第6回研究発表集会報告 | パネル5 |
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研究発表5:身体という舞台
報告:
2011年11月12日(土) 13:30-15:30
東京大学駒場キャンパス18号館メディアラボ2
研究発表5:身体という舞台
雨に〈打たれる〉こと──『七人の侍』試論
恩地元子(東京藝術大学)
鈴木忠志『世界の果てからこんにちは』(SCOT Summer Season 2011)の表象する世界
加藤裕明(北海道大学)
1980年代の中国におけるダンス・ブームと文化翻訳
劉文兵(東京大学)
【司会】木下千花(静岡文化芸術大学)
「身体という舞台」と題された本パネルは、映画(恩地氏、劉氏)、演劇(加藤氏)という媒体と「身体」の関わりを、具体的なテクストや実践の分析を通して浮き彫りにする。大まかに言うと、ここ20年ほどで、映画理論のキー・タームは「視線」から「身体」へと移行した。映画というイデオロギー装置が視線を通して召喚する主体という構造から、情動、経験、時間性をはらむエンボディメント(身体化)へ、というわけだ。一方、演劇・パフォーマンスについての言説で「身体」が中心的位置を占めるのは当然だが、そうであればこそ、演劇的身体をなし崩しにしたり、ずらしたりする試みが継続している。三発表は一見すると王道とも思われる題材――黒澤明、鈴木忠志、映画の中のダンス・シークェンス―を取り上げながら、自然やナショナリズムなど他の文脈と接続することで新しい批評的アプローチを見出している。
恩地元子氏の発表は、「雨にうたれること」という視点から日本を中心とした映画史を照射し、映画が身体と物質の接触をどのように扱ってきたか分析する。まず、絵画には際立った「雨」の表象を見出すのは難しく、広重の浮世絵のような場合、あくまで「線」として描かれているが、一方で、落下中の実際の雨はぐにゅっと曲がった粒だという指摘は刺激的だった。『七人の侍』(54)ばかりではなく、清水宏『港の日本娘』(33)、山村聡『黒い潮』(54)など多様な作品を取り上げ、雨がいかなる形象を取るかを具体的に検証する。有名作品に留まらず、『キネマ旬報』の映画紹介欄をしらみつぶしに読んで「雨」映画リストを作成中の恩地氏の姿勢には、深い敬意を表したい。
自然と身体の物質性に密着する恩地氏の発表に対し、加藤裕明氏の鈴木忠志論は言語や環境との関係性を包摂する現象学的な「身体」に可能性を見出す。『世界の果てからこんにちは』(2011)に焦点を絞り、利賀村という上演の場、東日本大震災以後という文脈の特異性がいかに舞台上の身体に作用するかを考察する。スズキ・メソッド確立以降の鈴木忠志作品の「様式性」に閉塞感を見出す扇田昭彦や西堂行人の批評に対し、加藤氏は遠隔地に足を運ぶ自覚的な観客、蛙や虫のような自然からの闖入者の存在、アクチュアルな文脈を積極的に取り入れつつ行われる「本歌取り」に着目する。花火が照らし出す黒々とした森の中、歴史と自然に開かれた舞台上の身体は、「日本」の終わりに立ち会い、生き延びるだろう。
劉氏の発表は、文化革命後、1980年代の中国を席捲したダンス・ブームを同時代の映画の中に跡づける。80年代当時は労働と対立する退廃的な現象として当局から批判の目を向けられたディスコ・ダンスは、現在は主にノスタルジアの対象となり、ジャ・ジャンクーをはじめとした第六世代の映画作家たちによって引用されているが、雑種的な低俗文化とみなされ、学問的に論じられることは少ないという。劉氏は、まさにこの雑種性を手掛かりとしてディスコ・ダンスを再考し、模倣や横領を通して差異を刻み、外国の大衆文化への憧れ、資本主義へのアンビヴァレンツな感情を折衝する「文化翻訳」(ホミ・バーバ)の実践を見出す。『代理市長』(楊在葆(ヤン・ザイボウ)、85)のダンス・シーン、『街上流行紅裙子(赤いスカートは町中に大流行)』(斉興家(チー・シンジャ)、87)で女子工員たちが「ファッション勝負」をする様など、恥ずかしさと熱気に満ちたクリップには、筆舌に尽くせぬパワーがあったことを申し添えたい。
全く異なる題材を扱いながら、「自然」へのアプローチ、文化ナショナリズム批判など、発表間の共通項も多いパネルだった。発表終了後の質疑応答の中では、鈴木忠志の『エレクトラ』の涙の物質性、『七人の侍』の三船敏郎の尻の白さ、ダンス音楽そのものの雑種性、映画・演劇における音の効果などについて、具体的かつ刺激的な意見交換がなされた。
木下千花(静岡文化芸術大学)
【発表概要】
雨に〈打たれる〉こと──『七人の侍』試論
恩地元子(東京藝術大学)
自然描写に長じているとされる黒澤明の映画のなかでも、雨、それも豪雨のシーンは鮮烈な印象を与える。リアリズムと捉えられることが多いが、一方、リアリズムを越える表現力を獲得することも指摘されている。
雨は、日本映画に限らず、しばしば劇的な場面に用いられる。とりわけ黒澤映画では、急激な気候変動が、原爆を直接的に連想させることもある。ただし、より微視的に観察してみれば、たとえば『七人の侍』の戦闘シーンにおける雨は、日本画に見られるような線状の雨脚を強調したものではなく、肉体と接触し、皮膚を洗い、泥と混じって撥ね、さらに地表もクローズアップされることによって、様々な形状と質感をもつ<粒>として際立たせられている。そのようにして身体や大地と拮抗することが、雨に<打たれる>という印象を与える一因ではないだろうか。発表では、それが日本人の心性ゆえの自然との親和性からもたらされるものなのか、同時代の作品を参照しつつ包括的な分析を試み、さらに考察を深めたい。
尚、本発表は、こののち連続して発表予定の、戦後大衆文化における雨の表象についての研究の端緒であると同時に、既に発表した「泣く/哭く」をめぐる表象研究の変奏でもあり、「足音」論も含めて20世紀の大衆文化の深層を探ろうとするものである。そのため、黒澤映画を中心に、大衆歌謡や同時代の外国映画にも目配りして、今後の研究のパースペクティヴを明らかにする予定である。
鈴木忠志『世界の果てからこんにちは』(SCOT Summer Season 2011)の表象する世界
加藤裕明(北海道大学)
1991年に富山県利賀村で初演された演出家鈴木忠志の『世界の果てからこんにちは』(以下『世界の果て』と略記。)は、鈴木自身明らかにしているように、これまでの鈴木の作品の中から「日本について考えさせる場面を抜き取り、花火を使ったショウとして構成し」た野外劇である。それは西洋の模倣としての日本の近代劇のあり方と、「日本人と呼ばれる人種あるいは人間集団の思考や情動の独自性」に対する批判的検討から生まれたものである。
この『世界の果て』は、初演以後も利賀芸術公園野外劇場において再演を繰り返し、今夏(2011年)も再演された。筆者は、1995年の初演バージョンと、今夏2011年版の二度この舞台を見ているが、初演時において顕著であった近代国家解体のイメージは、今夏の舞台においては、「3・11」被害の先行きが全く見えない中での上演であり、より具体的に現代国家日本の解体を表象するものとなった。それは舞台上では、自分を「マクベス」であると思い込む老人に、召使いの女(2011年は男の娘)が、「日本がお亡くなりになりました」と報告するシーンに示される。
本発表では、『世界の果て』を分析対象とし、鈴木がシェイクスピア『マクベス』をいかなる意図で翻案し、その結果、この作品がどのような意味で今日的な作品たりえているか、そしてこれまでの『マクベス』の異文化主義的上演に対して、何がどのような点で独創的であるのかといった点について検討を加えてみたい。
1980年代の中国におけるダンス・ブームと文化翻訳
劉文兵(東京大学)
日本や西洋の先進諸国の文化に憧れ、それを懸命に模倣することを通じて「資本主義的な身体」へと同一化しようとする一九八〇年代の中国の若者たち。ジャ・ジャンクー(賈樟柯)など、七〇年前後に生まれ、八〇年代に青春時代を過ごした第六世代監督の作品には、こうした若者たちがしばしば登場する。『プラットホーム』(原題『站台』二〇〇一年)のダンス・シーンがその典型である。それはあきらかに、ジャ・ジャンクーが過ぎ去った時代に対して捧げたオマージュである。
一九八〇年代の中国の大衆文化を特徴づける重要な現象だったダンス・ブームであるが、にもかかわらず、西洋文化の単なる稚拙な模倣にすぎない「雑種的な文化」と社会一般から見なされてきたために、中国の公的言説や、国内外の中国文化研究においてはほとんど盲点となっており、学問的な検証がなされていないのが現状である。社会現象として過ぎ去ってしまったダンス・ブームに再びアクセスすることがきわめて困難な現況において、重要な手がかりとなるのが当時の中国映画である。映画メディアはダンス・ブームをリアルタイムで記録しただけでなく、そのブームに付随して数多くのミュージカル映画やダンス映画が出現したからだ。
本発表は、踊る身体に凝縮された集団と個人、現実とイメージ、国内と外国、オリジナルと模倣といった問題を、ホミ・バーバのポストコロニアル理論を参照しつつ、身体、集団ヒステリー、文化翻訳などの複数の観点から考察することを通じて、ポスト文革期のダンス・ブームという現象を特徴づける「異種混合性」が生まれた歴史性を浮きぼりにすることを試みる。さらに、現在の中国文化になおも残る、一九八〇年代のダンス・ブームの幅広い影響の痕跡を検証したい。
加藤裕明
劉文兵
木下千花