新刊紹介 | 単著 | 『ドゥルーズの哲学原理(岩波現代全書)』 |
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國分功一郎
『ドゥルーズの哲学原理(岩波現代全書)』
岩波書店、2013年6月
コンスタントに話題の本を発表し続ける著者が、満を持して挑んだドゥルーズ論。冒頭で著者は、本書の目的を、ドゥルーズの著作と今一度虚心に向き合うことによって、「ドゥルーズを読むための最低限の条件」を整えることにあるとする。そして、この目的を達成するために、ひとつの話題を出発点として選ぶ。それが「ドゥルーズにおける政治性」というテーマである。ドゥルーズの評価をめぐっては、一方で「ドゥルーズに新しい政治を見出そうとする試み」が、他方では「ドゥルーズにおける政治の不在を断じる向き」が、近年それぞれ顕著になってきているという。すなわち、「政治」というテーマをめぐって、ドゥルーズ解釈が二分されているのである。それに対して著者は、この両議論のどちらにおいても、ドゥルーズが真に「読まれている」とは言えないと喝破する。「喧しく論じられているテーマにおいてこそ、読むことが問題となる」との警句は、したがって、上の状況に向けられたものである。
こうして本書はまず、ドゥルーズが単独で書いた著作を丁寧に読み解くことにより、(ドゥルーズ=ガタリのそれとは異なる)ドゥルーズ自身の哲学の「方法」、「原理」、「実践」を、順を追って明らかにしていく。そこから浮かび上がってくるドゥルーズ哲学の基本構造の中に、しかし著者はひとつの「困難」を見出し、続いてこの観点から、ドゥルーズとガタリの協働を(つまり、ドゥルーズ=ガタリの哲学を)、ドゥルーズ自身も認識していたこの困難の乗り越えの試みとして位置づける。こうして著者は、先に紹介した二つの議論が断じる〈政治的ドゥルーズ〉と〈非政治的ドゥルーズ〉のいずれとも異なるドゥルーズ像を描出するのである。言い換えるならばそれは、ドゥルーズが、いかなる意味において「政治的」であり、またいかなる意味において「非政治的」であるのかを、厳密に規定することに他ならない。
周到な議論を経つつも難解に傾きすぎない叙述は、著者の筆捌きの妙だろう。ドゥルーズ研究の新たな基本書として、また、この現代哲学の巨星に惹かれるあらゆる人々の手引きとして、幅広い読者に開かれた一冊。(武田宙也)