オンライン研究フォーラム2023

研究発表5

報告:星野太

日時:2023年11月12日(日)16:00-18:00

  • コンテンポラリー・ダンスの視点から見るルネサンス時代のインプロヴィゼーション/藤堂寛子(信州大学)
  • A Reflexive Perspective: Conditions and Limitations of Paraliterary Structuralism, Field Analysis, and Institutional Critique/Able Zhang(Tokyo University of the Arts)
  • 批評家としての分析家──初期ジェイムソンにおける精神分析受容/客本敦成(大阪大学)

【司会】星野太(東京大学)

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本パネルでは、20世紀(から21世紀にかけて)の芸術・文芸・思想にまたがる、3つの研究発表が行われた。以下、当日の発表順に、司会の立場からそれぞれの発表を要約したい。

藤堂寛子氏(信州大学)の「コンテンポラリー・ダンスの視点から見るルネサンス時代のインプロヴィゼーション」は、コンテンポラリー・ダンスの現場におけるインプロヴィゼーションの活用という問題から議論を立ち上げるものであった。コンテンポラリー・ダンスにおけるインプロヴィゼーションの「熱狂的な支持」(Nalina Wait)は、20世紀半ばのアメリカにおける実験的な劇場と結びつけて語られることが多い。つまりそこでは、日常的な身振りをダンスに取り入れることで、従来のダンスのコードの否定が試みられた、という説明がしばしばなされるのだ。これに対して本発表の主眼は、ルネサンス期の舞踊においてもすでにインプロヴィゼーションは重視されていた、という事実を示すことにある。藤堂氏は、ルネサンスの舞踊にまつわる先行研究(Jennifer Nevileなど)に依拠しつつ、ルネサンスにおけるインプロヴィゼーションが「自然」の再現を優美に引き立てるための業(わざ)であったことを指摘する。最終的に本発表は、コンテンポラリー・ダンスにおいてインプロヴィゼーションを積極的に活用してきたウィリアム・フォーサイスと、本発表が明らかにしたルネサンス期におけるインプロヴィゼーションの──時代を隔てた──近接性を示すことによって締めくくられた。

Able Zhang氏(東京藝術大学)による「A Reflexive Perspective: Conditions and Limitations of Paraliterary Structuralism, Field Analysis, and Institutional Critique」という──英語での──発表は、ロザリンド・クラウスに代表されるオクトーバー派の「パラ−文学的構造主義」と、グラント・ケスターによる「現場分析」という異なる芸術批評の方法論を突き合わせながら、理論と現場の双方にまたがる「制度批判(institutional critique)」のなかに、両者を克服しうる方法論を見いだそうとするものであった。本発表は、クラウスとケスターの批評がもつそれぞれの限界や可能性を簡潔に整理したうえで、しばしば相違点ばかりが目立つ両者の共通点に話題を進めた。そこで論じられたのは、クラウスにせよケスターにせよ、「理論」や「実践」をはじめとする特定の領域に深くコミットしており、それゆえ芸術実践の総体をつかみ損ねているのではないか、ということである。Zhang氏によれば、批評理論とサイトスペシフィシティの双方に深くかかわる「制度批判」こそが、両者を超克しうる可能性を秘めている。本発表はその具体的かつ現代的な事例として、KINAN ART WEEK 2022で行なわれた廣瀬智央の「みかんマンダラ」というプロジェクトを挙げ、作家・批評家・観客という3つのエージェントからなる、新たな批評の展望を示したところで締めくくられた。

客本敦成氏(大阪大学)の「批評家としての分析家──初期ジェイムソンにおける精神分析受容」は、アメリカの批評家フレドリック・ジェイムソン(1934-)の初期テクストにおける精神分析の受容を主題とするものであった。本発表は、これまでジェイムソンにおける精神分析の問題が正面から論じられてこなかったという現状認識から出発する。これは、昨今スラヴォイ・ジジェクらとも比較されるジェイムソンの批評理論を考えるうえでは、やはり大きな欠落であろう。そのうえで客本氏は、あえて初期(1960〜70年代)のジェイムソンにおける精神分析の受容過程に照準を絞り、その内容と役割を明らかにすることに専心した。本発表でおもに扱われたのは『サルトル──文体の起源』(1961)、「『ラブイユーズ』における想像界と象徴界」(1977)、『攻撃の寓話──ウィンダム・ルイス、ファシストとしてのモダニスト』(1979)の三篇である。発表のなかで論じられたように、それぞれのテクストにおいてフロイト/ラカンの理論は、たんなる肯定でも否定でもない、ひじょうに微妙な距離感のもとで受容されている。そのうえで客本氏は、初期ジェイムソンにおいて、①精神分析理論の受容が基本的に言語的コミュニケーションの次元でなされていること、②さらにそれが、イデオロギー論の観点から歴史的に相対化されるべきものと考えられている、という二点を結論として示した。

以上、三者の発表は時間通りに行なわれ、最後に30分ほど全体討議を行なった。三者の発表はそれぞれ異なる領域/対象を扱うものであったが、理論と実践が深い次元で交錯する20世紀後半の芸術・文芸・思想を考えるうえで、いずれも今後の発展可能性をうかがわせる意欲的なものであった。


コンテンポラリー・ダンスの視点から見るルネサンス時代のインプロヴィゼーション/藤堂寛子(信州大学)

ダンスの現場におけるインプロヴィゼーション利用はもはや見慣れた光景の一つである。Nalina Waitによるとかつてスタジオ内で実践されていたインプロヴィゼーションが熱狂的に支持されることになったのは20世紀半ばアメリカの実験的な劇場でのことであり、そこでは日常的なジェスチャーなどをダンスに取り入れることでコード化されたダンスの否定が試みられた。ダンスにおけるインプロヴィゼーション利用についてはこの文脈で説明されることが多いが、すでにルネサンス時代のダンスにおいてもインプロヴィゼーションは重視されていた。たとえばJennifer Nevileはインプロヴィゼーションを適切に実施できる能力が良いダンサーの条件とされていたことを挙げながら、15世紀および16世紀イタリアにおいて芸術性とは「自然」をその外見、およびその基盤にある秩序を模倣することであり、ルネサンスにおけるインプロヴィゼーションとは「自然」の秩序の正確な再現を優美に引き立てるための人間の業とされていたとする。本発表では、インプロヴィゼーションに対する関心からもたらされたルネサンス時代のインプロヴィゼーションについての諸研究に拠りながら、ダンスにおけるインプロヴィゼーション理解に転回をもたらしたWilliam Forsytheのダンス分析の視点を通して、ルネサンスにおけるインプロヴィゼーションの一端について読解を試みたい。

A Reflexive Perspective: Conditions and Limitations of Paraliterary Structuralism, Field Analysis, and Institutional Critique/Able Zhang(Tokyo University of the Arts)

This paper conducts a comparative study between paraliterary structuralism and field analysis through a reflexive canon. The former, formed by October scholars, critically investigates modern and contemporary art by vastly relying on paraliterary theories and structuralism-based models. According to Rosalind Krauss, paraliterary refers to a paradigm of critical text that emphasizes the hermeneutic play of interpretation instead of revealing layers of meaning. It is heavily associated with debate, quotation, partisanship, betrayal, reconciliation, and other verbal exercises. This form of writing is emerged through construction and constitution—a structuralist method of creating symbols and codes for poetic, theoretical, and complex aspects.

On the other hand, the latter, mainly developed by Grant Kester, highlights the significance of on-site critique and spectator-centered experiences. Kester points out that the intellectual energy which paraliterary brought to us has now been conventionalized in turn. What the critics need to deal with is to overcome the quasi-transcendent power attributed to theory in the current art criticism and to pay attention to the actual artistic production and practices in the field. Nonetheless, while paraliterary structuralism ignores the importance of engaging with work, exhibition space, and audience, field analysis is potentially compromised on criticality and insights provided by conceptualization.

This paper searches for the problematic in the current institution of art criticism by radically illustrating the histories, structures, conditions, limitations, and potentials of paraliterary structuralism and field analysis. Furthermore, not only their differences are highlighted, but also what they share in common is considered as the direction for locating the potential embodiment of a new form of art criticism. In the final analysis, this paper explains why institutional critique—the systematic inquiry that engages with both critical theories and site-specificity—contains the essence and possibility of becoming such a new form that negotiates the current contradiction and circularity.

批評家としての分析家──初期ジェイムソンにおける精神分析受容/客本敦成(大阪大学)

本発表ではアメリカのマルクス主義批評家フレドリック・ジェイムソン(Fredric Jameson 1934-)の初期著作における精神分析の受容を主題とする。

ジェイムソンと精神分析の関係の深さはよく知られており、例えば2019年にはラカン派哲学者であるスラヴォイ・ジジェクについての専門的な論文誌『国際ジジェク研究ジャーナル』で、ジェイムソン特集が組まれている。その一方で、ジェイムソン自身は精神分析と自身の理論的立場の違いを何度か語ってもいる。では、ジェイムソンにとって精神分析の意義と限界とは何だろうか。

このような問題意識のもと、本発表は1960-70年代を中心にジェイムソンの精神分析受容の過程を検討し、初期ジェイムソンの理論構築における精神分析受容の内容と役割を明らかにする。

発表者の理解では、初期ジェイムソンは分析家と患者のコミュニケーションに注目して精神分析を受容している。特に70年代以降の著作では、フロイトの詩論(「詩人と空想」)やラカンの欲動論(『精神分析の四基本概念』)がマルクス主義批評理論の欠点を補うものとして、その限界が指摘されながらも、積極的に評価されている。

以上の検討から、初期ジェイムソンの精神分析受容が、分析家を批評家のモデルのひとつとして検討することを中心としていること、そしてそれが非反映論的なマルクス主義批評理論の構築の一契機となっていることを主張する。

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年2月11日 発行