指摘する。第一に、従来映像に対して、見られる、撮られるという受動的なものであった市民のあり方がそれによって表現するという能動的なものへと変化したというメディアの担い手の変化である。第二に、このように映像メディアの使用が必ずしも専門的な技術や知識を必要としない一般的なものとなったことで、専門家を組織化できた体制的なメディアに対するオルタナティブなメディアの使用が拡大したというメディアの社会的位相の変化である。第三に、マルチスクリーンで建物に投影するスペクタクル装置のような映像のから、アーティストが社会生活のなかで見出す人と出来事の記録や表現へというメディアの使用法の変化である。
『3・11とアーティスト』展が焦点を当てたのは、『リフレクション』展における映像メディアに対するアクセシビリティの向上を踏まえたうえで、かつ3.11から現在までの状況にアーティストが記録を軸としつついかに関わっていったのかという問題であった。ここでは、藤井光、Port B、小森はるか+瀬尾なつみといったアーティストに加え、濱口竜介と酒井耕という映画作家の実践が取り上げられた。
竹久氏は、『3・11とアーティスト』展から、東日本大震災をめぐって行われたアーティストたちの実践から次のようなメディアのあり方を特徴として取り出せると指摘した。第一に、従来からのアーティストの表現であるパフォーマンスやアクションを記録し表現すると同時に、被災体験や現地の様子を記録して将来に残すことを目的とする公共性の高いアーカイブを構築しようとする記録としてのメディアのあり方。第二に、同時代の人々、主に非当事者に思考を促すような思考触発のためのメディアのあり方。第三に、当事者が被災の過程と向きあう過程に介在しその克服に関わっていく触媒としてのメディアである。
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三人目のパネリスト、リピット水田堯氏は、ポストメディウムという概念を用いることそのものをその系譜から問い返し、新たにそれと並置すべき概念、イミディアムimmediumを提示した。ポストメディウムという概念に対する違和感の表明から始まり、ポストメディウム性は作品から直接感じられもするにせよ、なぜメディウムを超えるというかたちで問いを発する必要があるのかを問うのである。
まず、リピット水田氏は、そもそもクラウスが批判したグリーンバーグのメディウムスペシフィシティそのものに、実はポストメディウム性が含まれているのではないかと指摘する。グリーンバーグが構想する美術史においては、何かがあるべきかたちを取ることが目指される。そこでは、絵が絵になる。ものがものになる。このようなメディウムスペシフィシティを目指す過程において、メディウムは、メディウムとしての働きを終え、消えてしまう。いわば、ポストメディウムになるというのである。
次いで、映像、フィルムをめぐる思考こそ、ポストメディウムという概念が考え始められる契機であったことが示唆された。グリーンバーグのメディウムスペシフィシティにある種のポストメディウム性が書き込まれていたにせよ、映像を、メディウムスペシフィシティの観点から考えようとすると、グリーンバーグが考えていたのとは違ったものになっていく。そのことがポストメディウムの問題を喚起するのである。メディウムスペシフィシティの観点から映画史、映画理論の歴史を考えたとき、たとえば、1920年代の純粋映画、1960年代の実験映画、1970年代の装置論があった。装置論の探求の過程では、映画におけるメディウムスペシフィシティの姿を考え、それは映写であり、パブリックな環境で他の観客と一緒に観るということであり、時間の流れでもあるとみなされた。これら試みのなかで、グリーンバーグのように絵画の運命が平面性という意味でのメディウムスペシフィシティは、映画には当てはめられず、映画は一つのスペシフィシティでは規定できないということが明確になってきたのである。
それから、映像、映画のメディウムスペシフィシティとは複数であることが示され、そのような複数の間をこそ考察するための理路が提案された。メディウムという語にもともと含まれる意味からすれば、それはものとものとの繋がりや通路であったし、マーシャル・マクルーハンからジェイ・デイヴィッド・ボルターとリチャード・グリシン、ヘンリー・ジェンキンズまでメディア論からしても、新しいメディアのなかには古いメディアが含まれ、既にメディウムが複数形のメディアとなっている様が、とりわけ映像メディアにおいて、明らかになっているのを見て取ることができる。とすれば、その複数形のメディアの繋がりの中間に至る、あるいは中間にいる状態を示す理路を考えることができるだろう。それを、リピット水田氏は、メディウムスペシフィシティではなく、メディアスペシフィシティと呼んだ。
最後に、リピット水田氏は、ポストメディウムという概念の現代の用いられ方からは、それが映画に当てはめることは出来ないと指摘した上で、イミディアムという概念を提示した。クラウスのポストメディウムの条件がグリーンバーグ批判であり、マノヴィッチのポストメディア美学がポストシネマとしてニューメディアを歴史化するための議論であったことから、ポストメディウムないしポストメディアの概念は映画を議論するためにはズレを含みうる。したがって、ポストメディウムではなく、むしろメディアスペシフィシティが徹底され、メディウムが消えた後という状態を考えてみる必要があるというのである。そこで、メディウムを、ものとものとの繋がり、繋がらないものを繋げるために必要な中間や通路としたとき、メディウムが消えた状態として、メディウムmediumに否定の接頭辞imを付けたイミディアムという概念を提起するのである。イミディアムはイミディエイトimmediateにも繋がっている。メディウムが消えた後の、直接性、緊急性である。直接性、緊急性に繋がるイミディアムは、阪本氏や竹久氏の議論に現れた記録性、3・11以降の状況にも結びつけられる。このイミディアムとポストメディウムを並べて考えを進めることを提案し、リピット水田氏の発表は終わった。
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パネル後のディスカッションにおいては、司会の門林氏、パネリストの阪本氏、竹久氏、リピット水田氏による相互の議論の検討と会場の参加者を交えた質疑応答が行われた。
例えば、まず司会の門林氏が、阪本氏と竹久氏に向けて、松本俊夫と同時代であった萩元晴彦のドキュメンタリー番組『あなたは』を例に挙げ、1960年代における記録性をめぐる議論と実験映画の関係について質問がなされた。
阪本氏には、このような記録性批判を含めた議論のなかにいた松本俊夫らの実践を踏まえた場合に、竹久氏が扱った現代美術における映像における記録性への回帰とも見えかねない動向はどのように映るのかが問われた。これに、阪本氏は、松本がメディアアートによる映像の使用を記録映画批判以前への回帰として批判していたことを確認した上で、他方では、現代の記録性への関心においては問題の所在が変わってきているのではないかと応答した。
竹久氏には、このような1960年代の議論と実践と現代美術における映像の関係性はいかなるものであるのか、が問われた。これに、竹久氏は、藤井光らの映像への関わりは、1960年代の記録をめぐる議論を踏まえた上で、意図的に取り戻しているというところもあり、また現代の映像メディアへのアクセシビリティが向上した状態に向き合い取り組んでいる面があると応答した。
会場から、クラウスのモダニズム批判の文脈に添ったかたちでの質問があった。1970年代にクラウスらが『October』を始め、グリーンバーグとマイケル・フリードのモダニズムを批判していく際には、鑑賞者の身体と知覚、鑑賞経験を強調していたのに対して、1990年代にクラウスが改めてポストメディウムの概念によって、フリードを批判していく際には、批判の軸は鑑賞経験ということから離れていること、このときには、ある種のメディアの飽和状態にどのように対応するのかという問題意識があったのではないか、そしてメディアが飽和した状態において直接性が提示されつつあるというねじれはどのように捉えられるだろうかという質問である。
司会の門林氏は、クラウスがポストメディウムという概念を出したときには、グリーンバーグの議論の有効性が失われ、メディアが環境として飽和したときに、芸術の領域を芸術の領域として確保するための戦略という意味合いがあったことを指摘した。そして、竹久氏が扱ったような記録と直接性をめぐる実践は、クラウスの観点からは外部に位置することになると考えられるが、むしろクラウス的な観点の外へとポストメディウムを広げていくことがこのシンポジウムの目論見の一つであったと改めて付け加えた。
また、会場から、リピット水田氏が提起したイミディアムという概念について、それはインデックス性とはどのような関係を持ちうるのかという質問、さらに、直接性と関わるイミディアムという概念は、無媒介性と訳されることですでに批判された現前性や自己同一性への回帰を意味してしまうのではないかという批判、リピット水田氏の議論にあったメディウムスペシフィシティの否定し難さがあるなかで歴史的にはある種のメディウムスペシフィシティを追求するなかでの横断性が存在したのではないかという指摘がなされた。
最後に、リピット水田氏が、これらに対して、一方で批判にあった危険性を認めながら、他方で、インデックス性とも結びつきながら、繋がらない複数のものを繋げようとすることで、最終的には不可能であるにも関わらず、ある種の直接性に接近しようとする、消えようとするメディウムの志向性を考えることの重要性を主張し、シンポジウムは締めくくられた。
およそ二時間半にわたるシンポジウム「映像のポストメディウム的条件」は、ポストメディウムという概念をめぐり、その使用の系譜から、歴史的な映像の分析、現代の芸術実践における可能性、概念分析や理論化によって方向性をもちつつも、メディウムスペシフィシティとポストメディウム、グリーンバーグのメディウムとマクルーハンのメディアといった対概念の間を往還することで、多彩な議論と実践を触発するものであった。ここで、映像とポストメディウムという概念の関わりから浮かび上がってきたことのひとつは、司会の門林氏がクラウスがポストメディウムを提起した際の意図として指摘した芸術という領域の存在をめぐる問題であろう。竹久氏が質疑応答において述べたように、二つの展覧会のアーティストたちが映像を用いた実践を「あえて芸術の範疇で」行おうとしたとすればその理由付けとして、そして阪本氏やリピット水田氏が扱う実験映画の成立の条件として、芸術という領域を引き剥がすことはできない。ポストメディウムという概念を契機として、映像というメディウムの使用の歴史と現在について考察することで、現代の芸術という領域の存立をめぐっても、本シンポジウムは極めて示唆的なものであったと思われる。
篠木 涼(日本学術振興会/立命館大学)