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「マラルメ・プロジェクトII『イジチュール』の夜」報告
2011年8月14日(日)、京都芸術劇場・春秋座で「マラルメ・プロジェクトⅡ『イジチュール』の夜」が開催された。同公演は、2010年の夏に上演された「マラルメ・プロジェクト 21 世紀のヴァーチュアル・シアターのために」の続篇に位置づけられるものである。浅田彰と渡邊守章の朗読に加え、昨年に引き続き坂本龍一が音楽・音響を、高谷史郎が映像・美術を担当している。さらに今回はダンサーの白井剛と寺田みさこが加わり、マラルメの『イジチュール』にもとづく総合的な舞台が展開された。
日本語とフランス語によって繰り出される朗読に、映像・音響・ダンス――さらには蝋燭の灯火や、名和晃平の「大鴉」をはじめとする諸要素――が反響しあうこの重層的な舞台が、マラルメの翻案=上演(interpretation)として他に並ぶもののない類の作品であることは、この舞台に立ち会った多くの観客が同意するところだろう。二言語によるマラルメの朗読、プリペアド・ピアノの音響、複数のヴィデオによる舞台上のリアルタイム・プロジェクション、群星のごとく集合と分散を繰り返す(映像としての)テクスト、そしてスクリーンの手前と背後で戯れる二つの身体、といった視聴覚的な仕掛けが、この舞台には幾重にも施されている。昨年の公演との比較で言うなら、可動式スクリーンをはじめとする春秋座の舞台装置が最大限に活用されていた点も見逃せない。演出家にして『イジチュール』の訳者でもある渡邊守章の厳密なテクスト読解に、各分野の第一線で活躍するメンバーが加わることによってはじめて可能になった稀有な舞台だと言える。
とはいえ、「『イジチュール』の夜」を構成する諸要素をただ列挙するにとどめるならば、私たちはこの舞台がもたらす豊穣な経験をむしろ取り逃がしてしまうに違いない。この公演において何よりも驚くべきなのは、ともすれば大変な不和を招きかねない個々の複雑な要素が、舞台上で奇跡的な調和を見せていたという点にこそあるからだ。その光景は、さながらそこに重ねられるさまざまな倍音によって、マラルメの『イジチュール』というテクストにまったく新たな「生」が与えられている光景とも形容しうるものである。おそらく同じ条件で上演されることは二度とないこの舞台が、『イジチュール』というテクストの音声的な響きと、そこから立ち上がるイメージの潜勢力を最大限に解放したきわめて贅沢なものであったということは、この舞台に立ち会った観客のひとりとしてあらためて強調しておきたいと思う。今後の「マラルメ・プロジェクト」の展開を楽しみに待ちたい。(報告:星野太)
橋本一径×岡田温司「ジョルジュ・ディディ=ユベルマンをめぐって」
橋本一径氏と岡田温司氏によるレクチャー「ジョルジュ・ディディ=ユベルマンをめぐって」が11月13日(日)、東京堂書店にて開催されました。本レクチャーは『photographers’ gallery press no. 10』の刊行を記念したレクチャー・シリーズ(第1回:北島敬三氏×倉石信乃氏、第2回:平倉圭氏、第3回:林道郎氏)の一環として開催されたものです。詳しくはphotographers; galleryホームページの以下の報告をご覧ください。(REPRE編集部)
http://www.pg-web.net/news/?p=1989