絵画の解放 カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化
「カンヴァスに置かれる最初の一筆が、その文字通りのまったき平面性を破壊する」という言葉は、クレメント・グリーンバーグの1960年の高名な「モダニスト・ペインティング」における一節である。なにも描かれていないカンヴァスにただ一点の絵の具が置かれた瞬間、図と地の作用によってそのまったき平面性は崩され、視覚的イリュージョンが立ちあらわれる。この一節はまるでグリーンバーグ自身がカンヴァスを立てたイーゼルの前に腰をおろし自ら筆を置いて眼前に広がる現象を熟視していたかのような印象を与えるものであるが、批評家のこのまなざしこそがアメリカにおけるモダニズム美術批評の地平を形成した基本的態度といえるだろう。それゆえモダニズムの批評家たちにとって重要なのは、カンヴァス上に展開される図と地の相互関係、矩形と描かれたものとの相互関係、色彩間の相互関係、総じてこれらの要素が織りなす空間全体に着目することであった。本書の目的は、このような地平とおよそ軌を一にしていた抽象表現主義のいわゆる第二世代、カラーフィールド絵画の作家の中から、ヘレン・フランケンサーラー、モーリス・ルイス、ケネス・ノーランド、ジュールズ・オリツキー、フランク・ステラをとりあげ、これらの作家および作品をモダニズム美術批評の磁場から解放することにある。
本書におけるカラーフィールド絵画の「解放」のアプローチは大きくふたつに分けられる。ひとつは、モダニズムの美術批評、グリーンバーグとマイケル・フリードにおける見解の異同や、ダダやポップ・アート、ミニマル・アートなどの観点から論じる同時代の美術批評を示すことによって、カラーフィールド絵画をめぐるさまざまな解釈が交錯していたことを明らかにすることである。もうひとつは、カラーフィールド絵画が部屋を飾る装飾として積極的に推奨されたことや、その色彩やデザインが、タペストリーや家具、庭園のデザインに応用され、商品としてあつかわれる経緯を詳細に記述することである。この後者のアプローチは、これまで看過されてきた視点であり、カラーフィールド絵画とアメリカ大衆文化との交叉を詳らかにするものである。モダニズムの絵画作品のオリジナリティの価値の大衆文化への昇華が、そのまさにモダニズム圏内から行われていたこと──たとえばグリーンバーグが顧問を務めていたギャラリーがカラーフィールド絵画をインテリア・デザインの商品として宣伝していたことや、フランケンサーラー、ノーランド、ステラがみずからタペストリーの制作に関わっていたことなど──は刮目に値する事実であり、今後の研究のさらなる広がりや深化が期待されよう。
もとより前者の美術批評の問題においても、カラーフィールド絵画がアメリカの現代美術の一動向として確たる位置を占めているにもかかわらず、これまで十分に考察されてきたとは言い難い。著者はこの歴史のエアポケットを埋めるべく、グリーンバーグとフランケンサーラーの関係を端緒に、ルイス、ノーランド、オリツキーによるステイニング技法の受容と、それによって制作されたカラーフィールド絵画をめぐる多様な視点を提示し、ステラに関しては、グリーンバーグとフリードの解釈についての詳細な分析を行っている。とりわけ、「視覚的時間」、「演繹的構造」についてのフリードの議論とそれに対するグリーンバーグの婉曲的な不同意については、その丁寧な筆運びにより両者の緊張関係がありありと伝わってくる。
ただしこのような精緻な考察を通じて浮かび上がるのは、カラーフィールド絵画をめぐる言説の多様性だけではない。モダニズム美術批評の磁場を形成したグリーンバーグがカラーフィールド絵画の展開に寄与した重要な人物であったことは確かであるが、実のところ作品分析に積極的に取り組んでいたのはフリードやバーバラ・ローズ、ステラやドナルド・ジャッドといった批評家や作家たちであった。そしてここでのグリーンバーグはフォーマリズムの分析家としては後退しており、むしろ目利き(connoisseur)としての姿が際立っているのである。すなわち本書は、抽象表現主義における言説形成の基軸を、その第一世代から第二世代への移行に沿うかのように、グリーンバーグからフリード、ステラ、ジャッドといった次なる世代の批評家・作家たちへと見事にスライド/解放しているのだ。
(大澤慶久)