第18回大会報告

ワークショップ 「日常記憶地図」ワークショップ

報告:小澤京子

日時:2024年7月7日(日)13:45-15:45
場所:H号館 H305

サトウアヤコ(アーティスト)
三村尚央(千葉工業大学)
小澤京子(和洋女子大学)


「記憶」についての言説が溢れるなかで、それでもいまだ十分に語られてこなかった部分はないだろうか。シンプルに言うとこのような関心に基づいて、アーティストのサトウアヤコが開発した「日常記憶地図」というメソッドを皆で実践し、そこでなにが起こっているのかをつかむ機会を設けてみた。それがこのワークショップパネルである。

「記憶と歴史」というテーマ系には、現在の社会に課された「思い出せ」、「記憶せよ」という規範的な命令がつねに伴っている(なぜ「思い出すこと」や「記憶すること」が倫理的な規範になるかといえば、かつて権力が人間の抹消と、さらにはその記録と記憶の抹消を強制的に進めたからでもあるだろう)。モニュメントやメモリアル、アーカイヴズが日々増殖し、資料・史料やデータは膨れあがる。そのようななかで、たとえば「忘却術」へと目を向ける発想もある。このような潮流とはまた異なる発想のヴェクトルが、個人の内に眠る日常の弱い記憶を扱う「日常記憶地図」のなかにあるのではないか。このような関心に基づいて、当ワークショップパネルは企画された。

企画者からの趣旨説明とサトウによる概略の提示のあと、さっそく来場者に2〜3人ずつのグループとなってもらい、ワークを実施した。来場者にはあらかじめ、自身が小学校くらいの頃に住んでいた地域の地図をプリントアウトし、「よく行った場所や道」をカラーペンでなぞって描いてくるように依頼してある。各自が用意した地図をもとに、まずは「よく行っていた場所」4〜5点と、そこによく行っていた理由や当時の習慣、思い出を書き出してもらう。そのうえで、グループ内で順番に各自の「場所の記憶」を話し、他の者には「聞き手」になってもらう時間を30分ほど設ける。その後、個々人が「愛着のある場所」を1〜2点書き出し、最後に当時の生活圏を地図上で囲んでもらう、というのがワークのあらましである。

グループワークの折にとりわけ印象的だったのは、当日たまたま同じパネル会場に居合わせた初対面の相手であるにもかかわらず、最初から会話が和やかに始まり、定められた時間を過ぎるまで盛り上がり続けたことである。通常であれば、初対面での自己紹介には緊張がともなうし、「会話を続けてください」と言われても、言い淀んだり気まずくなったり、あるいは話者が固定化してしまったりしかねない。地図というメディアを間に置き、場所の記憶を交換し合うという「日常記憶地図」特有のメソッドには、コミュニケーションの成立と維持を促す機能もあることが窺い知れた。

来場者がひととおりワークを実体験したのち、サトウによる「日常記憶地図」についてのプレゼンテーションと、三村尚央によるメモリースタディーズの立場からの解説が行われた。

サトウは「日常記憶地図」を2012年に考案した動機を、「特別な場所や人を紹介するのではなく、生活者の「日常」を取り出したかった」と語る。近親者の余命宣告によって「日常」が崩れたこと、改めてその過去について知りたいと思ったことがきっかけだったという。「日常記憶地図」における「日常」とは、過去に反復的に繰り返された動作や習慣のことであり(それゆえ、強烈なエピソード記憶としては残りづらい)、その記憶は地図をなぞることで想起される。それは訊かれてはじめて意識するような「弱い」記憶であり、個人のなかで未だ物語化されていない(つまり、他者に語り聴かせるべき話として構造化・定型化されていない)ものであるとサトウは性質づけている。

このような個人の「日常」にまつわる「弱い」記憶を、さらに「共有」へと開いてゆくのがサトウのプロジェクトである。「日常記憶地図」は一人でも、家族のような親密な小集団のなかでも行いうるが、一定の地域というまとまりで実施した際には、さまざまな年代の個々人の記憶が集まって、その土地の特性や変遷が浮き上がってくるとサトウは言う。じっさい、これまでにも深川・清澄白河や長野、鳥取県の皆生(かいけ)といった地域単位で「日常記憶地図」を実施し、その結果を美術館で展示するという取り組みを行なってきた。さらに、近年の福島県双葉町でのプロジェクトでは「共同で想起する」試みも実践し、町の記憶のライブラリ/アーカイヴ構想へと繋げている。そこでは、誰かの場所の記憶が、別の想起の媒介になること、つまり誰かの場所の記憶がもつイメージ喚起力が賭けられている。

続いて三村がメモリースタディーズの研究者という立場から、「日常記憶地図」を思考するための解釈格子を提示した。記憶研究の系譜と最新動向、そのなかでの「場所」の定義を概観したうえで、「日常記憶地図」を「私的記憶と公的記憶との狭間にたゆたう“弱い記憶”をすくい取る」ものと位置づける。また、日常的な生活環境のなかを歩く(歩いた)ことの記憶という固有性を考えるための補助線として、レベッカ・ソルニット『ウォークス 歩くことの精神史』(都市を歩く観察者の視点)をはじめとする「歩くこと」の思考の系譜や、ド・セルトー『日常実践のポイエティーク』(都市を歩くことと地図、記憶とミュージアムの対比的な関係)、「日常」についての美学/感性学の流れも示された。

ここまでの議論を報告者の解釈も交えつつまとめ直せば、次のようになるだろう。「日常記憶地図」の特異性は、想起と語り、さらには共有の対象となるのが、「場所」という一種の客観的なオブジェクトの記憶であることだ。このことにより、ライフヒストリーや思い出話に不可避の時系列の語りが制限され、想起されたエピソードは場所ごとに独立する。つまりここで「場所」は一種の「オブジェクト」となっており、それゆえに複数の記憶を重ねてゆくための支持体となりうる。さらには、記憶の細部が物語に統合されることなく、その細部を断片のまま留めておくことが可能となる。

「日常記憶地図」のもう一つの固有性は、記憶のリリーサーとして「地図」を用いることにある。三村も言及するド・セルトーの『日常実践のポイエティーク』では、「地図」はパノプティックな権力の体現であり、それに都市のなかでの個々人の「足どり」や「歩行の身振り」が対置される。「日常記憶地図」における地図は、行政権力による標準化ゆえに、客観的で外在的、俯瞰的な視点を担保してくれるメディアとなる。地図のこのような性質ゆえに、なぞることで想起が促され、また他者との共有も可能となるのであろう。この点で「日常記憶地図」は、主観的なランドスケープを描きだすメンタルマップとは別種のものであり、また「写真」という(しばしば記憶や想起、過去と結びつけて語られてきた)メディアとも決定的に異なっている。

ワークショップの最後には、会場との質疑応答・ディスカッションが行われた。

まず、「日常記憶地図」では「よく行く場所」が問われるが、特徴的に記憶している場所と、よく行っていた場所は必ずしも一致しないのではないか、という意見が出された。これに対してサトウは、かつて日常で「よく行った場所」という制限を課すことで、想起や語りがランダムなものになることを防いでいるのだと答える。「日常記憶地図」の賭金は、例えば「何百回も通った通学路を、あらためてどう思い出すか、感じるか?」にあり、つまりここで志向されているのは「反復性」だというわけである。

次に提起された質問は、「美術館に展示された時点で、その記憶は“オフィシャル”なものになってしまうのではないか?」というものである。ド・セルトーのいう「反美術館的な記憶」だったはずのものが美術館に取り込まれることについて、さらには「日常記憶地図」による記憶のアーカイヴズの総和は、どのようなものになるのか、という問いである。言い換えれば、「日常記憶地図」プロジェクトの最終的な着地点はどこか、ということだ。それに対してサトウは、「日常記憶地図」の行く先として、自分自身のコントロールを外れ、自分が消えてもアーカイヴィングの運動が残っていく仕組みを想定していると告げた。

このワークショップでは、参加者一人ひとりの記憶が徐々に立ち上がり、それが対話として交換・共有される場が生成してゆくのを間の当たりにすることができた。ワークを実体験した来場者からは、「日常記憶地図」実践のまさに根幹に関わる、本質的な質問やコメントを得ることもできた。この「生成の現場に共に立ち会う」というヴィヴィッドな感覚と経験もまた、ワークショップ形式ならではの成果と言えるだろう。


ワークショップ概要

 記憶と忘却と想起、記憶の共有可能性、場所と記憶といったテーマについては、メモリー・スタディーズの領野で、すでに一定の言説が蓄積されてきた。本ワークショップパネルは、アーティストのサトウアヤコが開発した方法「日常記憶地図」の共同的な実践──実際に手を動かし、自身の記憶を想起し、会場に居合わせた人々で語りあうという経験とその共有──を通して、上掲のテーマ系に新たな視点からの思考をもたらすことを目的としている。

まず、サトウのファシリテーションにより、参加者全員で「日常記憶地図」のワーク(*)を実践する。過去に住んでいた場所の地図を用意し、よく行った場所や日常通った道を赤ペンでなぞり、思い出したことを語り合う。次に、「記憶」をキーワードに文学研究を行う立場から、三村尚央が解説と考察を行う。最後に、参加者全員でディスカッションを実施する。

「日常記憶地図」では、地図が記憶のリリーサーとなり、“弱い記憶”が半ば無意志的に想起される。そこでは、物語のナラティヴを構成する以前の──この点で「証言」ともオーラル・ヒストリーとも少し異なる──場所についての記述が、個人的で断片的な語りとしてやり取りされる。ワークショップ形式により、このプロセスを参加者各々が実際に体験することを通して、“誰か”の記憶について論ずるのでも、記憶にまつわる既存の言説の再解釈でもないやり方で、個別具体的な記憶と場所の結びつきにアプローチしてみたい

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年10月5日 発行