PRE・face

動物というトポス

増田展大

2005年4月23日、一般に公開される直前のYouTubeに初めて投稿された動画は、「動物園での私(Me at the Zoo)」と題された映像であった。のちに世界最大の動画プラットフォームの共同創設者となる男は、「自撮り」のような映像のうちで屋外に設置された柵を背にすると、そのなかの動物について説明しようとする──「とても、とても長い鼻を持っている。カッコいいよね。言いたいことはそれくらいかな」。おそらくテスト用に記録したものなのだろう、話すことがみつからずバツの悪そうな人間の様子を記録した動画は、およそ18秒ほどであっけなく終わる。

この動画サイトが後の視聴体験に引き起こした大変動に比べると、その最初の映像はかくも拍子抜けするような内容であったのだが、そこにはまぎれもなく人間と動物の姿が写し出されていた。もちろん偶然でしかなかったのかもしれず、なぜ動物園が選ばれたのかはわからない。ただし、それ以前からテレビやインターネットなどのメディアには、愛くるしいペットや保護すべき動物たちのイメージが溢れかえっている。さらに歴史をふりかえると、20世紀初頭の最初期の映画にも、しばしば象や猫などの動物が被写体として選ばれていたことを想起することもできる。家畜化したものであれ野良化したものであれ、映像メディアの歴史上の節目で、動物たちが少なからず重要な被写体となってきたことは間違いなさそうである。

映像史に限らず、最近の人文系学術書のタイトルにおいても、種々の動物や関連するテーマに遭遇することは少なくない。ここでも動物のイメージが、特異な存在感を示している。

もちろん哲学・思想の領域からみれば、動物が特権的な考察の対象となるのも最近に限られたことではないだろう。自身もまた動物であるはずの人間が歴史上、それ以外の動物をプリズムとして人間なるものを規定しようと試みてきたことは、アガンベンが近代以降の博物学や哲学を検証しつつ「人類学機械」と称して指摘したとおりであった。そこにも登場するハイデガーの提出した動物をめぐる著名なテーゼ(「世界が貧しい」)について、猫に見られているという素朴な経験を起点として批判的な考察を進めたデリダの仕事も、あらためて翻訳や専門書によって詳らかにされている。人間が自身の都合によって動物を搾取するさまを「種差別」として糾弾したピーター・シンガーの議論は、現在まで頻繁に論じられる環境や食をめぐる問題について重要な礎となっており、より最近であれば、自身の飼い犬との関係をもとに「伴侶種」概念を提出したダナ・ハラウェイの議論が、文学やアートの表現にとってしばしば着想源となっている。

これらともゆるやかに連動して、特に今世紀に入って動物を頻繁に取り上げつつ活況を呈しているのが人類学の領域である。複数の種間を横断する視座から、ときに「種」というカテゴリーそのものを批判的に検証する議論(マルチスピーシーズ民族誌)は、人間と動物の関係に収まらず、人間という動物について批判的な考察を深化させている。これが日増しに議論されている生態系の危機や環境問題と、それを駆動してきた人間中心主義批判と関連づけられることはいうまでもないが、これも一例を挙げると、『森は考える』の著者エドゥアルド・コーンは、猿や鳥たちの振る舞いを導き手として、森のなかに張り巡らされる記号過程の網の目を浮かび上がらせる。

しかしながら、こうして種々の言説に頻繁に動員させられてきた一方で、(人間以外の)当の動物たちはそんなことはお構いなしに日々、暮らしているように感じられてならない。冒頭の映像のなかで男が何度も振り返ってみても、その先にいる象たちが反応することはない。そのことにありありと体現されるように、動物園の内か外かにかかわらず、動物たちと人間との視線はすれ違いつづける。伴侶種や家畜であれば、こちらの顔色をうかがったりすることもあろうし、クマが餌を求めて人間を襲ったり、カラスがゴミ捨て場をじっと監視(?)していることもある。それでも動物にとっての意識やイメージは結局のところ、どれだけ科学や技術が進歩しようとも不可知のままであり続けてきたのであり、だからこそ上記のような一連の思考を喚起し続けてきたはずだ。そうして人間を含めた動物のあいだに多くの場合、イメージやメディアと呼ばれるものが介在している以上、それぞれを個別に検討することの意義は決して小さくはないだろう。

本号小特集「動物というトポス」は、以上のような問いをめぐって文学研究や芸術実践、人類学の諸分野の識者に依頼して実現した座談会と論考の合計3本から構成される。上記の理論的言説と交錯しつつ、それともやや異なる角度から、それぞれの実践において動物がどのようにイメージされてきたのか、それらが人間という動物にいかに作用してきたのか(逆に、動物にとってイメージとはいかなるものなのか)、これらの問いについて考える一助となれば幸いである。

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年6月30日 発行