グリッチ/バグを利用する者たち──ゲーム攻略、政治的主張、そしてホラー表象へ/藤原萌(京都大学)

「グリッチ」は機械の一時的不具合を表す言葉として英語圏で用いられてきた。日本では同様の意味で「バグ」という語が広く使用されている。グリッチ/バグは単に不具合として無視・忌避されることが多いが、それらをあえて利用する者たちも存在する。

1980~1990年代の日本ではゲーム文化の興隆と共にバグを利用しゲームを攻略するマニア達が登場した。ここでバグは高得点を狙ったり、他者へ優位性を示したりするための道具となった。また、1990~2000年代に北米やヨーロッパで登場したJodiやイマン・モラディなどのグリッチアーティスト達はグリッチによって、システムの中にある反逆の可能性や、現実を問い直すことを提案した。

これらを経て近年増えているのは、グリッチをホラー表現に用いる作品だ。映画『アンフレンデッド』(2014)やゲーム『Pony Island』(2016)に代表されるグリッチホラーはそれまでのグリッチアートやゲーム攻略とは異なる形で人々の前に現れている。

本発表ではグリッチ/バグを単なる不具合ではなく手段として利用した例としてゲームの攻略、グリッチアート、グリッチホラーを紹介する。これにより、グリッチ/バグを表現活動やコミュニティ形成のために重要な要素として提示すると共に、地域・時代におけるそれらの利用や表現方法の比較を通して、テクノロジーとそれを受容する社会との関係性の一端を示すことも試みる。

ゲーム的主体の誕生──ゲーム的規律型社会に対する批判/難波優輝(立命館大学)

本発表は、ゲーム的なフレームワークにおいて世界や他人と関わる存在者をゲーム的主体(Gamic Subjectivity)、ゲーム的自己(Gamic Self)として概念化し、ゲーム的主体・自己を生み出す言説群を考察することで、批判的ゲーム研究およびメディア研究への貢献を目指す。

ゲーム的主体とは、生活、パートナーシップ、ケア、労働といった生のいずれかの側面で、その都度特定の目標を設定し、それを効率的に達成することそのものの価値に駆動されて行為を組み立て、失敗への反省を繰り返していくことで、絶え間ないスキルアップを目指す主体である。

遊びとゲーム研究者のミゲル・シカールは、マーク・フィッシャーの「資本主義リアリズム」の議論を引き、資本主義的制度しか選択しえない世界において、ある主体が無力感を覚えるとき、無意味に思える労働をカモフラージュするために、労働にゲームの要素を組み込む仕組みを「遊び心資本主義」と呼び批判している。

こうした仕組み、ルールの側面への批判に対し、本発表では、主体のあり方を分析する。ゲーム的主体が世界を表象し理解可能にする方略を『弱キャラ友崎くん』(屋久ユウキ著、講談社、2016年〜)や自己啓発研究を取り上げつつ明確化していく。

本発表は、ゲーム研究における資本主義批判を明確化できる有用な概念を提示することで、文化批判のための新たなアプローチを開くことを目指す。