メディア考古学とは何か? デジタル時代のメディア文化研究
本書はデンマーク・オーフス大学のメディア理論家であるユッシ・パリッカによって著されたメディア考古学の概説書の翻訳である。パリッカとエルキ・フータモが共同編集者を務めた論集Media Archaeology: Approaches, Applications, and Implicationsとともに、本書は限られた範囲での受容にとどまっていたメディア考古学が英語圏で広く読まれるきっかけとなった。
1980年代から90年代にメディア考古学を提唱したフータモやトマス・エルセサー、ヴォルフガング・エルンスト(あるいはここにフリードリヒ・キットラーを加えてもいいだろう)を第一世代とするならば、彼らの議論の更新と再編を目指すパリッカは、いわば第二世代のメディア考古学者と言える。メディア考古学はこれまで一般的には新しいメディア史、一風変わったメディアの歴史記述の方法として受け入れられる機会が多かった。そのため既存のメディア史や文化史との差異がたびたび問題となってきた。
これに対し、パリッカが本書で試みるのは、歴史記述の方法を超えて、現在のデジタル文化を理解するための方法としてメディア考古学を再設計することである。メディア考古学は、メディア史を書き換えるだけでなく、現在を複数の時間性が折り重なる場所と捉え、新しいメディアと過去の交錯を記述するための方法として捉え直される。その際に重要な役割を果たすのがニューマテリアリズムの導入である。
ニューマテリアリズムは多様な議論から構成されるが、一般的には言語や文化を重視する従来の社会理論に対し、見過ごされてきた物質、身体、技術、あるいは人間の知覚を逃れる物質性に焦点を当てる社会理論の潮流を指す。パリッカはこのニューマテリアリズムの視点をメディア研究に導入し、非物質的な側面が強調されてきたデジタル文化や情報社会の物質性を問題化する方法として、メディア考古学を再設計することを企てる。
ニューマテリアリズムの導入に加え、パリッカが本書で行なった重要な貢献は、文化研究とドイツメディア理論の架橋であると言えるだろう。たびたび指摘されるように、キットラーをはじめとするドイツメディア理論と英語圏のカルチュラル・スタディーズはしばしば対立的な関係にあった。これに対して、キットラー派の技術に照準するメディア理論と批判的なカルチュラル・スタディーズの視点を、ニューマテリアリズムを経由し、架橋するのが、パリッカのメディア考古学=新しいメディア研究なのである。
キットラーの議論と英米圏の(特にイギリスの)文化研究やメディア研究との間には隔たりがあると時折主張されるのだが、新しいメディア研究がメディアの物質性について論じるときキットラーから引き継いだものを考えれば、キットラー効果は明らかなのである。したがって、ここまで私たちは「メディア考古学」について論じそのコンセプトを拡張してきたのだが、この議論の軌跡は「新しいメディア研究〔new media studies〕」と呼ばれるにふさわしいだろう(121頁)
このように形成された新しいメディア研究の領域(メディア研究における新しい世代の主題)として、パリッカはメディア考古学、メディアエコロジー、ソフトウェアスタディーズ、プラットフォームスタディーズ、コンピュータフォレンジック、情報社会の物質性などを挙げている。本書の重要な意義の一つは、パリッカのいう「新しいメディア研究」「メディア研究における新しい世代の主題」をまとめて紹介している点にあると言えるだろう。とくにニューマテリアリズムとメディア研究の交錯地点に位置する研究群の紹介は重要であり、本書をきっかけに日本語圏のメディア研究や関連領域においても受容が進むことを期待している。
表向きはメディア考古学の概説書という体裁をとっているものの、本書の野心はそれだけにとどまるものではない。メディア考古学的視点からメディア考古学と呼ばれてきた領域を再編し、その地図を描き直すことで、新しいメディア研究の方向性と課題を提示する。その意味でも本書の試みは、過去と現在、そして未来のメディア研究の地図製作であり、それと同時に、一つの可能な羅針盤の創出であると言えよう。
(大久保遼)