孤独な耳へ向けて(幽霊的な)感性を押し広げること
猛暑となった七夕の週末、関西学院大学で表象文化論学会第18回大会が開催された。最初に声をかけてもらったとき、私はロンドンで在外研究中だった。夏なのにひんやりとした異国の机上で行われたZOOM会議で開催校を引き受けた瞬間には、自分が企画の立案や実施まで行うという認識もなかった。秋に帰国してから、柳澤田実さん、塚田幸光さん、古川真宏さんの協力もあって、民俗学や人類学に光をあてた会にしたらどうだろうという意見が生まれた。『現代思想』などでも数年前から民俗学や人類学の新たな潮流についての特集が組まれていたが、その分野での研究をしている会員は多いにもかかわらず、これまで表象文化論学会がメインテーマとして取り上げたことはあまりなかったと思う。開催校委員で集まり、企画を練り、人選を行った。
学会が行われた二日間は晴天に恵まれ、初夏の日差しが強く照り付けた。この中を走り回って仕事をしたので、全体の印象には夢か現実か分からないようなところがある。
シンポジウムは、詩人吉増剛造が土方巽について語り朗読を行った後、日本文学者の坂口周、宗教学者の柳澤田実、文化人類学者の相田豊による三者三様の応答が行われるという構成だった。六日(土)の朝、吉増氏は滞在先の神戸のホテルから車で関西学院まで移動してきたらしい。「ヨーロッパのどこかの街並みを走るような感じで」車は移動した、と壇上の吉増氏は言った。「夙川の夙の字、急いで車の中で辞書を引っぱったら、なんだか昔の御陵の番人のことを「夙」って言うんですねえ、あのへんな字」。前のスクリーンにはスイカに食らいつく土方巽の写真が映写され、配布資料として土方のテクストからの抜粋に吉増自筆の言葉が連ねられた四枚のカラー原稿が配られた。二〇二四年、吉増は土方巽について精力的に語っていた。一月には慶応義塾大学アートセンターで講演会があり*1、五月から六月には土方と吉増の接点をめぐる展示が虎ノ門「SIGNAL」で行われていた。この日の吉増は、土方の「病める舞姫」を引用しつつ、子供性を担った声や「ぼんやりとした薄暗がり」について鮮やかな身体的な断片(たとえば「死んだ者に殴られたような」といった比喩的表現)を提示したときには、何か見えないものの気配が漂っていた。さらに、スイカの食べ方について録音された土方の声を再生し、孤独な耳の到着したところについて模索し、食うものが食われる主客の反転ぶりについて語り、夏目漱石の『硝子戸の中』や「文鳥」、カフカの「断食芸人」を緩やかに連結させていった。最後に、木槌で机をたたく音を響かせた(私の前方に座っていたアルバイトの学生がその音に飛び上がった)後、「古代天文台」を気迫あふれる声で朗読した。私はここで教室を去らなければならなかった。「パフォーマンス」のゲストである作曲家・ギタリストの藤井敬吾氏と午後二時に正門前で待ち合わせていたからである。
正門前に置かれた道案内の立て看板には、朝自分が持ってきた大きなポスターが貼られていて、その下に新たに貼られた白い紙には、早めに集合していた広報委員の方の協力で、教室までの道案内の言葉が書かれていた。朝、アルバイトの学生がポスターを貼ろうとして、そんな貼り方では風に吹き飛ばされてしまうよと門の詰所にいる警備員に言われ、一度会場の教室まで持ち帰ってきたのだった(そんなことを言ったって、ポスターを貼らないわけにはいかないよと私は言った)。今はしっかりとテープでとめられているように見えた。立て看板の足元には重しのブロックが置かれていた。これは警備員が置いたのかもしれない。その日は手話の学会も行われていたようで、目の前にも手話で楽しそうに会話を交わす一団があった。風に吹かれる紙の端をじっと見つめていると、汗がにじんできた。ふと顔を上げると、そこに藤井夫妻がいた。仁川から歩いてきたとのことだった。
そうしている間に、シンポジウムの部屋では三者による口頭発表が進行していたはずである。あとから録音したものを聞いた。坂口は梶井基次郎に触れながら詩における宇宙的なものについて語り、『VOIX』に収録された吉増の詩を漱石の『虞美人草』も参照しながら論じていた。柳澤は土方巽のイエスに自己を重ねたパフォーマンスに言及し、イエスその人のパフォーマンス性について聖書やブリューゲルの宗教画を参照しながら論じていた。相田はピエール・クラストルを引用しながら、グアヤキ・インディアンの狩人の歌とそれが担う「孤独の自由」について語っていた。また、東日本大震災に対する言葉の在り方について吉増に問いかけていた(吉増は3.11以来、石巻市を拠点の一つに定めて創作をしていて、私はたまたまこの大会の後にオンラインで話した和合亮一氏から、石巻の吉増氏の創作の現場がいかに多様な音に満ちているかを聞いたのだった。だからこの問いには私も関心があった)。ディシプリンは異なるものの、三者の発表には大きな世界と局所的な身体経験を結び付けるという共通点があった。それは吉増剛造を読み、聞くうえでも重要なものの捉え方だろう。だが、こうした発表が行われているとき、私はまだ人のいないベーツチャペルへと藤井夫妻を案内し、部屋の中でほとんど理想的に響く音を聞いていた。ギターの音はサウンドホールで鳴り、程よい狭さの空間の壁によってきれいな音を作っていた。それで、頭の中に、スペイン南部の古い教会が通り抜けていった。
気の利く学生がベーツチャペルまで一〇〇人ほどの客を誘導してきてくれて、チャペルはほとんど満席になった。楽屋のようなものがないので、藤井夫妻と私はロビーのソファで時間まで待機した。私は中学2年生の冬から9年近くギター教室に通ってきたので、学会の力によって自分にとってあこがれのゲストをお迎えしたことになる。藤井の「羽衣伝説」は様々なギタリストによって愛奏されてきた名曲であり、民俗学的な見地からも大会のテーマにかなうものであった。藤井氏に大会の趣旨をお伝えし、それに沿う形でプログラム作成をお願いしたところ(梅田のビルの高層階にある喫茶店)、快く引き受けてもらえた。当日はモンセラートの赤い写本に収められた中世後期の歌曲から、秀吉も聞いたとされるナルバエスの「皇帝の歌」、八橋検校の「六段の調べ」、ラヴェル「ボレロ」、そして、「羽衣伝説」などのように、古今東西多種多様な九曲が、多くの場合ギター用に編曲された形で、演奏された。曲の合間の解説も該博な知識に裏付けされた、文化交流史的な点で興味深いものばかりであり、軽妙な冗談もあって、会場にはしばしば笑い声が満ちた。一方で私はろくに演奏者のプロフィールも紹介しないままコンサートを始めてしまったことに、終演間際になって気が付き、そのことをぼんやり考えていた。演奏後には沖縄芸術大学の向井大策と私による短いトークが行われた。コンサートのあと、沖縄出身の方に、本当の琉球音階やメロディーが「羽衣伝説」から聞こえてきたという感想をもらった。
表象文化論学会には定式化された学会の型を打ち破るような脱構築的側面があるが、今回の大会も吉増剛造、藤井敬吾というアカデミズムの枠外にある知性の伸びやかさを伝えるゲストを招いて、触発的な、気づきの多い会を組織することができたと思う。赤ちゃん本舗に協力してもらう形で一つの教室を託児室として会員に使用してもらうこともできた。若い子育て世代の会員も多い表象文化論学会にとっては重要な試みであると思う。二日目については受付業務に徹していたので、三つ、四つの部屋で同時に様々な知的な展開が繰り広げられている様子を想像するのみであったが、実り多い会となったことを祈っている。遠方から夏の光の注ぐ上ヶ原キャンパスへと足を運んでくださった多くの参加者には深く感謝したい。
*1 会の様子は以下のリンクからYouTubeにて視聴することができる。https://www.youtube.com/watch?v=_CLrkcs-4AE&list=PLXYeHFOPSRZgy4ly1Rgq9yqaca2-IVO99&index=2