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多島海・漂泊──リオタール・レヴィナス国際シンポジウム

報告:渡名喜庸哲

2024年は、ジャン=フランソワ・リオタール生誕の100年目にあたる。国内外を見渡しても記念行事がそれほど目立って開催されたわけではないが、日本では松葉類によるリオタール『レヴィナスの論理』の邦訳、星野太による『崇高と資本主義──ジャン=フランソワ・リオタール論』などそれなりに関心が集まった。そのなかで、レヴィナス研究で知られると同時にリオタール『言説、形象』を訳した合田正人が主催した「多島海・漂泊——別の仕方で レヴィナス『存在するとは別の仕方で』刊行50年・リオタール生誕100年記念国際シンポジウム」(明治大学、2024年7月13日)は異彩を放っていた。同年は合田が訳出したレヴィナスの第二の主著『存在するとは別の仕方で』の公刊50周年でもあり、これまでつなげて論じられることの少なかったこの二人を合わせて読むという機会が実現したのだ。

『リオタール哲学の地平』の著者でいくつかの訳書のある本間邦雄、また上述の星野ら世代を跨ぐ日本のリオタール研究者に加え、合田、越門勝彦および渡名喜がレヴィナスとのかかわりリオタールを論じた。それだけでない。いずれもパリ・ナンテール大学に属するティエリー・オケおよびフランソワ=ダヴィッド・セバーが参加することで、アプローチはさらに多角化する。セバーは従前より「現代フランス哲学」という観点でリオタールとレヴィナスをつなげて読んでいたが、今回は「顔」の有無がその焦点となった(ただし、セバーは会の直前に生じたアクシデントにより不参加となり、原稿が代読された)。これに対し、オケは「脱植民地主義」という新たな観点からリオタールとレヴィナスを読解した。リオタールにしても、レヴィナスにしても、50年、100年経っても、まだまだ古典として「停泊」せず、「漂泊」してはさまざまな「島」を渡り、つなぎ、新たな思考を触発する。そのような流れに触れることができた機会だった。

1. 「多島海・漂泊:リオタール・レヴィナス国際シンポジウム」報告.jpg

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年2月23日 発行