研究ノート

クレメント・グリーンバーグの初期批評の形成 ブレヒト論から「アヴァンギャルドとキッチュ」へ

大澤慶久

はじめに

20世紀の美術批評家クレメント・グリーンバーグは、抽象表現主義や広くモダニズムの絵画を積極的に批評・評価したことで知られる。彼が1939年に『パーティザン・レヴュー』で発表した最初期の評論「アヴァンギャルドとキッチュ」*1は、編集者たちから「成功」と評価され、アメリカの哲学者ジェームズ・バーナムも同誌における最高の記事と絶賛した*2。この評論は、グリーンバーグが美術批評家として名を広めるようになる重要なものであった。

*1 Clement Greenberg, “Avant-Garde and Kitsch,” Partisan Review, vol. 6, no. 5, fall, 1939, pp. 34-49.
*2 Clement Greenberg, The Harold Letters 1928-1943: The Making of an American Intellectual, Janice Van Horn(ed.), WA: Counterpoint Press, p. 211.

しかし、「アヴァンギャルドとキッチュ」は彼の批評家としてのデビュー作ではない。同年、『パーティザン・レヴュー』に発表された「ベガーズ・オペラ──マルクス以後」*3というブレヒトの『貧者の一銭』の書評が、彼の最初の評論である。また、1941年にも「ベルトルト・ブレヒトの詩」も発表された*4。グリーンバーグがブレヒトを主題として論じたものはこれらの初期批評の二篇ではあるものの、ブレヒトは彼が批評家として活動を始める以前から強く関心を抱いていた作家である。さらに後年、彼はこのブレヒトへの関心と考察が「アヴァンギャルドとキッチュ」の萌芽であったと述べている。そこで本研究ノートでは、グリーンバーグの初期批評形成過程を一次資料から跡付けるとともに、先行研究における方法論的な問題を指摘することを目的とする。以下では、まず、批評家として活動を始める以前の彼のブレヒトに対する関心が、後年、「アヴァンギャルドとキッチュ」の萌芽となった過程を、親友に宛てた書簡とインタヴューの記録から明らかにする(第1節)。次に、ブレヒト論と「アヴァンギャルドとキッチュ」との関係性を論じた重要な先行研究としてフロイオの研究を取り上げ、その議論の概要を示す(第2節)。そして、フロイオの研究における引用と解釈の方法論的な問題について検討する(第3節)。

*3 Clement Greenberg, “Beggar’s Opera: After Marx,” Partisan Review, vol. 5, no. 2, winter, 1939, pp. 120-122.
*4 グリーンバーグは実に数多の批評を執筆しているが、1961年に出版されたグリーンバーグの批評選集である『アート・アンド・カルチャー』に「ベルトルト・ブレヒトの詩」を収録していることから、ブレヒトの存在が批評家にとっていかに重要な存在であったことがうかがえる。

1 1930年代初頭のブレヒトへの関心とその「アヴァンギャルドとキッチュ」の萌芽

まず、グリーンバーグが批評家として活動を始める以前のブレヒトに対する彼の関心から確認しよう。グリーンバーグはシラキュース大学在学中の親友ハロルド・ラザルスへ宛てた1931年12月17日付けの書簡で、ブレヒトを発見したことについて次のように述べている。「最近、私がドイツの文壇において発見した新しい星はベルトルト・ブレヒトです。『都会のジャングル』を読みました〔……〕そのセリフはウェブスターの作品でみられる目覚ましい「遊び」で溢れています。鋭い警句の交替からは、突然、意義深い瞬間や場面が訪れますが、それらは劇全体にはまったく必要のないものなのです。〔……〕彼はカイザーを上回る衝撃的な存在です」*5

*5 Greenberg, The Harold Letters, op. cit., p. 55.

このようにグリーンバーグは1931年にはじめてブレヒトの作品を知り、その作品構造がもたらす「遊び」やプロットに無関係な唐突な瞬間に深い感銘を受け、高く評価していることが分かる。翌年の1932年2月3日付けのラザルスへの書簡においても、「ブレヒトから目を離さないようにしてください。カイザーが閉じたシステムであり、総体的に非難されうる欠陥を除けば、いかなる欠陥も含まないのに対し、ブレヒトは欠陥で溢れています。しかしながら、それは最良の欠陥なのです。ブレヒトは、クライスト、ビュヒナー的伝統に属しているので、いくらか短所を持たざるを得ないのです」*6というように、グリーンバーグがほかの優れたドイツの劇作家と比較しながら、ブレヒトに感銘を受けている様子がうかがえよう。ほかにも、「わたしはいまベルトルト・ブレヒトに捧げる論考をタイプしている最中です」(1933年1月30日付け)*7など、ブレヒトに関する肯定的な言及が親友ラザルスに宛てた書簡の中で散見される。以上のようなブレヒトに対する高い評価と強い関心を踏まえると、グリーンバーグのデビュー作がブレヒト論となったことが頷けるのではないだろうか。

*6 Ibid., pp. 57-58.
*7 Ibid., p. 79.

では次に、そのようなブレヒトについてのグリーンバーグの評価や関心が、「アヴァンギャルドとキッチュ」の萌芽となっていたことについて確認したい。そこで、1983年11月20日に行われたトリシュ・エヴァンズとアート・アンド・ランゲージのメンバーであるチャールズ・ハリソンによるインタヴューをみてみよう。ハリソンは、「「アヴァンギャルドとキッチュ」は何らかの熟考の結果のようにも解釈でき、芸術がいかなるものかについて非常に具体的に書かれています」という質問に対し、グリーンバーグは次のように応えている。「実際に36年頃から改めて考え始めました。「アヴァンギャルドとキッチュ」について考えるようになったのは、ブレヒトがきっかけなのです。そして幅広い公衆が理解できる高尚な芸術を制作するという課題、そしてそれが当時なぜ行われておらず、また行うことができなかったという問題が背景にありました」*8

*8 Clement Greenberg, Clement Greenberg: Late Writings, Robert C. Morgan (ed.), MN: University of Minnesota Press, 2003, pp. 171-172.

すなわち、幅広い公衆が理解でき、かつ高尚である芸術、つまり広く受け入れられる内容をモチーフにし、異化によって観客の感情移入を阻害し反省を促すブレヒトの叙事演劇が、「アヴァンギャルドとキッチュ」へと展開されるきっかけになったと考えられる。では、このような形成過程は、具体的にどのように理解されてきたのか。次節では、ブレヒト論と「アヴァンギャルドとキッチュ」の関連性について論じた重要な先行研究を検討することにしたい。

2 フロイオによるブレヒト論と「アヴァンギャルドとキッチュ」の関係性の解明

カミラ・フロイオによる2021年の「ブレヒトへの帰趨──クレメント・グリーンバーグのアヴァンギャルドとキッチュ」は、ゲッティ研究所所蔵のグリーンバーグの個人文書を一次資料とする、1939年のブレヒト論と同年の「アヴァンギャルドとキッチュ」の関連性をめぐる考察である。グリーンバーグは、1939年1月16日付けのハロルドへの書簡において、『貧者の一銭』の書評とは別に、ブレヒトの詩についての批評を書いていることを記している*9。そしてそこからは、編集者フィリップ・ラーヴにより改稿を促されていることが読み取れる。「わたしのもう一つの作品、評論について、それはブレヒトの詩についてのものであり、彼自身についてのものではないですが。もちろん、彼の詩についての私の考察が不十分ではあるものの、無益なものとは思いません〔……〕ラーヴの意見についていえば、わたしは基本的に自分が最初に設定した指針──大衆詩とスターリニズム──にしたがって書き直さなければならないでしょう」*10。フロイオはこの点に着目し、改稿前のグリーンバーグによるブレヒトの詩論を、ゲッティ研究所所蔵の個人文書から、「ベルトルト・ブレヒトの諸相 [Aspects of Bertolt Brecht]」と題された草稿であると特定した。フロイオによれば、「22ページにもおよぶこの草稿には、ラーヴへの提出の前後に確実にグリーンバーグによりなされた手書きの修正と注釈の形跡が残って」*11おり、また、「六つのグループの断片的なメモが「ベルトルト・ブレヒトの諸相」と、間もなく執筆される「アヴァンギャルドとキッチュ」の隔たりを埋め、二つの評論を仲介するものである」*12という。

*9 Greenberg, The Harold Letters, op. cit., pp. 191-192.
*10 Ibid.
*11 Froio, To Brecht and Back. Notes on Clement Greenberg’s Avant-Garde and Kitsch, Aisthesis. Pratiche, Linguaggi E Saperi dell’estetico, vol. 14, no. 1, 2021, p. 156.
*12 Ibid., p. 157.

では、未発表のブレヒト論のどのような点が両論の間隙を埋めるのか。これは二つの問題に集約できる。ひとつは、「ブレヒトの作品分析」であり、いまひとつは、「後期資本主義下において広く普及した大衆文化のイデオロギー的かつ政治的介入」である*13

*13 Ibid., p. 156.

前者からみていこう。フロイオいわく、未発表のブレヒト論では、グリーンバーグが冒頭にて、「洗練された文体と非形式的な言葉づかいの実験的な相互作用を強調している」*14と述べている。すなわち、「両方のレトリックの独自の共存」であるところの「文化的交配」とされる*15。「二つの対立する要素、すなわち大衆・民衆文化 [popular-folk culture]とアヴァンギャルドが、ブレヒトの芸術に独自の交配的所産において共存すること」が未発表のブレヒト論において中心となる観察であり、またこのことは「民衆芸術と代用文化〔キッチュ〕との関係性についての考察と密接な関連性をもって進められた」とフロイオは述べている*16。つまり、「アヴァンギャルドとキッチュ」に先立ち、民衆芸術およびキッチュとアヴァンギャルド芸術という構造、また民衆芸術とキッチュとの関係性が、未発表のブレヒト論にはすでに現れていたということである。

*14 Ibid., p. 157.
*15 Ibid.
*16 Ibid.

後者「後期資本主義下において広く普及した大衆文化のイデオロギー的かつ政治的介入」についてはどうだろうか。これについてフロイオは明示的には論述していないが、次のように理解できる。「アヴァンギャルドとキッチュ」では、資本主義社会が生み出した、人々が容易に快適を得られる産物を、ファシズムがプロパガンダとして利用するという全体主義批判がその根底に頑としてある。その産物こそ、キッチュである(一方で、アヴァンギャルドの芸術は大衆の感覚に即座に訴える性質を持たずプロパガンダとしては利用しにくい*17)。ただしグリーンバーグはこの評論において「大衆文化 [popular culture/mass culture]」という表現を使用しておらず、厳密にはグリーンバーグにおいて大衆文化がそのままキッチュと同一視されるわけではない。とはいえ、大衆の多くが受容する即時的な快適を与える生産物にファシストたちがプロパガンダを注入した点で、「イデオロギー的かつ政治的介入」であるといえる。したがって、未発表のブレヒト論には、「アヴァンギャルドとキッチュ」の萌芽があったというフロイオの解釈は一定の妥当性が認められる。

*17 Greenberg, “Avant-Garde and Kitsch,” op. cit., p. 47.

3 フロイオの研究における方法論的問題

このようにフロイオの研究は、ゲッティ研究所所蔵のグリーンバーグの個人所蔵資料から、未発表の評論「ベルトルト・ブレヒトの諸相」が、「ベガーズ・オペラ──マルクス以後」と「アヴァンギャルドとキッチュ」の間に位置し、後者の萌芽として考察を展開した重要な研究である。しかし、この研究には二つの方法論的な問題が存在すると考えられる。

第一に、「ベルトルト・ブレヒトの諸相」の内容に関する解釈が大まかなレベルにとどまっている点である。フロイオの論文では、実際のグリーンバーグの記述を引用し、それに基づいて考察を展開するものではない。あくまでフロイオの解釈の提示のみにとどまり、実際のグリーンバーグの記述内容とフロイオの解釈との関係性が明らかにされていないということである。それゆえ、大まかな解釈として読まれかねない。たとえば、フロイオが用いる「大衆・民衆文化 [popular-folk culture]」という表現について、グリーンバーグが実際にこの用語を使用したのか、あるいは大衆文化と民衆文化を同義的に扱ったのかは不明である。

第二に、グリーンバーグのブレヒト論と「アヴァンギャルドとキッチュ」におけるフロイオの説明が明確に示されていない点である。たとえばフロイオは、「批評家は、土着の文化がキッチュの直接的な先駆であり、資本主義の出現以前の高級文化に対する主要な対抗者として考えられなければならなかった」*18と述べているが、この一文が未発表の「ベルトルト・ブレヒトの諸相」におけるグリーンバーグの記述なのか、それとも「アヴァンギャルドとキッチュ」に基づくフロイオのグリーンバーグ解釈なのか判然としないところがある。前者として捉えると、フロイオの「〔「ベルトルト・ブレヒトの諸相」における〕グリーンバーグの初期の意図は、支配的な大衆文化の物語(まだキッチュとは呼ばれていなかった [not yet called kitsch])」*19という見解と整合しない。後者「アヴァンギャルドとキッチュ」として理解すると、民衆文化とキッチュを区別するグリーンバーグの見解と一致しない。すなわちグリーンバーグは、田舎を背景として生まれた「民衆文化 [folk culture]」と、都市で生まれた「キッチュ」とをその背景において区別している*20。また、グリーンバーグは、民衆文化が高い水準を有することを認めている。すなわち、「民衆芸術のような大衆のための芸術は原初的な生産条件のもとで発展し、そして民族芸術の多くが高い水準にあるという反論がなされるだろう。確かにそのとおりである」*21とグリーンバーグは述べている。それに対してキッチュは、「真正の文化の堕落し、アカデミー化された模造品」*22とされ、高い水準をも有する民族芸術とは異なるものである。

*18 Froio, op. cit., p. 157.
*19 Ibid., p. 156.
*20 Greenberg, “Avant-Garde and Kitsch,” op. cit., p. 39.
*21 Ibid., p. 49.
*22 Ibid., p. 40.

以上の点から、フロイオの研究は未発表の「ベルトルト・ブレヒトの諸相」と「アヴァンギャルドとキッチュ」との関係性を示す重要な端緒であるが、具体的な引用に基づいた実証的な分析が求められる。特に、両者の解釈が交差する箇所についてさらなる検証が必要であろう。とはいえ、グリーンバーグが自身のインタヴューで明かしているように、ブレヒトの芸術に対する関心が「アヴァンギャルドとキッチュ」の着想の源泉となったことは確かであり、この点においてフロイオの研究は、グリーンバーグの初期批評の形成過程を考察する上で重要な視座を提供するものであるといえる。

おわりに

本研究ノートでは、グリーンバーグの初期批評の形成について、彼が批評家としてデビューする以前から強い関心を抱いていたブレヒトの芸術が、「アヴァンギャルドとキッチュ」の着想の源泉となっていたことを書簡やインタヴューから明らかにした。また、フロイオの先行研究を検討することにより、未発表の「ベルトルト・ブレヒトの諸相」と「アヴァンギャルドとキッチュ」との関係性を探る重要性が示唆された一方、その解釈にはなお検討すべき問題が残されている。

したがって今後の課題は、フロイオが調査した未発表評論やメモの具体的な内容をさらに掘り下げることである。さらに、グリーンバーグのインタヴュー内容を踏まえ、ブレヒト論と「アヴァンギャルドとキッチュ」との関連性を詳細に分析することが必要である。すなわち、ブレヒトの叙事演劇における異化効果がグリーンバーグの問題意識にどのように影響を与え、「アヴァンギャルドとキッチュ」に反映されているのか。この問いを追求することが依然として重要な課題である。

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2025年2月23日 発行