第6回研究発表集会報告 | パネル2 |
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研究発表2:映像の生成論
報告:大久保清朗
2011年11月12日(土) 10:00-12:00
東京大学駒場キャンパス18号館コラボレーションルーム2
研究発表2:映像の生成論
まなざしの囮──現代3D映画をめぐって
石橋今日美(東京工科大学)
『彼岸花』『秋日和』における作家里見弴の役割
宮本明子(早稲田大学)
【司会】松浦寿輝(東京大学)
※予定されていた岡田尚文さんの発表「マルセル・オフュルス『悲しみと哀れみ』における理髪行為の描写とその映画史的記憶について──C・ランズマン『ショアー』との比較を中心に」は発表者急病のため中止になりました。
映画において「生成」とは何だろうか。ひとつは、テクノロジーの刷新とともに映画が私たちの現実を解体するプロセスであるだろう。だがまた同時に、ある作家がさまざまな折衝とともにひとつの作品を作りだす創造のプロセスでもあるだろう。本パネルでは、解体と創造の両極から映像の生成を見直す発表がなされた。
石橋今日美氏の発表「まなざしの囮――現代3D映画をめぐって」では、『アバター』(2009)によって大きな躍進を遂げた立体映画の歴史とその後の展望をとらえようとするものである。まず石橋は、立体視の装置がすでに19世紀において、映画発明以前から存在していたことを明らかにする。その後、1950年代における映画産業の衰退のなかでハリウッドにおいて導入された3Dブームが成功しなかった理由を、ハリウッドの「古典的」話りと視覚効果の誇示からくる乖離によって明らかとする。またそうした動向にあって、敢えて視覚的ショックを抑えたヒッチコックの『ダイヤルMを廻せ!』(1954年)の演出の卓越性に注目する。また今日における3Dブームが、作品のはなはだしい質の低下を招く一方、現実の3次元的な再現にとどまらない新しい3D効果の活用が試みられている例として、キャサリン・オーウェンズ、マーク・ペリントン共同監督『U23D』(2007年)、『Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち』(2011年)といったドキュメンタリーにおける活用を紹介する。そして3D映画によってもたらされるのが、リュミエール映画に通底する原初的な「映像発見」の体験であることを示唆することによって締めくくった。
宮本明子氏の発表「『彼岸花』『秋日和』における作家里見の役割」では、これまで注目されてこなかった小津映画における里見の影響が明らかとなった。小津が里見に初めて協力を求めたのは『彼岸花』(1958年)であるが、実は『早春』(1956年)の台本において、里見と思われる人物の書き込みがなされていたことを宮本は指摘する。これまで、『彼岸花』の人物設定が『縁談窶(やつれ)』と類似していることが指摘されてきた。だが映画研究においても文学研究においても、従来、両者の作家的な資質が根本的に異なるという理由から、小津映画における里見の貢献はあまり重視されてこなかったといえる。しかし宮本は、資料館に所蔵されていた準備稿を丹念に読み解き、また里見の子息である山内静夫氏からの聞き取り調査をもとに、小津と里見との折衝を跡づけていく。さらに、『秋日和』における佐分利信と北竜二との会話で口にされる「痒いところへ手の届かない感じ」が、1949年に発表された里見の短篇『老友』におけるやりとりから取られたものであること、また『彼岸花』『秋日和』の人物設定が『老友』から多く借りうけているというこれまで指摘されてこなかった新たな事実関係を明るみにした。
3Dという“革新”的テクノロジーと、小津という“伝統”的大家とそれぞれにまったく異なる切り口から映画の生成を読み解く刺激的な発表であった。司会者の松浦寿輝氏が、「もしこの2つを結ぶ固有名詞があるとしたらヴィム・ヴェンダースとなるかも知れない」と述べ、“革新”と“伝統”とを結びつけるヴェンダースの感性を指摘することでセッションを閉じた。
大久保清朗(山形大学)
【発表概要】
まなざしの囮──現代3D映画をめぐって
石橋今日美(東京工科大学)
2005年ハリウッドが3D映画推進策を打ち出して以来、『アバター』を筆頭に立体映画がブームだ。本発表は量産される立体映画作品の質を問い、現代3D映画のあり方を考察する。
映画史は幾度か立体映画の流行を経験してきた。最もよく知られている例として、アメリカの家庭にTVが普及した50年代前半、観客の映画館離れを食い止めようと、各メジャースタジオは競って立体映画を制作した。しかし、大半のフィルムは立体感を安易に誇示する表現を濫発し、その勢いはわずか数年で途絶える。だが、すべてが凡作だったわけではない。カメラワークから登場人物とセットの位置関係まで、アルフレッド・ヒッチコックは『ダイヤルMを廻せ!』(1954)を三次元の作品世界として綿密に構想した。立体感を引き立てるための手法の一部は、今日の3D映画にも継承されている。
50年代と現代の立体映画の大きな違いは、前者が立体視用のカメラで撮られていたのに対し、今日ではポストプロダクションの段階で2Dを3Dにデジタル変換できる点である。専用のデジタル機材を開発し、撮影現場で立体映像のラッシュを見ながら制作される作品と、3D変換しただけの作品では、自ずと完成度に差が生じる。本発表ではハリウッドの商業大作だけでなく、ヴィム・ヴェンダースやヴェルナー・ヘルツォーク等による立体映画の試みを通して、現代3D映画の創造的可能性と広がりを検証する。
『彼岸花』『秋日和』における作家里見弴の役割
宮本明子(早稲田大学)
本発表では、小津安二郎監督『彼岸花』(1958年)、『秋日和』(1960年)の成立に作家里見弴およびその著作がいかに関与していたのかを検証する。
小津は里見の愛読者であり、小津の映画には里見の意見がとりいれられたとみられる事例も複数確認できる。一例として『早春』(1956年)では、里見が準備稿に大幅な加筆修正を施し、それら加筆修正の一部が映画に採用されていた。その後年、『彼岸花』、『秋日和』において映画の「原作者」となった里見は、『早春』の頃よりも小津の映画に関与し、あるいは意見することなど容易であったはずではないか。しかしながら、今日まで『彼岸花』、『秋日和』のシナリオおよび小説がどのように執筆されていたのかは十分に明らかにされていない。これは小津、里見両者をめぐる当時の記録がほとんど現存していないためでもある。とりわけ『彼岸花』の場合、小津の日記にシナリオ執筆の過程をたどることさえ困難である。そこで本発表では、まず『彼岸花』、『秋日和』のシナリオおよび小説の内容を比較検討した上で、その成立過程を検証してゆく。小津がシナリオ執筆に用いていた『彼岸花』、『秋日和』の「直筆ノート」をはじめ、準備稿から完成稿に至るシナリオを第一次資料とする。現存する資料から判明しえない当時の状況については、里見弴の四男であり、『早春』以降小津の映画のプロデューサーを務めた山内静夫氏から教示を得た。
石橋今日美
宮本明子
松浦寿輝