日時:2024年7月7日(日)16:00-18:30
場所:H号館 H301
・リジア・クラーク作品における建築論──有機的な線から生物学的建築へ/飯沼洋子(京都大学)
・幾何学のインファンティア──ジャンウーゴ・ポレゼッロの建築設計における形態操作/片桐悠自(東京都市大学)
・19世紀ドイツの新古典主義における装飾観とその実践的利用──レオ・フォン・クレンツェ《アテネのアクロポリスとアレオパゴスの理想的光景》(1846)に描かれた多彩色建築/三井麻央(京都芸術大学)
・フランツ・ヴィンターハルター作《ウジェニー皇后とその侍女たち》──フランス皇后の謙譲的ブランディング戦略/山口詩織(京都大学)
【司会】香川檀(武蔵大学)
個人研究発表セッション5では、香川檀氏の司会のもと、19世紀から20世紀にかけての建築、絵画に関する発表が行われた。以下に各発表の内容と会場での質疑応答を報告する。
はじめに、飯沼洋子氏による発表「リジア・クラーク作品における建築論──有機的な線から生物学的建築へ」では、ブラジルの現代美術家リジア・クラークにみられる建築的な作品群について検討がなされた。まず、クラークは1950年代の《変調された表面》シリーズにおいて、その平面的な作品に存在する隙間、空間から三次元的な「有機的な線」を見出し、この有機的な線が建築的な空間という構想へと展開していったと飯沼氏は説明した。次いで飯沼氏は、クラークによる実現しなかった住宅の構想《居住空間の模型》に焦点を当て、クラークの建築論を明らかにすることを試みた。この《居住空間の模型》においては、襖のように可動的な壁面や扉の動き、天井の透明性や隙間が有機的な線を作り出すことを可能にする。すなわち、この空間操作と水平性によって、住宅に自然とのつながりが取り入れられ、住人に精神の解放がもたらされるという。最後に、クラークが師事したランドスケープデザイナーであるホベルト・ブーレ=マルクスの、庭園における散歩者の動線に関する理論が示された。この理論を飯沼氏は、クラークの《居住空間の模型》で想定された住人の動線へと援用し、この動線もまた有機的な線を作り出しているのだということが示唆され、発表が締めくくられた。
続いて片桐悠自氏による発表「幾何学のインファンティア──ジャンウーゴ・ポレゼッロの建築設計における形態操作」では、イタリアの建築家ジャンウーゴ・ポレゼッロによる建築理論と作品についての検討がなされた。片桐氏はまず、1985年の論考 "L' Architettura in funzione"に着目した。ここでポレゼッロは"funzione=senzo"という命題について、複数の意味をそれぞれの語にもたせる言葉遊びの手法を用い、複雑な関数を作り出すことで、当時すでに否定されていた「funzione(機能)」という語の意義を読み直そうとした。実際に建築を設計するにあたっても、ポレゼッロの設計行為はグリッド、厳格な比例、三角形平面の利用など、人為的空間の介入を最小限にする取り組みを通した「裸の幾何学」すなわち「(図学的な)理性の濫用」によるものであったという。そのうえで、ポレゼッロは軸線を用いたこのような手法を、用兵法やチェスになぞらえたゲーム的手続きによる建築設計として説明しており、このような手続きはジュゼッペ・テラーニやル・コルビュジエの操作を参照していることも示された。最後にはポレゼッロのこのような幾何学的操作は、ジョルジョ・アガンベンの「言語なき状態(インファンティア)」をめざした身振りであったのではないかと結論づけられた。
次いで三井麻央による発表「19世紀ドイツの新古典主義における装飾観とその実践的利用──レオ・フォン・クレンツェ《アテネのアクロポリスとアレオパゴスの理想的光景》(1846)に描かれた多彩色建築」は、ドイツの建築家レオ・フォン・クレンツェによる絵画を通して、19世紀前半の新古典主義における装飾観を検討した。古代ギリシャの神殿が彩色や装飾を伴って描かれた標題の絵画には、構図と光の使い方によって当時のクレンツェの価値観が示されている。これはヴィンケルマンらによる、装飾を否定した18世紀の装飾観や古代観とは異なる、19世紀以降に隆盛した古代彫刻のポリクロミー研究に基づいたものであることを、発表者はまず指摘した。次いで同時代ベルリンの建築家カール・フリードリヒ・シンケルによる古代都市を描いた絵画と比較し、シンケルの描いた古代は近代以降の都市計画やベルリンの未来がパラレルに表されているのに対して、クレンツェの場合はむしろ、18世紀的なイメージ操作の手法が未だ用いられていることを明らかにした。18世紀的なイメージの残滓に19世紀的な新規性が加わるクレンツェのこうした絵画は、19世紀後半のミュンヘンの画家オイゲン・ナポレオン・ノイロイターの絵画などに引き継がれ、形態だけがバイエルンで残され、用いられていくのではないかと見立て、発表が終えられた。
最後に山口詩織氏による発表「フランツ・ヴィンターハルター作《ウジェニー皇后とその侍女たち》──フランス皇后の謙譲的ブランディング戦略」である。ドイツ人画家フランツ・ヴィンターハルターにより1855年のパリ万国博覧会のために制作されたフランス皇后の肖像をめぐり、これまで着目されてこなかった作品の成立背景と、ウジェニーの注文意図について論じられた。まず山口氏は、習作4点の制作順を再構成し、制作過程において画中のウジェニーが取り巻きの侍女に同化し、一見誰がウジェニーであるかがわからないような姿で描かれるようになったことを、衣服や装身具、ウジェニーを中心としない絵画全体の構図、さまざまな方向へ向かう侍女たちの視線といったいくつかの変更に着目し、明らかにした。ウジェニーを控えめな姿で描くこれらの変更は、皇后が宮廷内外での支持を得るための戦略であったという。さらに山口氏によれば、ウジェニーの肖像画は、さまざまな寓意をもった神話画に見立てて描かれることで世間からの批判に反論する役割を担っていたともいう。これはウジェニーの謙譲的なブランディング戦略であった一方、画家ヴィンターハルター自身が歴史画家/神話画家になりたいという望みを叶えるものでもあったが、ヴィンターハルターの願望は必ずしも叶えられなかったと結論づけられ、発表が締めくくられた。
各発表ののち、フロアとの質疑応答がなされた。飯沼氏に対しては、同時代にブラジルで活動した芸術家エリオ・オイシチカとのかかわり、また、アーキグラム、メタボリズムなど60年代の建築界による有機的な建築に関する言説からの影響についての疑問が提起された。これに対し飯沼氏は、オイシチカの制作が社会的、都市的な規模へと向かうものであった一方で、クラークはアートセラピーなどを通じた個人の解放へと向かうと応答したほか、建築家オスカー・ニーマイヤーとのコラボレーションが予定されていたことを示した。
片桐氏に対しては、ポレゼッロは幾何学へ回帰したのち、機能的建築を志向し続けたのか、そうだとしたらなぜか、といった質問がなされた。これに対し片桐氏は、アルド・ロッシとの確執を踏まえた上で、ロッシやロバート・ヴェンチューリのラスベガス建築が別の方向を目指したのに対して、ポレゼッロは幾何学の限界を察知しながらも幾何学的、モダニズム的な志向に留まったと示すことであらためてポレゼッロの特性が明らかにされた。
三井に対しては、クレンツェとシンケルの関係性、ポリクロミーの情報をクレンツェはどれくらい得ていたかといった質問がなされ、両者が書簡も交わす深い関係性にあったことや、建築家同士のネットワークによりポリクロミーの情報を得ていたことを補足した。また、ポリクロミーが実際には建築表面に用いられず室内だけに装飾がなされたのはなぜか、という質問に対しては、当時の施主であるルートヴィヒ1世が白いギリシャ風建築を望んだために、ファサードからは直接見えない位置にのみ彩色が認められたことについて説明した。
山口氏に対しては、ヴィンターハルターとは直接的つながりをもたないものの、エドゥアール・マネなど同時代のモダニズム画家が手がけた、集団肖像画における視線の表現方法との連関があるのではないかといった新たな観点が提示された。加えて、画中のウジェニー皇后は、写真(カルト・ド・ヴィジット)中のウジェニー皇后のイメージとはいかなる相違点や連続性がみられるか、などの質問がなされた。山口氏は前者の質問に対し、先行研究に依拠しているもののその研究をさらに進展させる必要性があると応答し、また後者に関しては、庶民的な皇后をあらわすための写真と、ヴィンターハルターという特異な画家による肖像画とでは異なる要望のもとで制作がなされたと説明した。
以上、4つの発表は偶然にも緩やかに関連しあう内容のもので、充実した質疑応答を経て有意義なセッションとなったといえよう。
リジア・クラーク作品における建築論──有機的な線から生物学的建築へ/飯沼洋子(京都大学)
ブラジル人アーティスト、リジア・クラーク(Lygia Clark, 1920-1988)は新具体主義運動の中心人物として活躍し、また、参加型アートの先駆者として知られている。クラークは現象学や精神分析から影響を受け、作品における参加者間の主体と客体の融合を目指した芸術実践やグループワークを実施した。その実践には《家は身体である》(1968)、《生物学的建築》(1968)などがあり、建築を冠するタイトルが多くみられる。しかし、クラークと建築に関する研究は多くなく、それらはグループワークにおける幻想的な芸術経験の獲得の場や、そのために構築された環境としての建築論に収斂している。そこで本発表では、サンパウロ州立美術館で開催された「リジア・クラーク:プラネットのためのプロジェクト」展(2024)を参照し、展覧会で取り上げられた絵画《階段》シリーズ(1948-51)、《マッチ箱の構造》シリーズ(1964)、実現されなかった建築模型《あなた自身の居住空間を作りましょう》(1964)を中心に分析し、クラークにおける建築論を再考する。また、クラークの師である造園家ホベルト・ブーレ・マルクス(Roberto Burle Marx, 1909-1994)や画家フェルナン・レジェ(Fernand Léger, 1881-1955)らが関わった建築プロジェクトからアーティストと建築の関係性をよみとき、クラークへの影響関係を明らかにする。本発表の目的は、これまで注目されてこなかったクラークの活動初期の作品を考察することで、のちの芸術実践やグループワークにも通ずるクラークの建築論に新たな可能性を広げることにある。
幾何学のインファンティア──ジャンウーゴ・ポレゼッロの建築設計における形態操作/片桐悠自(東京都市大学)
本発表は、ヴェネツィア建築大学(IUAV)で教鞭を執った建築家・都市計画家ジャンウーゴ・ポレゼッロ(1930-2007)の論考 "L'Architettura in funzione"(1985, 機能のなかの建築)を下敷きにして、彼の建築設計手法の共有可能性を読み解くものである。
対象論考において、ポレゼッロは、「funzione=senso」という命題を提示するが、これは、「機能=意味」を示す命題であると同時に「機能/関数/ミサ=意味/感覚/官能」というような複数の命題関係を成立させるものである。ここには、単なる一対一対応ではない複雑な「funzione(関数)」を作り出し、「senso」という言葉を宙吊りにする意図が見られる。この言葉遊びの手法は、最初期のパートナーであるアルド・ロッシと関心を共有した文学者レーモン・ルーセルの手法の参照が見られる。建築論において、ありあわせの言葉(事物)が伴う意味を無化し、言語それ自体のもつ形而上学的あり方を探索したと考えられる。
ここから、立方体や正三角柱、円形劇場など、「2,3の幾何学的要素」による要素の限定が特徴的なポレゼッロの建築設計を見てゆく。それは、初源的な幾何学という「低い建築形態」、凡庸かつありあわせの建築形態を布置する操作であり、直交座標系と軸座標系の理念を知れば子どもにすら共有可能である。同じくIUAVで教鞭を執った思想家ジョルジョ・アガンベンの言葉になぞらえるなら、その幾何学的操作は、「言語なき状態(インファンティア)」をめざした、設計行為の幼児性または沈黙の諸相を提示する身振りともいえるだろう。
ポレゼッロの設計では、沈黙の幾何学立体が戯れ、チェスの駒のように配置される。ここでの「インファンティア」とは、ある種のゲーム的身振りである。既存の土地に「言葉なき」幾何学が付置されることで、“建築史的違反”が意識化される。土地所有の歴史的関係の「真面目さ」を軽やかに転覆することで、建築の機能(関数)=欲望を宙吊りにする。この操作は、建築の幾何学が本来持つエロティスム、いわば「不真面目さ」へと開かれている。
19世紀ドイツの新古典主義における装飾観とその実践的利用──レオ・フォン・クレンツェ《アテネのアクロポリスとアレオパゴスの理想的光景》(1846)に描かれた多彩色建築/三井麻央(京都芸術大学)
19世紀のドイツ語圏における新古典主義の動向は、18世紀のヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(1717-1768)らの影響下に成り立つが、白大理石の古代彫刻に価値を見出し装飾を忌避したヴィンケルマンの古代受容と、19世紀における新古典主義建築家らのそれは大きく異なっていた。その相違はとりわけ後者の装飾観、より実践的には建築作品における装飾の多用にうかがうことができる。
19世紀の装飾観と装飾の実践的利用を明らかにするものとして、本発表はバイエルン王国の建築家レオ・フォン・クレンツェ(1784-1864)の油彩画《アテネのアクロポリスとアレオパゴスの理想的景観》(1846)に焦点をあてる。クレンツェは、プロイセン王国のカール・フリードリヒ・シンケル(1781-1841)とともにドイツの代表的な新古典主義建築家と称され、この絵画は、建築家自身による古代イメージの投影として解釈されてきた。本発表は、とりわけ画中の神殿を飾る色彩豊かな文様の存在こそが、単に19世紀時点での古代建築における「科学的正しさ」を示すのみならず、クレンツェにおける理想的古代の象徴として最重要の役割を担っているとみる。このことを、無彩色の神殿が並ぶ古代ギリシャを描き理想的古代の景観を示したシンケルの油彩画《ギリシャ繁栄の眺望》(1825)と比較しつつ明確化することが本発表の目的である。
フランツ・ヴィンターハルター作《ウジェニー皇后とその侍女たち》──フランス皇后の謙譲的ブランディング戦略/山口詩織(京都大学)
フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルター(Franz Xaver Winterhalter, 1805-1873)は、19世紀中葉にヨーロッパ各地の宮廷で活躍したドイツ人画家である。フランス第二帝政期には皇帝ナポレオン3世(Napoléon III, 1808-1873)と皇后ウジェニー(Eugénie de Montijo, 1826-1920)の肖像画を制作したことで知られている。
本発表では、ヴィンターハルターが1855年に描いた《ウジェニー皇后とその侍女たち》を取り上げる。絢爛たる衣装を身に纏った侍女を供なっている皇后ウジェニーを描いた本作は、1855年のパリ万国博覧会で展示され、1等を獲得した。
先行研究は、過度な「登場人物の美化」が行われているのは、皇后自身が注文したことが背景にあると指摘している。また、同時代の批評では、作品が優美さを求めすぎたためか「芸術作品の質」という面から否定的な反応が散見されている。本発表は、先行研究で必ずしも主要なテーマとはならなかった作品分析を行うものである。本作が成立する経緯を明らかにすることによって、万国博覧会という場で展示された意義を検討する。
そのためにまず、作家の略歴を概観する。次に本作における皇后と侍女の服飾を比較した上で、4点の習作を構図の変遷から分析する。最後に、描かれた当時の皇后の社会的地位を確認する。以上の手続きから、《ウジェニー皇后とその侍女たち》は、皇后が侍女に同化するという特異な構図によって、皇后への批判的な世論に対する反論を公式の場で暗示した可能性を指摘する。