オンライン研究フォーラム2024

研究発表4

報告:沢山遼

日時:2024年11月23日(土)16:00-17:30

  • イ・ブルの作品におるシャーマニズムの表象/Cho Hyesu(東京藝術大学)
  • からだは「反イメージ」になる──ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの「ブループリント」について/柴山陽生(横浜国立大学)

【司会】沢山遼(武蔵野美術大学)


2024年11月23日、表象文化論学会オンライン研究フォーラム2024が開催され、研究発表4として、Cho Hyesuさん(東京藝術大学)の「イ・ブルの作品におけるシャーマニズムの表象」、柴山陽生さん(横浜国立大学)の「からだは「反イメージ」になる──ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの「ブループリント」について」の発表が行われた。

Hyesuさんの発表では、韓国のアーティスト、イ・ブルの活動におけるシャーマニズムとの関係が考察された。その発表によれば、国際的な知名度を獲得したイ・ブルの仕事は、そのキャリアを積み上げる過程で、主に西洋における哲学や批評的視点から考察されることが多かったという。具体的には、アブジェクト、崇高、ディストピア、サイボーグといったトピックである。そこでは、いずれもイ・ブルの作品が、改造され、拡張された身体像として解釈されてきた。たとえば、腐っていく生の魚を使用した作品は一種のアブジェクション(ジュリア・クリステヴァ)として、またサイボーグやモンスターという論点に関しては、ダナ・ハラウェイら、サイバー・フェミニズムの言説と結び付けられてきたという。

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Hyesuさんは、こうした西洋的な文脈による言説に欠落した論点として、朝鮮半島の伝統的なシャーマンである巫堂(ムダン)の存在とイ・ブルの作品との関わりに注目する。イ・ブルと巫堂との関係についてはこれまでまったく触れられてこなかったわけではない。が、それらはいずれも断片的または比喩的なものにとどまっている。

Hyesuさんは、本研究において、実際に作家へのインタビューを行い、作家自身が巫堂や巫俗と呼ばれる韓国のシャーマニズムへの関心やそれに関連する夢を見たことがあったという証言を引き出している。それは、非科学的・非合理的と見なされる伝統的な巫俗信仰との潜在的な関わりが、作家の評価が国際的なものとなる以前の段階で存在していたということである。韓国シャーマニズムは、集団的な行為遂行性をもちながら身体の限界を可視化するという点において、同じく抑圧された個別的で限定的な身体からの超出を試みていたイ・ブルの活動との比較可能性をもちうるという点が論じられた。

続く柴山さんの発表では、ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの共作である「ブループリント」のシリーズが考察された。柴山さんは、レオ・スタインバーグやロザリンド・クラウスらによってラウシェンバーグののちの作品群の先駆けとなるものとして評価されてきた「ブループリント」が、彼の一連の「コンバイン・ペインティング」との比較において特異な差異をもつという点を強調する。

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「ブループリント」において、身体は直接的な影として現れる。柴山さんは、ハンス・べルティングの著作『イメージ人類学』の議論を参照しながら、一連の「ブループリント」が、身体や事物などのシルエットが「干渉的結合」によって歪められ、「影と身体との存在論的差異」を示す「反イメージ」であると主張する。発表では、「ブループリント」のこの「干渉的結合」が、具体的な作品分析によって論じられた。

柴山さんによれば、ベルティンクは「影と身体との存在論的差異」と彼が呼ぶものを①「不死性を獲得する」「イメージ身体」と②「死を免れぬ」「自然身体」の二つの身体像を通じて論じている。

柴山さんは、ベルティンクの理論を適用し、ラウシェンバーグとスーザン・ウェイルの一連の「ブループリント」に現れるかたちを「反イメージ」であると述べる。「反イメージ」として、視覚的表象としてのイメージは、自己批判的にその不完全性や限界を明らかにする。また、「ブループリント」は、「干渉的結合」によってその形を歪められており、「死を免れぬという身体の真理」を顕にする「反イメージ」となるという。柴山さんの発表にある「干渉的結合」によって歪められたかたちが、「死を免れぬという身体の真理」を顕にする「反イメージ」になるという議論の展開には唐突な飛躍を感じたが、生の観点から語られることの多いラウシェンバーグの作品を死の問題を通じて検証する論点には新鮮さを感じた。

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イ・ブルの作品におけるシャーマニズムの表象/Cho Hyesu(東京藝術大学)

韓国のアーティストであるイ・ブルの研究は、これまで主に国際的なキャリアを積み重ねた2000年代以降の作品を中心に、西欧における哲学、批評の視点から「身体性」を通じて前景化していく「科学」、「ディストピア」といったキーワード、グロテスク、アブジェクト、崇高といった美学理論を通じて考察されてきた。しかし、彼女の初期作品について考えるには、むしろ非科学的・非合理的と見なされる巫俗信仰の特徴、国際化以前の伝統性に目を向ける必要がある。
本発表では、20代にシャーマニズムに関心を持っていたという彼女のインタビューをはじめ、韓国のシャーマンの祖先として考えられている「バリ姫の神話」、韓国シャーマニズムの特徴である「修行」、「苦痛」、「接触」、「憑依」といった視点を軸に、《堕胎》(1989)と《晩冬山、裸で走る》(1990)といった作品を再考し、これらの作品において身体がどのように機能しているのかを明らかにしていく。本研究は、身体の限界の視覚化と集団遂行性を大きな特徴とする韓国シャーマニズムと、身体を超越する人類の願望を想像する科学的ユートピア/ディストピア的な展望を比較しながら考察することで、前期と後期の作品の連続性を明らかにし、時代を通して変化し断絶していると見なされてきたイ・ブルの作品世界の構造を捉え直したい。

からだは「反イメージ」になる──ロバート・ラウシェンバーグ+スーザン・ウェイルの「ブループリント」について/柴山陽生(横浜国立大学)

ロバート・ラウシェンバーグの──スーザン・ウェイルとの共作──「ブループリント」シリーズ(1949-1951)は、ロザリンド・クラウスらによって、 「フラットベッド絵画平面」(レオ・スタインバーグ)と関係していることから、その後の彼の、「コンバイン」(1954-1964)、「シルクスクリーン絵画」(1962-1964)といった作品シリーズの先駆けだと見なされてきた。しかし彼女は同時に、なぜその後のラウシェンバーグがブループリントの技法へと戻らなかったのかという問いを示唆している。本発表はその問いに対し、それらの作品シリーズとは異なり、ブループリントでは人間の等身大の「からだ」が組み込まれ、それが他のものと「結合」されており、そのために生じることがその妨げになったのだと主張する。
クラウスはそれらの作品シリーズを、精神的(mental)空間にイメージを取り込んだものとして論じているが、その空間内にからだは現れない。一方でブループリントにおいてラウシェンバーグらは、からだを──直立姿勢かのように──被写体とし、それに重力に抗う「力」を与えるために、他のもの──例えば、《スー(Sue)》におけるスカート──と(間隙なく)結合することで、その結果からだを「損傷」・「歪形」し、それを「反イメージ」──ハンス・ベルティンクはイメージを死者の不在を満たすためのものだと考え、対して死体のイメージをそう呼ぶ──としてしまっているのだ。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年2月23日 発行