第17回大会報告

シンポジウム 「間」のポエティクスをめぐって

報告:田中 純

日時:2023年7月8日(土)13:30-16:15
場所:東京大学駒場キャンパス・21KOMCEE East地下K011

【パネリスト】(発表順)
基調講演:松井茂(映像メディア学、情報科学芸術大学院大学・教授、詩人)
石井美保(文化人類学、京都大学人文科学研究所・准教授)
原瑠璃彦(日本庭園・能・狂言、静岡大学・講師)
【司会・コメンテイター】
田中純(表象文化論・思想史、東京大学・教授)


本シンポジウムは、昨年(2022年)末に亡くなった国際的建築家・磯崎新の構想にもとづく、1978年パリにおける「間(ま)──日本の時空間」展をひとつのプラットフォームとして、「間(ま/あいだ)」という概念の文化論的な可能性を改めて探ろうとしたものである。これには経緯がある。磯崎はパリ「間」展翌年の1979年に、東京大学駒場キャンパスの教養学部美術博物館(現・駒場博物館)で版画の個展を開催しており、その機会に同博物館の改造計画案を作成している。このたび駒場キャンパスで表象文化論学会大会が催されるのに際し、ながらく公開されることがなかったこの計画案オリジナル図面の展示が実現する運びとなり、それに合わせて、磯崎の建築思想にも深く関わる「間」をめぐる討議が企画されたのである。

映像メディア学の研究者かつ詩人でもある松井茂氏は磯崎による数々の展覧会企画で中心的な役割を担ってきた。松井氏による基調講演「間展の「間」と磯崎新の「間」」では、1978年のパリ「間」展を嚆矢とする磯崎による各種展覧会での「間」をめぐる展示が詳細に解説された。その際に松井氏は、「間」展をめぐるいままでの言説が一般論としての日本文化論に傾斜し、磯崎がそこで起用した同世代のアーティストたちによる作品があまり注目されてこなかった点を批判的に踏まえ、concept / object / image / subjectという四つの展示構成要素のうち、とくにobjectとしての戦後日本美術に重点を置いた分析を展開した。パリ「間」展における座布団に石を置いた演出と李禹煥の作品との関係をはじめとして、倉俣史朗や高松次郎の作品がどのようなコンテクストで「間」展の展示物とされたのかをめぐる松井氏の考察は、たとえば、磯崎の巨大なフォトモンタージュ《ふたたび廃墟になったヒロシマ》と同じセクションに展示された高松による木材を組み合わせた複合体《柱と空間》が白い布で覆われていた点に、死体の暗示と戦争の記憶の喚起を読み取るなど、従来見過ごされてきた展示物の細部を通じて、一連の展覧会に内在する関係性のネットワークを浮かび上がらせるものであった。

松井氏はさらに、磯崎の最初の著作『空間へ』の造本を手がかりに同様の炯眼を発揮し、磯崎における「間」の観念の原点を敗戦の日1945年8月15日の一瞬の空虚を象徴する青空に見出している。「間」とはそこで一種の時空の切断なのだ。磯崎は「間」展で神籬(ひもろぎ)へのカミの降臨を語ることもあったが、松井氏によれば、磯崎にとって原点となるこの「間」は空位のまま、そこにカミが到来することはない。2020年に予定された東京オリンピックのために提案された、磯崎晩年の「東京祝祭都市構想」の皇居前広場における大規模な祝祭計画もまた、そんな空虚のままに留まる「間」の祝祭であるという。

人類学を専門とする石井美保氏の「〈間〉を行き来するものたち──憑依のアクチュアリティをめぐって」では、坂部恵の「ふり/ふるまい」論や木村敏の「あいだ」論を背景として、憑依を「神のふり」という演技・ミメティスムととらえ、そこに自己と自己ならざるものをあらたに生じさせる「間」の出現を見る、という視座がまず提示された。石井氏は狩猟民ユカギールの動物への変身を具体例とし、ブランケンブルクの精神医学的な見地を踏まえて、このミメーシスにおいては再帰的な自己意識──二重のパースペクティヴ──を維持する統御がきわめて重要であることを指摘した。そのうえで南インドの神霊祭祀が仔細に紹介・分析され、憑依のアクチュアリティ(遂行的現実感)をもたらすものとは、憑坐となる踊り手・祭主・見守る人びとの「間(あいだ・あわい・ま)」における出来事──三者相互の出会いとパースペクティヴの交換──にほかならず、憑依とは「人間の外へ出ること」を通して「人としてのふるまい」を作り出す行為である、という結論が説得的に示された。この発表のなかで提示された祭祀の映像における、神霊が憑依することによって微細に振動している憑坐の身体は、複数のパースペクティヴが重なり合って激しく拮抗する、「間」という「出来事」それ自体を如実に体現するもののように思われた。

庭園および能を中心とする日本文化論を研究する原瑠璃彦氏による発表「死と生成の〈間〉──白砂の空間と能楽の「せぬ隙」」では、原氏による近著『洲浜論』の主題である「洲浜」の「ま」をめぐり、「浜(はま)」や「島(しま)」といった単語の語源を通じて、「間(ま)」の意味連関が探られ、磯崎が論じる「間」には、物がそこに存在しない状況を、副次的な現象としてではなく、あくまで「主」たるものと見なし、「無」を「有」ととらえる視点のあることが指摘された。そこで注目されるのが、磯崎が白砂の空間に示している関心である。原氏は白砂を能楽における特徴的な「間」である「せぬ隙」と対応させ、そのいずれもが崩壊・死と生成に関わることを明らかにした。白砂とは遺体が埋められる場であり、磯崎においては廃墟に通底する。そこは「終わり」の場であると同時に、何かがこれから行なわれるために真っ白く清浄にされた「始まり」の場でもある。この白砂のイメージは松井氏が取り上げた高松の《柱と空間》の白布にも呼応する。

基調講演および二つの発表はいずれも豊饒な論点を濃密に凝縮した内容であったため、それのみで予定した時間を大幅に超過することとなり、残念ながら参加者間の討議はほとんど見送らざるを得なかった(この場をお借りして、15分間の時間延長をお認めいただいた実行委員会、および、同じ会場で後続する開催だったがゆえに、開始時間を遅らせることをご了承いただいたパフォーマンスの関係者の方々に、お詫びとともに感謝いたします)。フロアからの質問を受け付けることも断念せざるをえなかった。

司会・コメンテイターを務めた筆者(報告者)からは、「ま」という古語を執拗に繰り返す磯崎の「擬態(もどき)」の言説それ自体の戦略性、「ま」という音素を日本語から解き放って一種の原言語論的な「詩学(ポエティクス)」を展開する可能性、「間」という漢字の中心を穿った──そこに空虚を生じさせた──「門」というイメージの優位を磯崎自身の建築空間に見出す視点などを問題提起するに留まった。各発表者へのコメントとして述べたことのうちの一点のみここで触れるならば、松井氏が指摘する1945年8月15日の一瞬の空虚といった磯崎における「間」の原型的体験(であるように見えてしまうもの)は、「間」をめぐる一種の強力な否定神学──「無」が「有」となる!──として機能してしまう懸念がある。白砂と磯崎的廃墟の通底性にも同様の傾向がある。磯崎を論じるうえでも、「間」をより一般的な分析概念として鍛え上げるためにも、注意すべき点であると思われた。磯崎の「間」展から出発しつつも、「間」を磯崎固有の文脈から引き離して異化することが本シンポジウムの当初の目論見であったが、結果としては、磯崎的「間」の求心力を再確認させられた次第である。反省点としたい。

報告者のこうしたコメントも含め、シンポジウムの基調講演・発表に共通していたのは、「間(ま・あいだ)」がいずれも展示や祭祀のパフォーマティヴィティにおいてとらえられていた点であろう(この点の示唆は石井氏から得た)。「間」という概念の行為遂行的なアクチュアリティはそこに宿る。シンポジウムの場では詳しく言及できなかったが、今回の会場近くに図面が展示された磯崎による美術博物館改造計画案は、この博物館の中央を貫通している、内田祥三によって駒場キャンパスに引かれた軸線上に、磯崎の建築的署名である立方体フレーム二体と当時制作中であったマルセル・デュシャン《大ガラス》レプリカ(現在は駒場博物館蔵)を──三つの「門」のように──配置するというものだった。これは既存の軸線にあらたな建築的パースペクティヴを重ね合わせる行為であり、二つの立方体および《大ガラス》レプリカの「間」にはそれら相互を往復する視線の振動が仕掛けられている。アンビルトでありながら、見慣れたキャンパスにいままでにない相貌を与えてくれるこの計画案のようなヴィジョンにこそ、磯崎による「間」のポエティクスを認めたい。

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パネル概要

「間(ま/あいだ)」は、たとえば建築家・磯崎新の企画による1978年パリにおける「間(ま)──日本の時空間」展を嚆矢として日本文化論の説明原理とされ、あるいは、精神医学者・木村敏の現象学的精神病理学では「自己」の行為的原理とされるなど、さまざまな分野の鍵概念となってきた。近年では河野哲也『間合い──生態学的現象学の探究 』のような生態心理学的なアプローチもある。時間的・空間的「間」は「リズム」と密接に関係するところから、音楽、歌、詩、語りから建築、美術、デザインに至るまで、広く芸術一般の原理として考察することもできよう。

本シンポジウムでは文化論・芸術論の分析概念としての「間」のポテンシャルを探るため、磯崎の「間」展を共通の参照対象としつつ、文化人類学、日本庭園・能・狂言、映像メディア学と詩作をそれぞれ専門とする各パネリストが、「間」の概念に関わるあらたな問題設定による展開を自由に試み、討議においてはそれら複数テーマの「間」を問うこととしたい。それ自体が発見法的な展覧会だった「間」展のアプローチを踏襲し、本シンポジウムもまた、あえて「間」口を広く取り、「間」のポエティクス──文化、芸術、ひいては生や社会の創造・生成の論理──をめぐる多様な思索の饗宴を目指す。

磯崎の「間」展を出発点とするのは、それが「ひもろぎ」をめぐる民俗学の知見などから日本の伝統芸能、さらには現代芸術にまで及ぶ展望のもとに「間」を扱っている点で、多様なアプローチを許容するばかりではなく、2000年には東京で「間──20年後の帰還」展がなされ、本年2023年内にはふたたびかたちを変えてテヘランで開催される予定であるといったように、現在も──20数年の「間」を置いて──継続中のプロジェクトだからである。「間」は磯崎自身の建築のポエティクスにも深く関わっていた。本シンポジウムにおいては、磯崎による展覧会企画で中心的な役割を担われ、テヘランにおける「間」展の実行委員でもある松井茂氏に、一連の「間」展に関する基調講演をお願いしている。

なお、関連企画として、東京大学教養学部美術博物館(現・駒場博物館)における1979年の磯崎新展に際し磯崎が制作した同博物館改造計画案のオリジナル図面2枚(東京大学大学院総合文化研究科・教養学部 駒場博物館所蔵)が、本シンポジウム会場近くに当日のみ展示される。

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行