単著

山内朋樹

庭のかたちが生まれるとき 庭園の詩学と庭師の知恵

フィルムアート社
2023年8月

ジル・クレマン『動いている庭』の邦訳をはじめ、常に画期的な庭園研究活動を行ってきた氏の初の単著である。その内容は、庭師・古川三盛氏が手がける京都・福知山、観音寺大聖院庭園作庭のプロセスを徹底的に記録したものである。

日本の庭づくりの思想をめぐっては、しばしば『作庭記』(橘俊綱編、11世紀半ば頃)が参照される。ここに、ほぼ日本庭園の根本理念が記されていると言って良い。なかでも有名なのは以下の一節である。

石をたてんには、まづおも石のかどあるをひとつ立おゝせて、次々のいしをば、その石のこはんにしたがひて立べき也。(『作庭記』第22項)

石を立てるにあたっては、まず主石のかど(見どころ・才能)があるものを一つ立て、次々の石を、その主石の乞うているであろうところ、、、、、、、、、、、、に従って立てなくてはならない、と書かれている。「こはんに」を「乞はんに」ととって良いかという議論もあるが、大方いまはこの解釈が定説である。これが、日本庭園の自然石コンポジションの基本理念だとこれまで論じられてきた。

とはいえ、では実際にどのように石を立てていくのか、ということについてはある種のブラックボックス化されていた。研究の世界と職人の世界に乖離があったことも事実である。そうした、これまで本格的に紐解かれることのなかった石立てのプロセスを、本書では徹底的な精度で記録・考察している。著者自身のスケッチや写真、さらには現場での職人たちの行動や発言の書き留めから、庭のかたちが生まれてゆくプロセスを見事に書き切っている。しかも、その都度、ブルーノ・ラトゥール氏や平倉圭氏らによる優れた研究を参照し、高度な理論的考察も加えられている。おそらく、氏以外には誰にも行うことのできない作業であり、また、今後、この偉業が打ち破られることもないだろう。

さらに、氏の綿密な配慮によって、この複数要素からなる複雑な内容が、実に読みやすい文章によって綴られていることも注目すべき点である。書かれていることは難解だが、しかし、どのページをパラっと広げて目をやっても、その一文から吸い込まれて無意識に読みはじめてしまうような不思議な心地良さがある。庭というものも、多くの要素から構成される複合体であるが、それ自体、何者をも拒まず、大らかに受け入れてくれる。優れた庭は、何も考えずとも、吸い寄せられるようにしてめぐることができる。そういう庭のような包容力、求心力を、この書物自体、有している。末尾の庭づくりの完了の場面では、壮大な物語のラストシーンを読んでいるような感慨が味わえる。

さて、この書物のなかで書かれていることに関して、筆者が述べたいことは多々ある。昨年の12月3日、「動いている庭をつくる/記録する。」というトークイベント(企画:ソーシャルディア)で、筆者は氏と実に楽しく刺激的な対話を行うことができた。以下には、主にそこで話せなかった(肝心な)ことを数点記す。

先述の「石のこはんにしたがひて」を考察する際、しばしば、石そのものに意志、、があるといった「アニミズム」的な論を展開してしまいがちである。筆者自身もその一人である。しかし、本書はそうした論法に陥らず、「石を歩かせる」といった職人の言葉や、古川氏の「そしたら別の場所に置いてやって、、、、よ」といった一言における「てやる」というごく細部に着目し、「有情」「無情」などの日本語文法の語彙を用いて論じている。今後、庭を論じるにあたって、たびたび参照される論法になるだろう。

もう一点は、古典芸能の身体との共通点である。「物と踊る技術」、「石を歩かせる」、うまく道具を使うために「遊ばせること」。そのように人が物と「自然な」関係を有して優れた振る舞いを行うことは、たとえば、刀を振りかざして驚異的な切断を行うことや、扇をあやつりながら舞うときの身体と物の関係に近いだろう。あるいは、三叉(みつまた)という道具を3人で扱う状況と、一つの人形を3人の人形遣いが扱う文楽。複数のパースペクティヴから見ながら庭をつくってゆくことと、世阿弥の言う「離見の見」。ざっとあげてみても、古典芸能のトピックと共通する点があちこちに見出される。作庭という行為自体が、一つの「芸能」「パフォーマンス」であることの証でもあるだろう。

最後は、庭自体が「アーカイヴ」であるという点である。庭は、何もない真っ新な状態からつくられるのではなく、すでにそこにあるものに手を加えることでつくられてゆく──氏は、執筆に関しても同様のことを述べている(『ライティングの哲学』、105頁)。しかし、庭がつくられる場にあるそうした既存の痕跡を読むことは容易ではない。本書のなかでは、徐々に、古川氏がその庭にすでにあった石、あるいは、周囲の関係の地勢などを踏まえながら庭を組み立ててゆくプロセスが紐解かれる。

古川氏は、庭は、建築の付属物でもなく、また、「夫」としての建築にとっての「妻」でもなく、建築という「子」に対する「母」でなければならないと説く(『庭の憂』、98頁)。順序としては、建築が建てられてから事後的に庭がつくられるにもかかわらずである。ではそのような作庭はいかにして可能か。そのこともこれまでブラックボックス化されていたが、そのプロセスの答えがここにある。すなわち、石を組み合わせてゆきながら、徐々に、すでにその場にあった痕跡を展開させてゆく。つくりながら、その場に潜んでいる「アーカイヴ」を見出し、継承してゆくわけである。

ところで、古川氏は庭づくりの最後、庭の中央手前に若いヤマモミジを植え、施主ほか、周囲の人々を驚かせたという。どうしても全体との違和感を拭えないそのヤマモミジの意図について、古川氏は、石組を隠し、完璧なものではなく、「欠きたい、、、、」からだと答える。筆者にはこの若いヤマモミジが、この庭という「母」に対する「子」の役目を担っているように思えてならない。それは「母」としての庭の性格を強めるための一つの手法ではなかったか。そしてその親子関係は、古川氏と山内氏、あるいは、観音寺大聖院の庭とこの書物、ないしはそれを読む私たちの関係に重なって見えてくる。

(原瑠璃彦)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年2月11日 発行