新刊紹介 | 編著、翻訳など | 『前キリスト教的直観 甦るギリシア』 |
---|
シモーヌ・ヴェイユ
『前キリスト教的直観 甦るギリシア』
今村純子(訳)
法政大学出版局、2011年10月
シモーヌ・ヴェイユの著作は、端的に論理的なものではない。否、むしろ論理は破綻し、飛躍している箇所も多々ある。だからといって論理がないわけではない。彼女の作品では、論理(ロゴス)は読者の心のうちに、イメージとして映し出されてくるものなのだ。
言葉があることとその言葉が人を動かすかどうかはまったく別の事柄である。それでは、どのようにして言葉をもって言葉ならざる実在を映し出すことができるのであろうか。それは、言葉と具体的なものとの往還、あるいは、対話の過程で言葉そのものが言葉を捨象する瞬間においてである。それゆえ本書は、神話や民話といった具体的なものの分析ならびにプラトンの対話篇にヴェイユが参与するという営み、あるいはまた、ソクラテス以前の哲学者たちの章句がはらむ霊性をヴェイユ自らのイメージにおいて映し出そうとする営みを中心に展開される。
目に見える現象(あらわれ)ではなく、現象を超えて心に映し出されたイメージが実在(リアリティ)を形作る。その実在の感情とは、わたしたちの内側から溢れ出る美の感情にほかならない。こうして、デカルトの「われ考える、ゆえにわれあり」は、ヴェイユにおいて「われイメージする、ゆえにわれあり」へと転回する。本書は、この転回を見事に映し出す一冊である。(今村純子)
[↑ページの先頭へ]