デレク・ジャーマンの庭
「1986年の春の午後、ぼくたちはケント州を車で走り抜けていた」——キース・コリンズ(=またの名をヒニー・ビーストあるいはHB)の回想からはじまるこのエッセイは、映像作家デレク・ジャーマンが 1986年から仲間たちとともにつくり続け、パートナーのコリンズとともに過ごしたプロスペクト・コテージとその庭を、そしてなにより、1994年2月19日に52歳で世を去るまでの彼の友愛の記憶を綴ったものだ。
玉砂利ばかりが滞積するダンジネスの海岸にひっそりと建つこの魅力的な小屋と庭は、庭園史に名を残している名園というわけではない。それにもかかわらず、この庭はいまなお庭を愛好する者たちを惹きつける。同じく砂利に覆われた土地を夫のアンドリューとともにグラベルガーデンに変えたあのベス・チャトーでさえ、クリストファー・ロイド——彼もまた高名なガーデナーだ——とともに訪れたダンジネスの植生観察で偶然出会ったジャーマンの庭に感銘を受けている★1。
★1: チャトーの庭はベス・チャトーズ・プランツ&ガーデンズとして、ロイドの庭はグレート・ディクスター・ハウス&ガーデンズとして公開されている。なお、ジャーマンとの偶然の出会いについては以下の書籍に言及がある。ベス・チャトー(文)、スティーブン・ウースター(写真)『ベス・チャトー奇跡の庭——英国・グラベルガーデンの四季便り』高月園子訳、大出英子監修、清流出版、2010年。
この庭は、なぜか人の心を掴んで離さない。
「花は咲き、デレクは衰えていった」——コリンズが書くように、過酷な環境下にある庭で懸命に花を咲かせる植物にジャーマンの闘病が避けがたく対比され、あるいは重ねられてしまうからだろうか?
決してそれだけではないだろう。
そもそもこの庭が、みずみずしい草花の合間合間に立てられた立石群や廃材、くず鉄や戦争遺物からなる奇妙なオブジェによって、生きて再生し続けるものと朽ちて滅びたものを鮮やかに示し、整形的な前庭にたいして流木やスクラップに埋め尽くされた不定形な裏庭をぶつけることで、規範的な庭仕事と庭仕事ならざる庭仕事を対比しているからだ。
この小屋の改修と庭づくりをそばでずっと支え続けてきたハワード・スーリーによって撮影された写真もまたそうだ。小屋や人物を撮影するスーリーは距離をとってポートレイトに仕立てているにもかかわらず、生きた植物や廃材のオブジェを撮影する彼はこの対比を強調するかのように異様なまでに接近し、その質感や肌理にいたるまで対照してみせる。
植物は春が来るたび何度でもよみがえる。しかし戦争遺物や廃材たちは、死んだ友人やジャーマンは、還らない。そんなありきたりな、しかし冷酷な対比のなかで、死んだものたちを詩として、あるいはオブジェとして蘇生させようとしたこのエッセイとジャーマンの庭仕事に、あらためて胸を締めつけられる。
プロスペクト・コテージは現在、2018 年に世を去ったキース・コリンズに代わって、俳優のティルダ・スウィントンが立ち上げたレジデンスプログラムを進行中だ。この書籍とコテージは、いまなお人々に愛され、人々に力をあたえ続けている。
(山内朋樹)