単著

原瑠璃彦

日本庭園をめぐるデジタル・アーカイヴの可能性

早川書房
2023年7月

「庭での体験とは、地球環境の体験の縮図である。それはまた、人にとって、鏡のような存在にもなりうる。人が時とともに年老いてゆくように、庭もまた時とともに変化してゆく。それゆえ、時に庭は、人の人生と重ね合わされる。」著者は序章でこう記している。この書籍の面白さは、日本庭園をパフォーマティヴなものとして捉え、舞台と上演という思考の枠組みを当てはめることにある。そしてその先に、永遠に老いゆく、終らない庭のアーカイヴという視程が立ち上がってくる。

これまで「舞台装置」としての庭園の側面ばかりを取り上げ、そこで繰り広げられている「上演」そのものに目を向けることが少なかったという問題意識のもと、第一章ではまず日本庭園史が概観される。その後、日本庭園という「舞台」から「上演」へ、つまり時間変化を被らないものから被るものへ、庭園を構成する要素が順を追って取り上げられていく。石から洲浜へ、植物から音へ。

私が舞踊で扱う「老い」の問題も実は日本庭園とつながっているらしい。ヴェルサイユ庭園と日本の庭の比較を行った三島由紀夫は、時間の流れを導入した日本庭園を「終らない庭」と称して、日本庭園自体を美しく老いた狂女に喩えているという。日本庭園と訪問者、そしてそこで生じる出来事をパフォーマティヴに捉えていくことで、都市論と環境論が重なる新たな地平が生まれる。著者も繰り返すように、建築は死ぬが庭は死なない。そして庭は、一人の人間が知覚し享受できる以上の、大いなる時間を孕んでいる。

第二章では、著者が山口情報芸術センター(YCAM)と協働し、研究者およびドラマトゥルクとして関わった、日本庭園の新しいアーカイヴへの挑戦が記される。庭とアーカイヴという一見異なるものが、パフォーマティヴィティを援用することで接続される。国内外にある公園とは対照的に、日本庭園は所有者がいる、より私的なものという位置づけがある。また、ベンヤミンの写真小史を引きながら、筆者が目指す新しいアーカイヴは「『庭の無意識的なもの』を顕在化させ、蓄積」するというのも興味深い。

日本庭園は作庭されて100年かからないと完成しないという。終章で紹介される、失われつつある庭職人の技を日々変化する庭園アーカイヴに組み込み、「終らない庭のアーカイヴ」(INA)としてWeb化する試みにも完成はないという。日本的な感性とアーカイヴィングのテクノロジーが絶妙に融合され、この日本庭園を巡る遥かなる時が新たな知のアーカイヴへとマッピングされていく、スリリングな一冊である。

(中島那奈子)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、菊間晴子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋、二宮望
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2024年2月11日 発行