新刊紹介 単著 『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル』

石橋正孝
『〈驚異の旅〉または出版をめぐる冒険 ジュール・ヴェルヌとピエール=ジュール・エッツェル』
左右社、2013年3月

フランスの伝説的編集者ピエール=ジュール・エッツェルは、ジュール・ヴェルヌの信奉者にとっては、作家の創作に不当に介入して作品をねじ曲げた、忌まわしき存在である。ヴェルヌの作家性を神聖化するこのような態度を、本書の著者が共有していないのはもちろんであるが、かといって本書は、ヴェルヌ作品の裏側で編集者エッツェルが糸を引いていたことを、スキャンダラスに暴き立てるわけでもない。残されたゲラや草稿、書簡を丹念にたどりながら、本書が明るみに出すのは、作品の分冊刊行や挿絵の追加などの外的な条件により、エッツェルとヴェルヌが期せずして生み出してしまった「システム」である。「驚異の旅」シリーズを構成するヴェルヌ作品は、エッツェルとヴェルヌの両者がこの「システム」に巻き込まれることによって出現することになった産物であり、その制作の現場は、作家と編集者の愛憎関係のような、ありがちな紋切り型にはとうてい還元しきれるものではない。

本書の白眉はしかし、この「システム」が、単に制作の原動力となっていただけではなく、エクリチュールの水準にまで及んでいることを示した点にあるだろう。それはたとえばヴェルヌ作品における特権的な乗り物のひとつである気球の姿に結実する。作家自身すらその将来性に何ら信を置いていない、風まかせに移動するだけの、しかしそうであるがゆえにこそ時に魅力的でもあるこの操縦不能の乗り物は、「システム」が生み出した作品の姿そのものである。文学研究における主要な方法論のひとつとなりつつある生成研究が、単に作品の舞台裏を暴き出すだけにとどまらず、エクリチュールの次元にも新たな光を投げかけることが可能であることを示した本書は、今後の文学研究のあり方すら予感させる問題作である。(橋本一径)