研究ノート

切断と粒子 カール・アンドレの彫刻と詩

大澤慶久

はじめに

本稿は、DIC川村記念美術館で開催された「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」(会期:2024年3月9日-6月30日)を契機とするミニマリズムの代表的な彫刻家カール・アンドレについての研究ノートである。本展は日本の美術館では初めてのアンドレの個展でありながらも、彼の彫刻作品のみに光を当てるものではない。展覧会タイトルに示されているように、アンドレの芸術実践における彫刻と詩の関係性に焦点を当てた意欲的な試みである。

会場は彫刻作品と詩作品をそれぞれ独立した空間に配し、全体を二つの展示室のみで構成している。彫刻の展示室には、《Zinc-Zinc Plain》(1969)や《Eleventh Aluminum Cardinal》(1978)などの床置き彫刻や、米杉の角材を階段状に積み上げた《Merrymount》(1980)などが並ぶ。一方、詩の展示室に足を踏み入れると、真っ先に目を引くのは壁一面に展示された《YUCATAN》(1972/1975)だ。この作品はタイプライターで赤と黒のアルファベットが配列を変えて打ち出されたものである。ほかにも、セス・ジーゲローブが編纂したアンドレの初期詩篇500編以上を収録した「Seven Books」(1969)などが展示されている。鑑賞者はこうした空間構成を通じて、アンドレの芸術における彫刻と詩の関係性についての思索を巡らせずにはいられない。

実際、ミニマル・アートやコンセプチュアル・アートの作家の多くは、詩作品や言語を用いた作品を制作していた。そのため、立体作品と詩、もしくは言語的な作品と詩との関係性に着目することは、アンドレに限らず、多くの作家に共通する重要な課題である。特に、およそ同時代に展開されたコンクリート・ポエトリーとの共通性と相違性についての検証は、喫緊の研究テーマの一つであると言えよう。

とはいえ、日本でこの両者の邂逅が紹介されたのは、半世紀近く前の1970年、『GRAPHICATION』5月号においてであった。そこでは美術批評家の藤枝晃雄が、アンドレも参加したセス・ジーゲローブ編纂の『ゼロックス・ブック』を紹介すると同時に、藤枝の知人であった詩人の清水俊彦がオイゲン・ゴムリンガーをはじめとする諸外国の実験詩、さらには北園克衛や新国誠一の詩を取り上げ、分析を行っている。つまり、この企画は、『ゼロックス・ブック』とコンクリート・ポエトリーとの関係性に着目したものだったのである*1。一方、海外ではすでに、リズ・コッツやジェイミー・ヒルダー、ルース・ブラックセルらによりコンクリート・ポエトリーとの関係性の研究が進められている*2。こうした状況において、アンドレの国内初の個展が、彫刻のみならず「彫刻と詩、その間」に焦点を合わせたことは、この研究課題の発展に向けた重要な契機になるだろう*3

*1 この企画の具体的内容については、拙稿「高松次郎研究──アメリカのコンセプチュアル・アートとの比較から」(『鹿島美術研究』年報第37号別冊、2020年)における第2節「ゼロックス作品、視覚詩との邂逅」を参照されたい。
*2 ヒルダーは両者の交流を跡付けながら、地理的・言語的な隔たりによって見過ごされてきた親和性を浮き彫りにしている(Jamie Hilder, “Concrete Poetry and Conceptual Art: A Misunderstanding,” Contemporary Literature, Vol. 54, No. 3, 2013, pp. 578-614)。また、ブラックセルは、ミニマル・アートの作家として知られるカール・アンドレも含めたコンセプチュアル・アートにおけるテキスト作品の系譜をタイポグラフィの観点から捉え直し、両者の横断的関係性について考察している(Ruth Blacksell, “From Looking to Reading; Text-Based Conceptual Art and Typographic Discourse,” Design Issues, Vol. 29, No. 2, 2013, pp. 60-81)。
*3 なお、本展のカタログ『カール・アンドレ 彫刻と詩、その間』(DIC川村記念美術館、2024年)に収録された梅津元の論考「カール・アンドレの芸術、その響きを、見る」では、『ゼロックス・ブック』とアンドレの彫刻との関係が探究されており、山口信博の論考「、その間」においては、アンドレの詩〈セブン・ブックス/形と構造〉と、新国誠一の『川または州』が比較され、アンドレとコンクリート・ポエトリーとの類縁性が指摘されている。

そこで本研究ノートでは、この課題に寄与すべく、アンドレの彫刻と詩の「間」についての考察を行いたい。以下ではまず、アンドレの芸術的基盤の形成に影響を与えた幼少期の関心や経験を振り返り、それから詩と彫刻に対する彼の姿勢を確認する。その上で、アンドレの「切断」と「粒子」という概念を、詩と彫刻に通底する方法論として捉え直すことで、両者の間に架橋する試みを展開することにしよう。

1 アンドレの芸術的基盤

カール・アンドレは1935年にマサチューセッツ州クインシーで生まれ、詩を共通の趣味とする両親のもとで育った。特に父親からの影響は大きく、彼は父親から詩を読み聞かせてもらっていた思い出を次のように語っている。「父は夜にシェリーかポートワインを飲みながら、私に詩を朗読してくれました。私が時々詩の意味について質問すると、父は『その質問をする必要がなくなったときに、君はその意味が分かるようになるだろう』と言っていました」*4。このエピソードは、詩の意味はアンドレ自身が探求し、発見するものだという父親の考えを示している。また、母親についてアンドレは、「また、私の母は詩を書いていました。彼女はいつも女性クラブなどの秘書を務め、その際の報告を韻文で行っていました」*5と述べており、両親を通して言葉への感受性が自然に培われていったことがわかる。

*4 Carl Andre, “interview with Paul Cummings” (1972), in Cuts: Texts 1959–2004 Carl Andre, ed. James Meyer (Cambridge, MA: MIT Press, 2005), p. 79.
*5 Ibid.

一方で、アンドレは物質との出会いについても言及している。彼の祖父は煉瓦職人であり、叔父は建設会社を経営していた。アンドレは就学前の頃、さまざまな建設現場に連れて行ってもらった経験を、「最も初期の記憶の一部」*6だと振り返っている。また、家族で美術館に訪れた際には、絵画にはおよそ関心がなく、「鎧や武器、物質的なもの」*7に興味を惹かれたという。

*6 Ibid., p. 77.
*7 Ibid., p. 79.

こうした言語と物質への関心は、のちのアンドレの芸術実践の核となる。彼は1950年代後半から彫刻制作を始めるが、そこには詩的感性と物質への探求心が反映されていると言えるだろう。アンドレは、自身の感性について次のように語っている。「私の感性は、常に質量や重量、立体的なものに引き付けられてきた。〔……〕レンガ、石、金属、木材など、私が今使っているものは、子供の頃から私に非常に身近なものだった」*8。ここには、幼少期から培われてきた物質への関心が、彼の芸術家としての感性の基礎を形作っていることが示されている。

*8 Ibid., p. 81.

このように、カール・アンドレの芸術的基盤には、言葉と物質への探究心や物質への感受性が深く結びついている。両親を通して育まれた詩的感性と、祖父や叔父との関わりを通して芽生えた物質への関心は、彼の創作活動の源泉となっているのである。

2 詩作と彫刻制作における物質性

アンドレの芸術実践において、こうした言葉と物質への関心は、詩作と彫刻制作の両方に反映されている。まずは、詩作について見ていこう。アンドレは次のように述べている。「私はタイプライターを機械や旋盤、ノコギリのように使い、ページに文字を適用しています。タイプライターを使うとき、本当に触知的な感覚が得られるのです」*9。この言葉からは、アンドレが物質的な感触とともに言語を扱っていることが窺える。彼にとって、タイプライターは単なる文字入力の道具ではなく、物質に形を与える工具であるかのようである。

*9 Andre, “Poetry, Vision, Sound” (1975), in Cuts, p. 212.

ただし、言語が何ら意味を持たないというわけではない。アンドレは、絶対的なナンセンス詩を書くことができないと述べている。「絶対的なナンセンス詩を書くことができたことはありません。人々は私のこの詩を絶対的なナンセンスだと考えますが、言葉でないものや造語を作ることは決してできませんでした」*10。彼にとって、言葉は必然的に意味を伴うものであり、完全に意味を排除することは不可能なのである。とはいえ、アンドレは次のようにも語っている。「ほかの人たちはナンセンス詩を書き、言語から音楽を作る傾向がありますが、私にとって言語に対する詩的関心は、まさに言葉自体の触知可能性、触覚的感覚なのです。私は言葉をモノのように扱おうとしていると非難されてきましたが、言葉がモノではないことは十分に承知しています。しかし、言葉には触知可能な触覚的性質があり、それは私たちが言葉を話したり、書いたり、聞いたりするときに感じるものです。それが私の詩の真の主題なのです」*11。アンドレにとって言語は、単なる抽象的な記号システムではなく、触れることのできる物質的な存在なのだ。彼は、言葉から意味を完全に切り離すことはできないと認めつつも、その物質性に強い関心を寄せているのである。

*10 Ibid., p. 214.
*11 Ibid.

一方、彫刻制作においては、アンドレは物質について、「木を木として、鋼を鋼として、アルミニウムをアルミニウムとして、干し草の束を干し草の束として扱いたい」*12と述べ、素材の物質的・化学的性質を活かすことの重要性を強調している。そして、「物質の特性が彫刻の最も重要な内容である」*13という言葉からは、物質の特性それ自体が彫刻作品の本質をなすという強い主張が認められる。興味深いのは、このように物質そのものの重要性を強調しつつも、アンドレの彫刻作品には、一貫して言語的な構造を見出せる点である。アンドレの作品は、金属板や煉瓦、木材などの素材が規則的に配置されているが、その配列は言語的な統辞法(シンタックス)を想起させる。素材の組み合わせや反復によって、彫刻全体が一つの意味を生み出しているかのようである。

*12 Andre, “I want wood as wood and steel as steel ...” (1970), in Cuts, p. 144.
*13 Andre, “The Properties of Matter”, (1991), in Cuts, p. 148.

このように、アンドレの詩作と彫刻制作には、言語と物質の点において両者の交叉が認められる。彼は詩の制作において言葉の物質性を追求し、彫刻の制作においては物質の存在感を前景化させつつ、そこに言語的な構造を顕在化させている。すなわちアンドレにとって、詩と彫刻は言語と物質という異なる媒体でありながらも、互いに響き合うものなのだ。そしてこの交叉は、彼の創作活動を貫く方法論にも表れているのである。

3 「切断」と「粒子」

では、このような言語と物質の交叉を可能にしているアンドレの方法論とはいかなるものなのか。そこで鍵となるのが、「切断cut」と「粒子particle」という二つの概念である。彫刻制作においてアンドレは、自身の作品素材を粒子として捉え、その組み合わせによって作品を構成している。「私が常に探求してきたのは、素材、つまり素材の粒子なのです。適切なサイズ、色合い、密度などを持つレンガのような素材や素材の単位を見つけることです。この粒子を見つけることから、私はそれをほかの粒子と組み合わせて作品を作ります」*14。ここで言及されている粒子とは、レンガや鉄屑、木材などの素材の単位を指している。アンドレの彫刻では、このような粒子を生み出すために物質が切断され、それらが一定の規則に従って空間に配置されることで全体としての作品が構築されるのである。

*14 Andre, “The forms of my work have never particularly interested me.” (1970), in Cuts, p. 99.

一方、詩作においてもアンドレは、単語を粒子として扱い、同様の発想を用いている。そして詩作における粒子化のプロセスは、「言語の切断」によって遂行される。アンドレは次のように述べている。「私は本や地図などから言語のカットを取り、そこから自分の目的に適したカットを作ります。まず、私が取るカットと言語のストック全体との関係があり、次に、私が取るカットと私が作るカットとの関係があります」*15。ここで言う「カット」とは、言語を既存の文脈から「切断」した要素を意味している。アンドレは、言語を切断することで単語を抽出し、それらを粒子として扱うのである。

*15 Andre, “A Cut of Language”, (1964), in Cuts, p. 209.

アンドレは、こうしたプロセスに至った啓示的瞬間について、1963年のホリス・フランプトンとの対談の中で次のように語っている。「私が自身の意図を初めて理解したのは、ある夜のことでした。グリーンビル・ヤードの西行きのハンプで、独立したブレーキ係として働いていたときのことです。真夜中の3時、私は突然、自分の詩作の目的を達成するために唯一有効な方法は、パースのテキストをその最小限の構成要素へと還元することだったのだと悟ったのです。すなわち、一つ一つの単語に」*16。ここで言及されているのは、E・W・パースの著書『インディアンの歴史と系譜』の中の「キング・フィリップ戦争」をベースにした詩作についてである。アンドレはこのテキストを素材とし、それを「最小限の構成要素」である単語に分解することこそ、自身の詩作の目的だったと力説している。このことは、言語を切断することにより粒子へと還元することにほかならない。

*16 Andre, “On Certain Poems and Consecutive Matters”, (1963), in Cuts, p. 199.

このように、「切断」と「粒子」の概念は、アンドレの彫刻と詩の創作活動の核をなすものと言える。彼は物質と言語という異なる媒体を切断し、粒子へと分解することで、それらの組み合わせから独自の全体を生み出そうとしているのだ。言い換えれば、アンドレの芸術実践とは、素材を切り取り再配置することにより、既存の文脈から解き放ち、新しい関係性の中で予期せぬ在り方を創出する営みなのである。ただし、ここで留意すべきは、このプロセスにおいて生成された全体もまた、常に別の全体へと再構成される可能性を内包しているという点だ。全体とは、あくまでアンドレの流動的な思考の一局面なのである。

おわりに

本研究ノートでは、カール・アンドレの彫刻と詩の関係性について、幼少期の体験を端緒として、言語と物質の交叉、切断と粒子の観点から論じた。アンドレは詩作において言葉の物質性を追求し、彫刻制作においては物質に言語的構造を見出すことで、両者の境界を揺るがしている。そしてこの交叉は、彼の創作活動を貫く「切断」と「粒子」という方法論に表れている。アンドレにとって、詩と彫刻は言語と物質という異なる媒体でありながらも、互いに響き合うものなのだ。彼の芸術実践は、このような媒体の相互浸透を促すことで、芸術表現の可能性を拡張するものと言えよう。

DIC川村記念美術館での展覧会「彫刻と詩、その間」は、まさにこのようなアンドレ芸術の本質を捉えた企画である。彫刻と詩を並置する空間構成は、両者の境界と相互関係の考察へと誘うとともに、この研究の重要性を示唆するものとなっている。今後は、ミニマル・アートやコンクリート・ポエトリーとの関連性など、アンドレ芸術をめぐる議論がさらに深化することが期待される。そしてそれらを解き明かす鍵もまた、彫刻と詩の「間」を探究する営みの中に見出せるのかもしれない。

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年6月30日 発行