新刊紹介 単著 『サスペンス映画史』

三浦哲哉
『サスペンス映画史』
みすず書房、2012年6月

映画の魅惑はサスペンスにある。サスペンスとは、登場人物が安全を奪われ、拠りどころのない状態に置かれることだ。例えばグリフィスの『東への道』の、氷上で失神して川に流されて行くリリアン・ギッシュをリチャード・バーセルミが瀑布の手前で間一髪救出するという名高いシーン。そのとき観客は、単に両者を交互に映し出す並行モンタージュという技法によってハラハラさせられるだけではない。それ以前に私たちはまず、彼らを支えるべき大地の喪失という事態に魅惑されているのだ。あるいはキートン映画の魅惑。それは、彼の人並み外れたアクロバティックなアクションにあるのではなく、彼を取り巻く外界そのものの失調が大規模に視覚化されることにあるのだ。

こうして本書は、感情移入によって生まれる「能動性」や「自由」の経験として語られてきたさまざまな映画作品群を、「受動性」と「不自由」の体験へと読み替えていく膨大な作業を行っていく。グリフィス、バーレスク映画、ラング、ウェルズ、ヒッチコック、イーストウッド。その読み替えられた映画史が、現実の大地が大きく揺れるという出来事を経験した後の私たちのもとに送り届けられたのは偶然ではない、と誤読する権利を読者は持っているはずだ。(長谷正人)