トークイベント「美意識と手仕事──映画『うつろいの時をまとう』と書籍『工藝とは何か』をめぐって」報告
2024年5月15日、東京大学駒場キャンパスに、服飾ブランドmatohuのデザイナー、堀畑裕之さんと関口真希子さん、matohuのクリエイションを描いたドキュメンタリー映画『うつろいの時をまとう』(2023年公開、2024年5月に下北沢で凱旋上映)の監督、三宅流さん、matohuの堀畑裕之さんとの共編著『工藝とは何か』(有限会社ぬりもの/拙考編集室、2024年)を3月に刊行された赤木明登さん、そして、表象文化論の立役者で、近年も『存在の冒険』(水声社、2022年)や『存在とは何か』(PHP研究所、2023年)などで活躍されている小林康夫さんを招き、「美意識と手仕事──映画『うつろいの時をまとう』と書籍『工藝とは何か』をめぐって」と題してお話しいただきました。何とも欲張りな企画なのですが、matohuは流行を追うファッションブランドとは異なる視点で服作りを行っており、そこでは領域を超えた美的追求が行われているので、matohuの制作過程を追う映画監督、matohuとその物作りの追求において共鳴する塗師、といった、matohuの周りに集うクリエイターたちの眼を通して、matohuの特異性を浮かび上がらせたいと思ったのです。またそれを、大学という場で行ってみることも一つの挑戦でした。ですが、一人一人が発表を行う「シンポジウム」ではなく、自由闊達に語っていただく「トークイベント」で、デザイナー、映画監督、工藝家と、領域を異にするクリエイターが4人も登壇するとなると、オーガナイズがかなり難しくなることが予想されました。一歩間違えば焦点の定まらない雑談になりかねません。そこで、私(企画・司会の郷原)が学部生の頃、「身体論」(だったでしょうか?)に三宅一生や森村泰昌を招いて「大学の授業」の概念を大きく書き換えてくださった小林康夫先生のお力を借りることにしました。結果的には、それが大成功でした。小林先生のおかげで、予定調和的でない仕方で議論が展開し、刺激的なトークとなりました。以下、簡単にご報告します。
前半では、映画『うつろいの時をまとう』の予告編を上映した上で、この映画のいくつかのシーンを通してmatohuの服作りに迫ることを試みました。matohuは2010年から2018年まで、「日本の眼」という柳宗悦の概念のもとで、「やつし」「かさね」「ふきよせ」「なごり」など、日本古来の美意識を表す言葉をテーマに全17章のコレクションを発表しました──創造の出発点に言葉が欠かせないのはmatohuの大きな特徴の一つです。たとえば「かさね」は、単色の布を重ねて身近な風景を表す平安時代の「襲色目(かさねいろめ)」を参考にしながら、現代の都会の光景──明け方の空、夕暮れ時の車の渋滞、夜の街のイルミネーション──のうちにも色のかさなりを見出して服で表現しようとするものです。トークでは、関口真希子さんが、どんなふうにそうしたうつろいの一瞬を見つけるのかについてお話しくださいました。たとえば「無地の美」コレクションは、一見無地に見える地面などをあえてカメラで撮ったときに、ひび割れや剥がれ、ほつれなどの無限のテクスチャーが浮かび上がってくるのを捉える、という仕方でなされます。リルケの『マルテの手記』でパリをさまようマルテが試みるように、身近なものを「見ることを学ぶ」のだと付け加えられたのは堀畑さんだったかと思います。
後半では、堀畑裕之さんと赤木明登さんの共編著『工藝とは何か』に焦点を当て、「工藝」としての物作りについて伺いました。赤木さんは輪島塗の工藝作家ですが、matohuのお二人も日本各地を旅し、その土地から生まれた手仕事による「工藝的なもの」を服飾のなかに取り戻す試みをなさっています。ではそもそも工藝とは何なのか、この問いをめぐって、同書では、陶藝家・黒田泰蔵の仕事、禅、民藝、カント哲学を手がかりに対話が行われています。トークでは、輪島塗の器などの工藝品と近代的な技術による大量生産品の差異が問題になりました。私たちはつい手作業の工藝品の方が工場での大量生産品よりも自然環境に優しいと考えがちですが、工藝品はときに自然にきわめて残酷ではないか、という点に小林先生が切り込まれました。それはその通りで、漆は危険を冒しつつ木に傷を付けることによって、藍は膨大な手間をかけて蓼藍の葉を乾燥させ発酵させることによって、絹糸は無数の蚕の命と引き換えに生まれるのであって、植物や動物を傷つけることがその過程に孕まれているということを赤木さんは認めます。ただし、傷を付けられた植物は時間をかけてまた自ずから再生してゆくといいます。工藝品は生と死の連続性を内に孕んでおり、作る過程においても、それを日々使う過程においても、命と直結していると考えられるのです。堀畑さんは、西洋哲学の二項対立図式を持ち込んだ(人為、技術、理性、法の対立概念としての)「自然」という日本語の用法には居心地の悪さを覚えると語られました。この指摘には、私自身、虚を突かれる思いでした。
最後に、映画『うつろいの時をまとう』の制作についても小林先生が切り込んでくださいました。この映画そのものはどのように作られたのか、という問いが三宅さんに投げかけられ、裁断縫製する服作りのようにカットして繋ぐことを基本とする映画作りにおいて、自分は物語性を求めるのではなく、「ワンショットのなかに異なる層が込められていなければならない」というタルコフスキーの言葉を胸に制作を行ったということでした。
matohuの2024年春夏コレクションのテーマは「命の糸」と題されており、堀畑さんと関口さんは山形県鶴岡を訪れ、蚕の繭玉からシルクができる過程を見学されています(映像をぜひご覧ください→https://www.matohu.com/collection/2024ss/movie.php)。今回のトークイベントが、matohuと彼らに共鳴するクリエイターたちを通して、自然や命について、二項対立とは異なる仕方で「見ることを学ぶ」ことへの、あるいは、さらに深く考えることへの誘いになっていればと願うばかりです。登壇者の皆さま、来場者の皆さまに、この場を借りて、あらためてお礼申し上げます。
(郷原佳以)