嘘の真理(ほんと)
「嘘をつく人の真理(ほんとのこと)とはどのようなものでしょう?」
2018年、フランス。小・中学生を主なオーディエンスとするイベント「小さな講演会」で「嘘」がテーマとして取り上げられた際、登壇者であり77歳になる哲学者ナンシーはそう問いかけました。私たちはみんな多かれ少なかれ嘘をつくけれど、なぜ嘘をつくのか、実は自分自身でもよく分かっていないことがあります。身近な例を挙げながら、嘘の込み入った真理に分け入っていくナンシーの話を聴いてみると、ただ隠された真実が明らかになる、というだけでなく、嘘をつく私と他人の関係、さらには私と私自身の関係さえもが問題となっていることが分かってきます。
ひとまず講演が終わって質問する番になると、例えば一人の子どもがこんなことを訊きます。
「嘘をつくのに年齢って関係あるの?」
答え。「いいえ、私たちは7歳でも77歳でも嘘をつくよ。」
こんな風にちょっとした「アイスブレイク」をしてから、祖父と孫くらい歳の離れた参加者たちが哲学的な問題に取り組みます。訳者である私は原稿の見直しの過程で、主催者で演劇人のジルベルト・ツァイさんに講演会の録音を聴かせていただくことができました。予想どおりというべきか、ナンシーはこの講演会と、そこでの子どもたちとの議論を大いに楽しんでいるようでした(哲学と楽しみというトピックについては少しだけ、フランス語ですがこちらに書いたことがあります)。
他方、現代世界のおびただしい災厄・悪・苦しみと闘い続けた思想家であるナンシーの遺した書物が今なお雄弁に語っているとおり、思考というのは生易しい営みではありません。ナンシー自身、その他の講演会では時に厳しい表情を見せながら、世界と対峙する哲学のあり方を実践してみせたのでした。
それでもなお、仮に「哲学」の語源であるギリシア語「フィロソフィア=知を愛すること」が今日でも何かしらの力を持ち続けているとするなら、それもまたナンシーの哲学の別の一面に映し出されているように思います。本書はそうした哲学の喜びを伝える一冊だと言えるでしょう。
(柿並良佑)