翻訳

乗松亨平(監訳)、上田洋子、平松潤奈、小俣智史(訳)、 ボリス・グロイス(編)

ロシア宇宙主義

河出書房新社
2024年4月
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19世紀末から20世紀前半のロシアで、人間の不死化や死者の復活、また、宇宙への進出を唱えた一群の思想家たちのアンソロジー。1970年代以降、「ロシア宇宙主義」と呼ばれるようになったこの潮流については、日本でもすでにS・G・セミョーノヴァ、A・G・ガーチェヴァ編のアンソロジー『ロシアの宇宙精神』(せりか書房)があり、近年では木澤佐登志が意欲的にとりあげている(『闇の精神史』、ハヤカワ新書など)。

この新たなアンソロジーでは、美術批評家であるグロイスが編者を務めている。これは奇異に感じられるかもしれないが、ロシア宇宙主義、とりわけその始祖とされるニコライ・フョードロフに、グロイスは長らく関心を向けてきた。イリヤ・カバコフとの連続対談「飛び去るためのアート」(1990)では、ソ連の名もなき市民の声を仮死状態で保存するカバコフのインスタレーションと、フョードロフが唱えた死者復活の「共同事業」とが比較されている。

その後、ドイツ語でのアンソロジー『新しい人間』(2005、共編)、2015年にロシア語で出版された本アンソロジーを経て、グロイスはウェブ・プラットフォームe-fluxの編集者であるアントン・ヴィドクルとともに、ロシア宇宙主義に関わる多くの企画展や論集に携わってゆく。とはいえグロイスがロシア宇宙主義に向ける関心の核は、「飛び去るためのアート」のときから変わらず、フョードロフの死者復活の事業であり、ミュージアムがその事業の場所となる、というアイデアにあるように思われる。

アートにおいてミュージアムが果たす機能は、グロイスが一貫して論じてきたテーマである。ミュージアムの外部から内部にとりこまれることによって、モノはアートになる。とりわけレディメイド以降は、何がミュージアムにとりこまれアートとなるかは文脈次第となり、潜在的にはすべてのものがアートとなりうる。

ミュージアム外部のモノは有限の生を送っており、いつかは滅びるさだめにある。それに対し、ミュージアムにとりこまれたモノは保存され、滅びのさだめを免れる。これは一面では、モノが生の時間から切り離されることを意味するが、同時に、保存されたモノがいつでも復活しうるということでもある。

ここにグロイスは革命の可能性をみる。世界を変えるには、生の時間への埋没から離脱し、世界を全体として把握するメタポジションに立つことが必要だ。革命とはそうしたメタポジションに立ったうえで、歴史が誤りを犯す以前まで立ちもどり、歴史をあらためて始めなおすことだ、というのがグロイスの考えである。

こうした論点は、本アンソロジーに収録されたフョードロフの論文「博物館、その意味と使命」と、さまざまに響きあっている。フョードロフの「共同事業」は、これまでに死んだすべての人間を、ひとり残らず復活させるというプロジェクトである。そのよすがとなるのはモノであり、死者の身体を構成していた原子や死者の遺物を集めることで、死者に生が与えなおされる。ミュージアムはそのような遺物を保存する復活の場所であるから、ありとあらゆる遺物を優劣なしに保存しなければならない。

フョードロフは「共同事業」を、世界を変える実践、つまりは革命と捉えている。「共同事業」は超越的な神がさだめたものだが、それを実現するのは現世に内在する人間である。グロイスがメタポジションと呼ぶのも、前近代においては超越的な神のいた位置とされる。ミュージアムはそれを人間が現世で代替するための場所である。

ここではミュージアムの話に絞ったが、「ロシア・ロケット工学の父」ツィオルコフスキーによる不死の原子論、レーニンのライバルだったボグダーノフが唱えた血液交換による長寿論など、本書に収められた奇怪にも思えるテクスト群は、奇怪さを超えて現代を再考させる。グロイスはこのアンソロジー自体を、過去のテクストを保存し革命を準備する、ひとつのミュージアムと思って編集したにちがいない。

(乗松亨平)

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年10月5日 発行