今、絵画について考える
本書は、2022年に国立新美術館で開催された「連続講座:今、絵画について考える」を契機に刊行された。パンデミックの猛威も緩み始めたこの年に同館では、海外からの輸送を伴う大型展が再開された。「メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年」、「ダミアン・ハースト 桜」展、「ルートヴィヒ美術館展 20世紀美術の軌跡」は、奇しくも、ルネサンスから現代までの豊穣な絵画史そのものでもあった。本書は、これら3展に基づいた連続講座に由来する論考4本と、国立新美術館の研究員による絵画論4本で構成される。
全体を通してまず気づかされるのは、反遠近法の多様性である。セザンヌやカンディンスキーが重視した「主観的な感覚」(長屋光枝)、ブラックの「触覚的な絵画空間」(杉本渚)、カンディンスキーとマレーヴィチによる「抽象の探求」(大島徹也)、ロシア・アヴァンギャルドやモンドリアンの「宇宙的な全方位性」(沢山遼)などは、遠近法からの脱却とは世界観の変容そのものであり、絵画が世界の見方の現れであることを痛感させる。
二つ目に、イズム(主義)の問い直しと時代の超克がある。美術史は、伝統的な様式論に基づいたイズムの交代劇として記述されてきたが、そこには時代に応じた取捨選択が強く作用している(亀田晃輔)。ダミアン・ハーストの実践が通時的な眼差しを困惑させるのは、それが半ば意識的に捨象してきた言説を逆照射してみせるからだろう(小野寺奈津)。
コンステレーションによって、夜空に輝く星たちの見え方が変わるように、絵画もまた、そのときどきの状況に応じて多様な見方を誘発する。「点描から垣間見える死」(加藤有希子)は、パンデミックに続き、戦争が多発する現代だからこその切迫感を湛え、描く手と描かれる手をつぶさに見た最終章「絵画の手」(平倉圭)は、絵画における身体性と、絵画の共時的な経験のあり方に注意を向けさせる。
絵画という、古くて新しい芸術形式に向かう手がかりや指針にしてほしい一冊である。
(長屋光枝)