Jean-Luc Nancy. Anastasis de la pensée
2021年8月23日に逝去したフランスの哲学者ナンシー、その思考の軌跡と遺産をめぐっては早くも同年からいくつもの追悼シンポジウムが開催されてきた。『ジャン゠リュック・ナンシー 思考のアナスタシス』と銘打つ本論集の出自も、2022年1月22日~24日の3日間、パリのポンピドゥーセンター・高等師範学校(ENS)・オンラインと場を移しつつ、同題を掲げて行われたシンポジウムに求められる。
アナスタシスとはギリシア語で「立ち上がらせること、蘇らせること」を、とりわけキリスト教の文脈ではイエスの「復活」を意味する語であり、ナンシーの著作では特に『私に触れるな』で取り上げられている。
E・バリバール、G・ベンスーサン、J‐C・バイイらを含む総勢30名が寄稿した本論集は4部に分かたれ、中心的な役を務めたJ・レーブル、S・モハン、D・ドウィヴェディによる3つの開幕の辞を皮切りに、「有限性」、「政治と芸術の間で」、「意味=感覚=方向 Sens」と主題ごとに区切られたセクションが続く。論者は各部の題となった争点に加えて身体や感覚、宗教や信といったモティーフ群を「アナスタシス」に絡めながらそれぞれに論じ、ナンシーの思考の喚起・読解・継承・再開・批判等々を行為として体現してゆく。
日本語圏に紹介するという意義をもつ本紹介文のために、日本からの寄稿者についてごく簡単に触れると、市川崇が一切の支えも根拠も欠いた「信 la foi」の問題を政治ないし民主主義の次元で提起し直し、西谷修は「分割=共有 le partage」の核心を踏まえて今日の「思考の課題」の位置を西洋とその外の「接触」に見定めようとする(こうした問題意識はナンシーが最晩年の活動の場の一つとし、本論集の背景をなすジャーナルと連動していることを付言しておこう)。柿並良佑はナンシー自身が幾度も取り上げ直した「再開・受け取り直し la reprise」のモティーフを文字どおり受け取り直してみせることを試みた。
紙幅の制約もありいずれの寄稿も決して長いものではないが、むしろそのために、寄稿者がそれぞれに対峙し分有するナンシーの思考の側面一つ一つが端的に浮き彫りになっていると言えよう。
(柿並良佑)