第2回研究発表集会報告 シンポジウム「生きている神話、あるいはレヴィ=ストロース」

シンポジウム 「生きている神話、あるいはレヴィ=ストロース――「野生の知」を求めて」

報告:橋本 一径

11月18日(日) 14:00-17:00 18号館4階コラボレーションルーム1

シンポジウム 「生きている神話、あるいはレヴィ=ストロース――「野生の知」を求めて」


【パネリスト】
渡辺 公三(立命館大学)
木村 秀雄(東京大学)
佐藤 吉幸(筑波大学)

【司会&コメンテーター】
小林 康夫(東京大学)

「構造主義」の旗手クロード・レヴィ=ストロースが提唱した「野生」の理性は、サルトルの唱える歴史的理性に対するアンチテーゼという1960年代のコンテクストを超えて、今日どのように問い直されうるのか。言い換えれば、「今、どのような形で《理性》は可能か?」 司会の小林氏によるこの問いを導きの糸とした本シンポジウムはまず、1972年に収録されたインタヴュー映像により、レヴィ=ストロースの肉声を召喚することから出発した。100歳の誕生日を目前にしてなお健在のこの思想家に対しては、2005年秋にも、この日のパネリストのひとりである渡辺氏によってインタヴューが試みられている(みすず書房刊『レヴィ=ストロース『神話論理』の森へ』に所収)。

その渡辺氏の報告では、1950年代からのレヴィ=ストロースの思想の軌跡がたどりなおされ、フランスで64年から刊行の始まった『神話論理』の視点が、50年代末にはすでに準備されていたことが確認されてから、『野生の思考』(1962)において提示された、思考を媒介するものとしての「種」という考え方が、サルトルの言う歴史的理性に対する批判に偏りすぎており、『神話論理』で繰り広げられることになる、種の「超」多様性を前にした神話の詩学からすると、人間と動物の関係をめぐる考察としてはきわめて限定的なものであることが明らかにされた。また1950年の講義「魂の来訪」では、人間にとっての死を正面から扱っていたことが指摘されたが、これもまた、レヴィ=ストロースを「構造主義者」とみなそうとする際には、見過ごされがちな側面である。日本語版では全五巻での刊行が予定されている『神話論理』は、渡辺氏らの訳になる第三巻『食卓作法の起源』が先ごろ刊行されたところだが、構造主義の影に隠れた詩学を読み解くという、今後もなされていくべき作業の一端が、手際よく示されることになった。

続く木村氏の報告では、南米をフィールドとする文化人類学者としての氏がレヴィ=ストロースの仕事と向き合う際のある種の「困難」が、身振りや図解を交えてダイナミックに論じられた。レヴィ=ストロースの著作が依拠する具体的なデータが、民俗誌的には多くの「間違い」を含むことは、周知の事実である。しかし数ある論者がその「間違い」をいくら指摘したところで、レヴィ=ストロースの思想の「構造」が、少しも揺るがないのはなぜなのか。この疑問を出発点として氏は、レヴィ=ストロースの立つ視座の、他の論者との「次元」の違いに注目する。たとえばレヴィ=ストロースの語る「料理の三角形」を、二次元的なレヴェルから、「三角形ではなく、二つの線分が組み合わさっているだけだ」と批判することが無意味なのは、レヴィ=ストロースの三角形が、三次元的なねじれの構造を平面が斜めに切り裂いた結果、たまたま三角形に見えただけに過ぎないかもしれないからだ。抽象度を上げた次元から、一見何の関係もないものを、同じ平面に並べること。レヴィ=ストロースの霊感的な天才はそこにあるのであり、これはフィールドワークで集めた具体的な個物から帰納的に導き出されるようなものではない。最後に木村氏は、言わばレヴィ=ストロースに成り代わって、アンティゴネーの悲劇を題材に、この神話を語る際の常套である「近親相姦」とは別の切り口で論じる視点を素描してみせた。

最後の報告者である佐藤氏は、ラカンとアルチュセールという、いわゆる「フランス現代思想」を語る上で欠かすことのできない二名に焦点をあて、彼らのレヴィ=ストロースに対する思想上の距離の変遷を、明快な理路により描き出した。想像界に対して象徴界を優位に置く1950年代のラカンが、レヴィ=ストロースに明示的に依拠しながら、主体の象徴界への参入の理論を語っていたのに対し、60年代以降に現実界が重視されるようになると、その理論においてはもはや構造の内部における主体の形成ではなく、構造の生成そのものが争点となる。他方のアルチュセールも、上部構造の下部構造に対する自律性を語る際には、レヴィ=ストロースからの影響をある程度示していた一方で、時間概念や形式主義に関して、レヴィ=ストロースへの激しい批判を繰り広げる。ラカンとアルチュセールはいずれも、「主体」(ラカン)あるいは「革命」(アルチュセール)をめぐって、「構造の生成」の理論化に向かうにあたり、レヴィ=ストロースのある種の「乗り越え」を行う。しかし彼らの理論が依然として「構造」に依拠していることに変わりはなく、それは構造の理論の発展的な展開とでも言うべきものであったことが確認された。

具体的なデータの誤りの指摘をあざ笑うかのような理論を築き上げ、インタヴューにおいては問いをことごとくはぐらかすレヴィ=ストロースは、われわれとは異なる次元に常に立ち続ける。三名からの報告の後の討議においては、ラカンやアルチュセールによる批判もまた、ある意味で「的外れ」であったことが各パネラーから指摘された。あくまでも具体物に依拠しながら、高度に抽象的な次元からそこに「斜めの媒介線」(小林)を走らせ、誰にも見えないような構造を現出させるレヴィ=ストロース。若い頃政治を志すものの、無免許で脱輪事故を起こし断念したというエピソードから、この日「脱輪の思想家」と命名された彼の身振りは、百歳を迎えようとしてなお軽やかである。

橋本 一径(日本学術振興会特別研究員)

渡辺 公三

木村 秀雄

佐藤 吉幸

小林 康夫