単著

須藤健太郎

作家主義以後 映画批評を再定義する

フィルムアート社
2023年12月

『作家主義以後──映画批評を再定義する』(須藤健太郎著、フィルムアート社、2023年)には、著者が2017年から2023年半ばにかけて発表した映画批評のテクストがまとめられている。劇場で販売される映画のパンフレットに寄せられた文章や文芸誌に掲載された批評文、あるいは映画館のトークイベントで発表された講演の言葉や、『キネマ旬報』で毎月連載されていた計164本の新作映画のごく短い「星取レビュー」などが収録されており、映画批評「作家」としてのアンソロジーのような形式になっている。そのひとつひとつは、ごく短いながらも独立した批評であり、著者も「序」で述べている通り、本書を最初から最後まで通しで読む必要はなく、各自の関心にしたがって好きな箇所から読むことのできる断片的な書物となっている。映画館で映画を観るついでに買ったパンフレットを、映画観賞後の余韻と共にぱらぱらとめくって読むように、本書はそんな気軽な態度で読まれることを求めているようでもある。

しかし、こうしてアンソロジーのように組まれた一連の批評をまとめて読むと、そこにはある峻厳な方法論と呼べるものが自ずと立ち上がってくる。それは、本書のエピグラフに掲げられたジル・ドゥルーズの言葉「実験せよ、けっして解釈するな。」という挑発的な一文からも窺い知ることができる。その横にはエピグラフとしてもう一文芭蕉の言葉が掲げられており、「狂句こがらしの身は竹斎に似たる哉」とある。そこからは、批評「作家」というよりも、「実験者」としての著者のエチカ、ないし生き様のようなものすら感じ取ることができる。

では、その方法論とは何か。それは、多くの論考で姿をあらわす、まるで独り言のように響く素朴でささやかな問いの言葉に表れていると言っていいだろう。その言葉は、ほとんど宛先のない呟きのようにぽつんと投げられ、そして次第に大きな波紋を読むものに残してゆくかのようだ。

たとえば、フランスの美術史家エリー・フォールの映画論を論じたテクスト。フォールは20世紀初頭に大きな進化を遂げた映画という表現形態に可能性を見出し、「シネプラスティック(cinéplastique)」なる造語を編み出した。やがてこの言葉はフォール自身によって見捨てられ、以降使われなくなるそうなのだが、フォールと同時代にジャン・エプシュタインが用いた「フォトジェニー」、あるいはセルゲイ・M・エイゼンシュテインが用いた「原形質性」などとも比較可能な映画理論の概念であり、それを映画理論史のなかに位置づけるだけでも大変大きな研究成果であろう。しかし、著者の筆致はそれだけにとどまらない。フォールの映画論の可能性とその射程を現代にまで持っていき、いわばそのアクチュアリティを引き出すのである。すでに当の本人によって見捨てられた概念をもう一度拾い直し、再び現代に蘇らせること。そうした「実験」、ないし「狂句」を駆動させているのが、著者の独り言めいた次の言葉である──

だが私の頭には、フォールが「シネプラスティック」に見切りをつけた理由は一体何だったのか、という問いがまず浮かんだ。そして、これが練り上げられることなく途中で放棄された、いわば未完の概念であるからこそ、ますます興味を掻き立てられた。おそらくそれゆえだろう。翻訳という行為は書かれたことを忠実に一字一句丹念に読み、また再読することであるにもかかわらず、私はフォールの言葉を訳しながら「一度も書かれなかったことを読むこと」(フーゴ・フォン・ホフマンスタール)を強く意識していた。もしかしたら書かれたかもしれないことを、つまり、可能性を読むことに自然と囚われていた。(「シネプラスティックとその彼方──エリー・フォールの映画論」、99-100頁)

このように、本書に収められた諸論考には、素朴といってもいいほど直截的な言葉で、問いが立てられている。それは、公に向けられた問題提起や異議申し立てのようなものではなく、孤独のうちにふとこぼれ落ちた、しかし決して見過ごすことのできない問い、極めてアンティームな謎に導かれた問いだと言っても差し支えあるまい。

ささやかに呟かれる問いの数々──

私は映画について考えるときはなるべく愚直であろうとしていて、そうすると『奇跡』を前にしたときはまず「奇跡とは何か」と問うことになる。(「奇跡とは何か──カール・テオドア・ドライヤー『奇跡』(一九五四)」、26頁)

なぜムシェットは最後に斜面を転がる身振りを繰り返すのか。/水面の波紋をたんなる水面の波紋ではないものと化すため。水音をたんなる水音ではないものと化すため。見せずに見せるため。(「『バルタザールどこへ行く』と『少女ムシェット』をめぐる12の指摘」、35頁)

なぜ、マヤは上演前に姿を現すのか。それは、彼女の舞台衣装を見せるためだ。〔…〕ところが、彼女の衣装こそがこの場面でもっとも大きな謎を喚起しているのだ。〔…〕舞台衣装に身を包んだマヤを見ていると、はたして『野鴨』に該当する人物がいたかどうか、ふつふつと疑念が沸いてくるのである。(「マヤは誰を演じているのか?──濱口竜介『寝ても覚めても』(二〇一八)」、134頁)

だが、考えてみてほしい、ペドロ・コスタが言葉による語りをこんなに安易に視覚化してしまうことなどこれまであっただろうか。〔…〕いや、こちらが勝手な思い違いをしているのかもしれない。あらためて冷静に考え直してみたい。〔…〕いや、もう一度、しっかりと作品を見直してみよう。話をあまりに単純化しすぎているのかもしれない。(「視線の主体をめぐって──ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』(二〇一九)」、147-151頁)

『夏』で映される、六八年五月のスローガンのうちで印象的なもの──「誰が作るのか? 誰のために?(Qui crée? Pour qui?)」。作るものを作者というなら、誰が作るのかといえば、それは作者である。作品の宛先を観客というなら、誰のために作っているのかといえば、それは観客のためである。作者が観客のために作品を作る、ということだ。しかし、もし作者こそが観客であり、観客こそが作者だとしたら?(「一元論と間隙──マルセル・アヌーンの「四季」シリーズについての断片的な考察」、65-66頁)

著者は威勢の良い断言を用心深く避け、その代わりに問いの数々を、ごく控えめな調子で繰り出していく。それは、「これこそ映画だ!(Ça c’est du cinéma!)」と威勢よく断言した批評家ジョルジュ・アルトマンを批判し、「映画とは何か?」と問い続けることで、安易に「これ(ça)」と指し示すことのできない不定冠詞の「不純な映画(un cinéma impur)」を追い求めたアンドレ・バザンの身振りに、いくらか似てもいる──

かつては、これが映画だと言えたかもしれない。しかし、いまや状況は一変した。「これこそ映画だ!」と断言するのではなく、「映画とは何か?」と問うことが重要である。バザンが自分のテクストを集めた書物のタイトルを疑問形にしたのは、なんとも示唆的なことだ。映画とは何か。それは永遠の疑問符のなかにある。(「映画は疑問符のなかに──アンドレ・バザンと「不純な映画」」、197頁)

しかし、なぜかくも慎ましやかなやり方で、問いが立てられねばならないのか。その問いは、たとえば本書にも収録されている1968年5月における映画によるアジビラ「シネトラクト」への参加を呼びかけるタイプ原稿にあるような問い──「なぜ?」「何を使って?」「どうやって?」といった具合に次々と捲し立てられるスピード感のある問い方でもよかったはずだ。「シネトラクトでは、なにより速度が重視される」(「シネトラクトせよ!」、276頁)。しかし本書における問いは、そうした速度とは無縁のところにある。

本書においてしばしば著者は、自分の過去の体験や思い出を記憶から取り出し、ためらうことなく書き留めている。それはまるで、誰かに読まれることを前提として書かれたものではない、ごく私的な日記のようにも読める。特に『キネマ旬報』で連載していた「星取レビュー」などは、備忘録のために書き記した個人の映画ノート(あるいはFilmarks)をこっそり覗き見ているかのような気分にさえなる。「かなり楽しんで見た(インド映画をよく知らないので、これがいつも通りの面白さなのか、それとも規格外の面白さなのかはわからないのだが)」(『RRR』、317-318頁)。

日記的な性格がもっとも顕著に表れているのは、第Ⅴ章「ジャン・ユスターシュとその仲間たち」に収められたいくつかの論考だろう。中でも極めつきは、ジャン・ユスターシュの次男であるボリスのもとへ取材に行ったフランス留学中の博論執筆時代を振り返った話である。ボリスは気難しい人で知られるが、著者は意を決して会いにいく。それが転機となってボリスの他にもユスターシュに関わる人々への取材に明け暮れるようになった。だが著者は、取材することの重要性に気付くと同時に、取材をしないことの重要性にも気付き出す。それは「他人が無邪気に入ってはいけないプライヴェートな領域」に足を踏み入れることの妥当性を問うようになったからだと書かれている(「ボリス・ユスターシュのこと──『評伝ジャン・ユスターシュ』取材余話」、345頁)。

おそらく、本書を貫く著者の独特な問いの立て方は、「他人が無邪気に入ってはいけないプライヴェートな領域」へと問いを投げ入れる際の倫理的な態度から要請されたものなのではないだろうか*1

1「プライヴェートな領域」へと論を運んでいく際の著者の筆致の繊細さは、ジャン・ドゥーシェが「創造の核」と呼んだ映画作品のある種の「急所」を批評が突く際の「愛の作法(L’Art d’aimer)」にも繋がっているかもしれない。著者はここでの「L’Art(ラール)」を、愛する「技法」でも愛する「術」でもなく、愛の「作法」と、もともとオウィディウスのラテン語の原題「Ars amatoria(アルス・アマトリア)」が持っていた柔和な響きを加味して自ら訳し直している(「創造の核──『ジャン・ドゥーシェ、ある映画批評家の肖像』の余白に」、382-383頁)。慎ましやかなやり方で立てられた問いは、したがって「作法」と呼ばれるべきものなのである。

しかし、その領域へと投げ入れられた問いに対する応答は、必ずしも返ってくるとは限らない。気難しいボリスからは、フランス語でまず書かれた著者の博論には何の関心も示してもらえず、ついで日本語で出版された『評伝ジャン・ユスターシュ』を送るも、ただひとこと「Merci(ありがとう)」とだけ書かれたメールを受信したのみとある。「もし彼に日本語が読めたら? 同じ言葉を返してくれるだろうか」(346頁)。ここでも、問いは投げられたまま返ってこない。

博論の口頭試問を終えて、著者はユスターシュの育ったナルボンヌの田舎街へ向かう。バスの中で、ユスターシュと同じ訛りをもつ老人に話しかけられた。著者は老人にこう問いを投げかける──「あなたのフランス語には聞き覚えがあります。映画のおかげです。あなたはジャン・ユスターシュのことを知っていますか?」(「ユスターシュの訛り」、414頁)。文章はここで終わっている。またしても、応答はない。

本書の「序」の冒頭には、「批評はいつも孤独から始まる」(8頁)と書かれてある。それは著者が若い頃に熱心に読んだ山田宏一の『友よ映画よ、わがヌーヴェル・ヴァーグ誌』を読んだ時の「なんとも言えないさびしさ」が原体験としてあるからだという。山田宏一の書物と同様、本書は「いたって個人的な書物である」(9頁)。そこで展開される問いの数々が、いつも孤独から始めざるを得ないのは、必ずしも応答が返ってくるとは限らないプライヴェートな何かへ向けて、問いが立てられているからにほかならない。本書はこうした孤独な実験者の呟きによって形作られている。

(高部遼)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年6月30日 発行