翻訳

高橋沙也葉、長谷川新、松本理沙、武澤里映(訳)、ジュリア・ブライアン=ウィルソン(著)

アートワーカーズ : 制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践

フィルムアート社
2024年3月
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ブライアン=ウィルソン『アートワーカーズ──制作と労働をめぐる芸術家たちの社会実践』は、2009年に英語で出版された原著の全訳である。本書は、1969年にニューヨークで設立されたアートワーカーズ連合(AWC)とその派生団体アート・ストライキの活動、および「アートワーカー」という呼称そのものをめぐる研究である。ここで焦点を当てられているのは、カール・アンドレ、ロバート・モリス、ルーシー・リパード、ハンス・ハーケという4人の著名な芸術家および批評家であり、彼女・彼らの作品や活動を中心に、ベトナム戦争のさなかにおける芸術と労働の関係性、反戦運動、そして美術界の制度批判などを調査したものである。各章では、これらの人物たちが「アートワーカー」としていかなるアイデンティティを形成し、実践したかを詳細に検証し、その過程で生じた矛盾や葛藤も描き出している。またフェミニズムの視点も取り入れつつ、ベトナム戦争の熾烈な反戦運動下における芸術と政治との切迫した関係性を示す貴重な研究として構築されている。

本書は「アートワーカーズ」という非常にインパクトのあるタイトルが掲げられている。ともすると著者がAWCの理念に寄り添い、芸術家もまた労働者であるという主張を展開していくように思えるかもしれない。しかしながら、その内容を読み進めていくと、単純に芸術家を擁護すべく、美術界のスター・システムや芸術家の不平等、不当な扱いを告発するものではないことが明らかとなってくる。著者はむしろ、AWCの中で焦点を当てる人物を4人に絞り、その2年足らずの短命な活動をきわめて仔細に描き出すことによって、「アート」と「ワーク」の根本的なジレンマを浮き彫りにしている。すなわち一方で芸術家は、自身の制作活動を持続させるためにスター・システムやパトロンを必要とする現実がある。だが他方で、近代以降、芸術家は芸術の自律性や創作の自由を求めてきたのではなかったか。著者の論述を通して浮かび上がってくるのは、これらの相反する価値観──経済的現実と芸術の理念──が潜在的な矛盾を孕んでいるという事実である。本書はまさにこのアポリアを読者に突きつけるものであると言ってよい。

有り体に言ってしまえば、本書が提起するこのアポリアの解消は、研究者、特に作品の制作や展示に直接的には関与しない者にとって、到達し難い課題である。そうした研究者の役割はと言えば、このブライアン=ウィルソンの研究を重要な基盤として、芸術と労働の複雑な関係性についてさらなる考察を加え、新たな視点や枠組みを提供することにあると言えるだろうか。このアポリアといかに向き合うべきか──その解消に努めるのか、あるいは現実として受け入れつつ新たな可能性を模索するのか──という問いは、実際に芸術界に身を置く人々にとって看過し得ない切実な課題であって、具体的な対応策は、最終的には芸術家自身や芸術関連機関の関係者がそれぞれの文脈に即して検討し実践していくものと言えるかもしれない。

とはいえ、本書の意義はけっして芸術の制作・展示の実践者のみに限定されるものではない。むしろ本書の構成自体が多様な読者層への広がりを示しているのである。各章に付された解題(1章:笹島秀晃、2章:沢山遼、3章:鵜尾佳奈、4章:井上絵美子、浜崎史菜、5章:勝俣涼)はいずれも秀逸なものであり、ブライアン=ウィルソンの論述を補完しつつ批判的にも検証している。さらに、「日本語版序文」として2023年8月付けの著者による反省も付されており、約15年の歳月を経て著者自身が自らの研究を振り返っている点は注目に値する。このような重層的な構成により、本書全体が著者と各解題者、訳者たちによるシンポジウムのような様相を呈しているのだ。それだけではない。読者はこの多声的な議論に参加しているかのような感覚を覚え、自らも発言したくなるほどの魅力を感じることだろう。本書はこの入念に練り上げられた対話的構造を通じて、芸術と労働をめぐる解き難い課題に対し、芸術に従事するあらゆる読者、そして芸術に関心を持つ幅広い層に開かれているのである。

2009年の出版から15年を経た今、『アートワーカーズ』の重要性はむしろ増幅していると言ってよい。現在のイスラエル・パレスチナ問題やロシア・ウクライナ問題など世界的に様々な紛争や社会運動が起きている今日においては、この研究が提起する問題の切実さは一層際立つものとなっている。はからずも刊行時の想定を超えてより一層の意義を帯びたこの著作を、芸術に関わるすべての人々に強く薦めたい。ぜひ手に取り、ここで展開されているシンポジウムに参加してみてはどうだろうか。

大澤慶久

広報委員長:原瑠璃彦
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年10月5日 発行