日本写真論 近代と格闘した三巨人
日本写真のパイオニアたち、著者がそう呼ぶ三人の写真家──木村伊兵衛、土門拳、濱谷浩──彼らのキャリアの外観と作品をつぶさに紹介するのが本書だ。国内外の日本写真史研究にとって現在最も議論の中心にあるのは、60年代から80年代に活躍した写真家たち──東松照明、中平卓馬、石内都など──と言って過言でないだろうが、その潮流のなかであえて一世代前の写真家たちに脚光を当てる本書を興味深く読んだ。
一言で言うと本書は、三人の写真家を、モノが存在することを「信仰」した写真家たちとして提示する。例えば、木村伊兵衛の写真については、同時代の名取洋之助の写真は記号的で言語構造に近い視覚言語であるのに対して、木村の写真は「社会的だったり文化的だったりする外的な表層を突き抜けて」意味以前の「存在の位相」を見せていると主張される。あるいは、土門拳のヒロシマ、筑豊、古都巡礼については、写真に写された対象のマチエールを隅々まで捉える土門の作品の特徴に言及し、それは彼が「生きた人間の知覚」ひいては「日本民族の運命」を問う存在として君臨する前人未到の写真家であったゆえであることが肯定的に論じられている。
研究書ではなく一般書として書かれた本書は、「学びたい、よく生きたいと願う人になら誰にでも届けたい」と記されている。つまり、私たち読者は、三人の写真家の生き様を本書から学び、より良い世界の観察者として生きることが期待されている。木村、土門、濱谷の生涯については、とくに戦中および戦後すぐの活動において彼らが国家や国民の表象をどのように形成してきたのかを焦点に、倉石信乃やJulia Adeney Thomasを筆頭にして、批判的検討が積み重ねられてきた。日本写真界の三人の巨匠から私たちが何かを学ぼうとするとき、敬意を伴った批判精神を忘れないでいたい。
(久後香純)