国際シンポジウム&講演会 VANITAS──現代美術と写真にみる「はかなさ」のイメージ 日独共同研究の成果から
シンポジウム(東京)
日時:2023年9月17日(日)
会場:国立新美術館3階講堂
使用言語:日本語、ドイツ語 (同時通訳付き)
主催:科研費研究(B)「近現代美術における死生観の研究〜〈ヴァニタス〉表象を中心に」(課題番号:20H01206/代表者:香川檀)
共催:国立新美術館
基調講演:「現代芸術におけるヴァニタスの回帰──ドイツの芸術学がひらく視座」
ヴィクトリア・フォン・フレミング(ドイツ・ブラウンシュヴァイク美術大学教授)
登壇者:仲間裕子(立命館大学名誉教授)、鈴木賢子(京都芸術大学特任准教授)、結城円(九州大学准教授)、マーレン・ゴツィック(福岡大学教授)、石田圭子(神戸大学准教授)、(兼司会)香川檀(武蔵大学教授)
講演会(福岡)
日時:2023年9月29日(金)
会場:福岡市立美術館ミュージアムホール
使用言語:日本語、ドイツ語 (逐次通訳付き)
主催:同上
共催:福岡市美術館
協賛:九州大学大学院芸術工学研究院
【音楽演劇】〈ヴァニタス・シリーズVol.2:フォーリングス〉
作曲・演出:ゼミソン・ダリル(九州大学芸術工学研究院助教)
演奏:石川高(笙:竽)、松隈聡子(ヴィオラ)、宇野健太(チェロ)
映像制作:雪阿弥
【講演】「〈人新世〉に向き合うヴァニタス」
ヴィクトリア・フォン・フレミング(ドイツ・ブラウンシュヴァイク美術大学教授)
司会:結城円(九州大学准教授)
本シンポジウムは、現代アートや写真における「生のはかなさ」や「うつろい」の表現に注目し、そこに見出される死生観や世界観を探るものである。キーワードである「ヴァニタス」(虚栄/空しさ)の概念は、17世紀バロック期のオランダ静物画のなかで独自の意味作用をもつ図像定型を生み出したが、2010年代からドイツのブラウンシュヴァイク美術大学とハンブルク大学の協働で実施されている研究プロジェクトは、現代の芸術──美術をはじめ、文学や映画、演劇やパフォーマンスなど──におけるヴァニタス表現の回帰もしくは反復に注目して、「現代のヴァニタス」の新たな意味の展開を捉えなおす作業を進めている。私たちの科研費研究会は、このプロジェクトに日本から参加するかたちで2020年に発足した日独共同研究であり、今回の国際シンポジウムは、ドイツ側プロジェクト・リーダーであるヴィクトリア・フォン・フレミングさんを招いての、この4年間の成果発表の場であった。
フレミングさんによる第一部の基調講演「現代芸術におけるヴァニタスの回帰──ドイツの芸術学がひらく視座」では、髑髏というヴァニタス・モチーフが用いられている例として、ロバート・メイプルソープやダグラス・ゴードン、パスカル・コンヴェールのセルフポートレイト、さらにはインド人アーティスト、スボード・グプタによる飢餓問題の作品をポストコロニアリスムの視点からとりあげる。そして最後に、イスラエル生まれでイギリスを拠点とするオリ・ゲルシュトの、無常や浮世(憂世)といった仏教思想を参照した日本の桜の写真や動画の作品に注目し、西洋からアジア・日本へと至る「はかなさ」の表現の系譜をたどることで、トランスカルチャーの視点からの分析がなされた。
これを受けて、第二部では日本側の6人による研究発表が行われた。
仲間裕子による「〈消滅〉と〈永遠〉の時間・身体──杉本博司の死生観とヴァニタス思想」は、杉本の「ジオラマの」「蝋人形」「ロスト・ヒューマン」のシリーズを、ヴァニタス思想の視点から考察したもの。彼は、髑髏に代わる近代の死の象徴である動物の剥製や蝋人形をモチーフにすることで、ヴァニタスの伝統に連なると同時に、戦争や自然破壊による消滅に警鐘を鳴らし現世から末世(仏教の末法思想)へと思考をめぐらす点で、ヴァニタス回帰に通じる思考回路がみられることをあきらかにした。
鈴木賢子は、「畠山直哉の写真における川の表象──〈無常〉をめぐる一考察」で、岩手県陸前高田の出身である畠山が、東日本大震災によって被災した故郷を写真に撮り収め、2016年に開催した個展「まっぷたつの風景」に注目する。それは、時間の経過に沿って、川の流れのように展示されたのだった。彼は仏教の無常をしばしば川の流れに喩え、無常とその現れとの逆説的な関係を感覚化する点で、写真を強力な媒体と考えている。
結城円の発表「写真の間文化的な時間性──荒木経惟『TOMBEAU TOKYO』におけるヴァニタスと無常」は、日本人の写真が欧米において「ヴァニタス」として受容される傾向に注目し、異文化受容における翻訳可能性について論じたものである。荒木の花の写真は欧米でヴァニタスと解釈され、日本では無常の概念に結びつけられる。このような作品受容の背景を、ヨーロッパと日本の美術史の文脈における女性身体と花の寓意から解き明かした。
マーレン・ゴツィックによる「ゴミが化石になるとき──三島喜美代の作品における物質と時間性」は、陶土にスクリーン印刷の技術を用いて巨大な新聞紙の束などを表現した現代美術家の三島喜美代に光を当てる。彼女の作品は、新聞をはじめとする印刷された情報メディアのはかなさを表し、ユーモアと自己アイロニーに溢れていながら、ほとんど終末論的な情報の氾濫と消費社会への批判がこめられていることを指摘した。
石田圭子の「草間彌生における〈ヴァニタス〉のフェミニズム的転回と反転」は、草間の芸術における生と死の問題を「ヴァニタス」の観点から再考したものである。彼女が用いる花のモチーフは、生と死、そしてフェミニズムという二つのテーマが深く関連していることを明らかにする。そのうえで、草間のフェミニズムが、快楽・欲望・性といった要素を生の基盤に据えることで、従来のジェンダー二元論や男根的イデオロギーを転覆すると説いた。
最後に香川檀の「居場所のはかなさ──イケムラレイコの描く“妣(はは)の国”と死」は、ドイツに拠点をおくイケムラの作品を、住居や家族といった「居場所」のはかなさという観点から分析する。「少女」や「海」といったモチーフはそれぞれに、彼女がトラウマとして抱える幼少時の伊勢湾台風の被災体験が関係している。さらに「母と子」のモチーフには死と再生(誕生)の循環する時間性がみられることを、日本の民俗学や考古学も参照して指摘した。
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福岡での講演会にあたっては、共催の福岡市立美術館の計らいで、同館に集蔵されている現代美術の作品のうち、研究会メンバーが一人一点を選んで、ヴァニタスの観点から短い解説をつけてホームページにアップした。さらに、九州大学の協賛により、フレミングさんの講演に先立って、同大のゼミソン・ダリルさんが作曲・演出したヴァニタス主題の現代音楽が生演奏で、水をテーマとした映像のプロジェクションとともに上演された。深い瞑想に誘われる、約1時間のひとときだった。
フレミングさんの講演「〈人新世〉に向き合うヴァニタス」は、東京講演よりさらに社会状況への批判を明示的に表現したダミアン・ハーストやデビッド・ラシャペルの作品をとりあげた。人間が行う自然の資源の搾取や、気候変動などのグローバルな問題に、ホルマリン漬のサメや、骸骨や、バロック期の花卉画の引用、そして地震による崩壊をシミュレーションしたかのようなインスタレーション作品などをヴァニタスとして読解した。終了後にはフロアとの活発な質疑応答があり、日本と西洋との「はかなさ」の違いや、時代による変化に関する意見交換があった。
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今回の東京でのシンポジウムは、書籍にまとめる予定であり、ドイツ側のプロジェクトにおいて近年に発表された代表的な研究論文の邦訳も収録することになっている。また、日本のヴァニタス研究会の関連情報なども掲載したホームページも2024年1月末に開設した(URL:https://vanitas-art.com/)。今後の展開を見守っていただければ幸いである。