歴史を「観察」する ヘッケルの「生物発生原則」から
はじめに
あらゆるものには、「歴史」がある。もし私たちが、例えば手ずから本棚を作ろうとするならば、木材を買い、長さを測り、切断し、組み立てるといった、一連の作業を行うこととなる。またそのためには、私たち自身の経験や能力のみならず、木々の成長や伐採あるいは道具の発明や改良といった、様々な過程が前提となる。ごく簡易的な家具を制作するだけでも、様々な出来事の「積み重ね」が必要なのだ。ましてや自然界に生息する生物の精妙な形態や機構ともなれば、それらの成立には一体いかほどの共時的・通時的要因が寄与しているのだろうか。進化論の祖チャールズ・ダーウィンは、『種の起源』において発明品と生物を比較しながら、次のように記している。
私たちがもはや、未開人が理解をまったく超えた存在として船を見るように生物を見ることをやめるとき、自然界のすべての産物には歴史(a history)があるとみなすとき、私たちが機械的発明品を多くの職人たちの労働と経験、理性、そして失敗の積み重ねとみなすのと同様に、生物のあらゆる複雑な構造や本能をその持ち主にとって有益な様々な工夫の積み重ねとみなすとき、私たちが生物をそのように眺めるとき、私の経験から言って、自然史の研究は今よりもなんと興味深いものになるだろうか*1。
*1 Charles Darwin, On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life (London: John Murray, 1859), pp. 485–486. 邦訳は、チャールズ・ダーウィン『種の起源』渡辺政隆訳、上下巻、光文社古典新訳文庫、2009年を適宜参照した。
たしかに進化論は、目的因や生命力といった思弁的仮定に依存することなく、変異と淘汰のメカニズムによって生物の合目的性を機械的に説明したことで、以後の生物観に決定的な変革をもたらした。しかし、生物学者エルンスト・マイアが「至近因と進化因」*2を区別する必要があると訴えたように、生物学では直接的な生理学的原因とともに、系統発生という歴史的要因が問題となる。「自然界のすべての産物には歴史がある」という上記の一節は、生物を「物理・化学的機械」に貶めることなく、それらが通過した数十億年の期間に目を向けるよう促している。
*2 Ernst Mayr, The Growth of Biological Thought: Diversity, Evolution, and Inheritance (Cambridge, MA: The Belknap Press of Harvard University Press, 1982), p. 73.
もちろん、歴史を直接に観察ないし体験することは不可能である。タイム・マシンが現実の科学ではなくサイエンス・フィクションという撞着的想像力に委ねられる限り、実際のところ生物学者は、考古学者が遺構から在りし日の大帝国の都を思い描くように、現存の生物を「痕跡」として、その種の太古の姿を予想することしかできないはずだ。しかし科学の歴史のなかには、専門家としての規律と制約を飛び越えた大胆な夢想家がときおり登場する。
「生物の歴史学」としての進化論
一元論的世界観の闘士エルンスト・ヘッケル(Ernst Haeckel 1834–1919)は、進化論と歴史学の親和性を鋭く看破した生物学者の一人であった。第50回ドイツ自然研究者医師会議のなかで行われた講演「綜合科学との関係における今日の進化論について」(1877年)から、彼の教義を確認していこう*3。この講演の冒頭でヘッケルは、進化論には証拠がないと訴える人々に対し、そもそも厳密な数量化は天文学や物理学においてのみ可能であるとして、次のように反論する。
*3 Ernst Haeckel, „Über die heutige Entwicklungslehre im Verhältnisse zur Gesamtwissenschaft,“ in Gemeinverständliche Werke, Bd. 5, Hrsg. von Heinrich Schmidt (Leipzig: Alfred Kröner; Berlin: Carl Henschel, 1924), S. 143–161. 以下、EVGとして本文中に頁数を記す。
原則としては、可能な限り精密な、また可能ならば数学的な理由づけがあらゆる科学に対し要請され続けるとしても、それは生物学の専門の大部分では貫徹不可能である。それどころかここでは、精密な数学・物理学的方法に、歴史的方法、歴史学・哲学的方法(die historische [Methode], die geschichtlich-philosophische Methode)が交代するのである。(EVG 147)
「歴史的存在としての生物」*4を「発見」した視座において、ヘッケルはダーウィンと重なり合う。そればかりか彼は、徹底した機械論者であったにもかかわらず、自らの方法論を歴史家や言語学者の作法に躊躇なくなぞらえる。系統史の復元を文献学的作業に見立てることで、ヘッケルは以下のように素朴な物理学主義を越えていく。
*4 エドワード・S・ラッセル『動物の形態学と進化』坂井建雄訳、三省堂、1993年、322頁。
ただ歴史的史料の批判的使用によってのみ(Nur durch kritische Benutzung der historischen Urkunden)、慎重かつ大胆な思索によってのみ、近似的認識が間接的に可能となる。系統発生史は、他の歴史学的規範と同様に歴史的史料を用い、それらを活用する。歴史家が年代記や自伝、書簡を手掛かりに、とうに過ぎ去った出来事の鮮明な像を描き出すように、考古学者が彫刻や碑文、道具類の研究によって遠い昔に滅びた民族の文化状態を知るように、言語学者があらゆる同系の現在の言語およびそれらの古い文字記録の比較調査によってある共通祖語からの発達と由来を証明するように、まったく同様に自然史家は今日、系統発生学の史料、比較解剖学と個体発生学、古生物学を利用することで、計り知れぬ時代経過のなかで有機生物の形態変化が地球上で引き起こされた過程の近似的認識に到達するのである。(EVG 149–150)
歴史の「観察者」エルンスト・ヘッケル
だが、かの「生物発生原則」において、ヘッケルは生理学主義的生物学のみならず歴史学の規範からも逸脱する。発生の初期段階では高等生物の胚が下等生物とよく似ている――例えばヒトの場合、胎児が受精卵から分裂を繰り返し人間の姿を成すまでに、魚類や両生類等の成体と類似した姿となる――ことは以前から知られており、19世紀半ばには受精卵からの個体の形態形成、自然界における下等生物から高等動物におよぶ「自然の階梯」、そして古い地層と新しい地層における化石の変化のあいだの相似が整理されていた。しかし、この並行関係が生じる理由は容易に判明せず、発生の普遍的傾向といった自然哲学的解釈に頼らざるを得なかった。
この「謎」に対しヘッケルは、系統発生こそが個体発生の原因であると主張した。つまり彼は、個体発生と系統発生の類似を前者を結果、後者を原因として「因果的」に結び直し、人類の長大な進化の歩みが、ヒトの胎児が発生する数か月間に超高速で「再演」されている、と説いたのである。周知のように生物発生原則はあえなく否定されてしまったが、ここで注目したいのは、個体発生を系統発生の縮約とみなしたことで、にわかに種の歴史が観察可能な対象として浮かび上がったことである*5。ヘッケルは『人類発達史』の第4版において、個体発生を「物理的かつ歴史的」過程として捉える必要性を以下のように訴えている。
*5 「しかし、過去の生物を直接に調査することはできない。[…]そこで、それを強力に補うツールとしてヘッケルが用いたのが『生物発生原則』なのである。彼の一元論的な自然観によれば、ある生物個体の胚発生は、その生物種のたどった系統発生(進化の道筋)を反復するものとなる。これが正しければ、観察のできる個体発生のプロセスから祖先形態を推察して、進化の仮説を作ることができる。」佐藤恵子『ヘッケルと進化の夢――一元論、エコロジー、系統樹』工作舎、2015年、152頁。
発生史におけるいわゆる精密ないし生理学的(――正確には「疑似機械論的」――)方向の主な誤りは、それが非常に複雑な歴史的過程(höchst verwickelte historische Vorgänge)を単純な物理現象(einfache physikalische Erscheinungen)として捉えることにある。例えば、脊椎動物の胚において神経管が表皮から離れたり、あるいはその膨張した前端部でくびれにより5つの脳胞が分かれたりするとき、それは外から観察すれば、非常に単純な物理的過程に見える。しかしこれらが初めて本当に理解されるのは、私たちがそれらを系統発生的原因に関連づけ、また単純に見える発生過程はいずれも長大な歴史的変形連鎖の[…]遺伝的反復であり、その連鎖の成立には私たちの動物的祖先の系統史における、無数の個々の適応と遺伝が数百万年に亘り寄与してきたのだと納得するときである*6。
*6 Ernst Haeckel, Anthropogenie oder Entwicklungsgeschichte des Menschen: Gemeinverständliche wissenschaftliche Vorträge über die Grundzüge der menschlichen Keimes- und Stammes-Geschichte, Bd. 1: Keimgeschichte oder Ontogenie, 4. Aufl. (Leipzig: Wilhelm Engelmann, 1891), S. ⅩⅩⅠ. 強調原文。
たしかにヘッケルが、「系統発生史は精密自然科学ではなく、歴史科学である」*7と判じたこと自体は慧眼であった。それでも、失われた過去を「観察」しようという情動が度を過ぎれば、実際の物理現象には過剰な願望が投影される。生物発生原則は、実在の諸生物を遠大な歴史の「痕跡」とするのみならず、顕微鏡下に観察される発生過程に過去を直接「視る」ことを可能とする、「非科学的」ながらも極めて魅力的な綱領であった。
*7 Ibid., S. XXⅡ. 強調原文。
むすびに
ヘッケルは生物発生原則を提起し、種の歴史こそが個体の形態形成の「真の」原因であると唱えた。彼の主張は遠からず否定されたものの、反復説の再興は優生学や犯罪人類学などに大きな影響を及ぼした。というのも生物発生原則に従えば、白人異性愛者男性を進化の頂点に据えて、異民族や犯罪者、女性、同性愛者などを「未発達な」存在に分類することが可能であったからだ*8。だが写真や測定機器を活用することで相貌に人種や犯罪者の徴候を捉えようという試みは、(疑似)生物学的世界観を恣意的に濫用したばかりではない。それらは、見えざる「本質」を可視的物質上に読み解こうという衝動において、ヘッケルと共鳴している。生物発生原則の本義は、生物種の歴史は直接「観察」可能であるという夢想を通じて、見えざる本質を物理的表出において「視よう」という、新たな「観相学」の流行を刺激したことにあったのではないだろうか。
*8 「人種観には生得的な差が存在すると断言したい者すべてにとって、高等な人種(きまって自分が属する人種)の子供は下等な人種の大人が永久に留まる状態を通過してその先へ進むと説く反復説ほど心引かれる生物学的主張はあるはずもない。[…]この『子供゠原始人』論は、奴隷制度や帝国主義を正当化するために科学が提供した人種差別論の兵器庫の中では最も強力な武器だった。」スティーヴン・J・グールド『個体発生と系統発生』仁木帝都、渡辺政隆訳、工作舎、1987年、191–192頁。
*本研究ノートは、JSPS科研費(24K22437)の助成を受けたものである。