新刊紹介 単著 『「経済」の哲学 ナルシスの危機を越えて』

荒谷大輔
『「経済」の哲学 ナルシスの危機を越えて』
せりか書房、2013年4月

「経済」を構成するプロセス、すなわち、多様な物と欲望の流れを同質化し、一つの協働関係のうちに捕えて全体へと編成する諸力とはどのようなものか。グローバルな資本がますます一元的で平板な現実を生み出しているだけに、この問いは今日さらに切迫した問題として現れている。本書は、「経済」をめぐる「秩序」と「信」の構成論的な関係を思考の出発点として、そうした諸力の一端を批判的に浮かび上がらせる。「ありうべき秩序」を人が仮構し、そこに自ら進んで服すことによってはじめて、「経済」は「現実」として成り立つ――「危機」を構造的に孕んだこのおぼつかない「現実」に対する苛立ちに駆り立てられるように、著者は、「経済」の概念史(第一章)、その自然神学的含意の経験化として現れる経済学への批判(第二章)、さらに「秩序」と「信」の構造をめぐるより理論的な考察(第三章)へと、自らの思索の射程を目まぐるしく変転させていく。とはいえ、その軌跡はむしろ着実なものであり、たとえば、初期スコラ哲学(神の「家政=オイコノミア」)からヘルメス主義(「共感応のエコノミー」)まで「経済」という語を貫く、「ロゴスによって管理された世界全体の調和」という歴史的含意が、いかに古典派経済学のなかに継承され、さらにはセイの法則、ワルラスの一般均衡理論、ケインズの限界革命に至るまで形を変えつつ生き延びているかを、読者は一貫した批判的分析のもとで観望することができる。これだけでも相当に野心的な仕事であるが、本書はさらに、こうした学的、批評的概観に収まらない実践的な企図を最終章で明かす。そこで著者は、ラカンの「四つのディスクール」を理論的な足場として、それまでの議論を誠実ではあるが力なき哲学者のディスクールであると自ら宣告したのち、ナルシス的な自己対話によって疲弊する「経済」に対し一本の逃走線を描こうとする。「秩序」と「信」のインテグラルな円環を、「声」と「謎」の離散的エコノミーによって破断させようという著者の「幻想」が、そこで無造作に差し出されるだろう。すでに数多の踏蹟によって徹底的に踏み固められた感のある問題を、今、新たに正面から問い、突き抜けようとする力強い一書。(大池惣太郎)