【登壇者】
石田英敬(東京大学名誉教授)
小林康夫(東京大学名誉教授)
高橋幸世(作曲家、パフォーマンスアーティスト)
【司会】
竹内孝宏(青山学院大学)
日時:2023年7月9日(日)10:00-12:00
場所:東京大学駒場キャンパス・21KOMCEE East 2階 K211
【登壇者】
石田英敬(東京大学名誉教授)
小林康夫(東京大学名誉教授)
高橋幸世(作曲家、パフォーマンスアーティスト)
【司会】
竹内孝宏(青山学院大学)
2021年4月に88歳で逝去した渡邊守章は、「表象文化論」という学問分野創設にあたっての立役者の一人であり、フランス文学者・翻訳家としてのみならず、演出家としても活躍したことで知られる。本パネルは、まさに生きる「劇場」として、生涯にわたって「知を上演する」という意志を貫いた渡邊へのオマージュを捧げるため、彼と親交の深かった面々によって企画されたものであった。冒頭で司会の竹内孝宏氏から説明があったように、本パネルの意図は、「書斎と現場の往復運動」としての彼の功績を辿るだけではなく、彼の生のかたち=「モリアキズム」を私たちがどのように受け継ぎ、発展させていけるかを、私たち一人ひとりが考える、というところにあった。
まず、石田英敬氏から、多岐に渡る渡邊の活動のエッセンスを抽出した10枚の「カード」(スライド)が提示され、それに基づくコメントがなされた。高校生の頃、NHK番組「たのしいフランス語」の出演者として渡邊を知ったという石田氏は、1976年9月のパリ・オルセー劇場で観世寿夫の「世阿弥座」公演が行われた際、彼が流暢なフランス語でその解説を行った場面にも立ち会ったという。フランス文学者としての渡邊を語る上での最重要人物としてのポール・クローデルは、伝統的な韻律ではない、韻文と散文の中間のような特殊な韻律を作り出したことで知られるが、その韻律を日本語に翻訳することは、渡邊にとっての大きな挑戦であった。また、フランス象徴派に影響を受けた劇作家・詩人であり、外交官でもあったクローデルが、日本の伝統芸能である能をどのように理解したかということは、演出家としての渡邊のスタイルにもつながる関心であった。クローデルだけではなく、17世紀フランス古典主義の代表的な劇作家であるジャン・ラシーヌ、そして19世紀フランス象徴派詩人であるステファヌ・マラルメに対しても、文学者としてのみならず演出家としても向き合うなかで、それらの作品が持つ言葉のリズム、そしてそこに結びついた身体性を、独自の解釈で日本語表現に落とし込むことへの取組みを、生涯にわたって続けた。その一方で、クロード・レヴィ=ストロースやミシェル・フーコーなど、20世紀に活躍したフランスの現代思想家たちとも積極的に対話し、当時の最先端の知の潮流を日本にもたらした。渡邊の活動に助力し、対話を続けてきた石田氏の「カード」から見えてきたのは、彼の根底にあった境界横断性である。異なる時間性・空間性を軽やかに横断しつつ、それを現在時における身体と結びついた言語表現に結実させていくことこそ、渡邊のあらゆる活動に通じる試みだったのである。
続いて小林康夫氏から、渡邊の人柄が滲み出るような様々なエピソードが語られた。東京大学教養学部前期課程在籍時から親交があり、表象文化論学科における同僚ともなった小林氏にとって渡邊は、その仕事を尊敬し追いかける師、というよりも、常に近いところにいて自らを巻き込んでいく人物、と感じられていたという。まずもって渡邊は、1987年東大駒場キャンパスにおいて表象文化論学科が発足する際のイニシアチブを取った人物であった。当時、駒場は主に前期課程教育の場として位置付けられており、そこで教鞭を取る多数の外国語教員は大学院の授業を受け持つことができないという制度的問題を抱えていた。駒場における表象文化論学科創設は、そのような本郷と駒場の格差を是正し、新しい大学体制を作っていくための改革でもあった。また渡邊は、当時フランスで生じていたポスト構造主義という新しい知の潮流、すなわち同時代的に起きていた人文科学の世界的な変動をしっかりと受け止め、またそれだけではなく、実際にその論者と知的なつながりを持つことに尽力した人物でもあった。そもそも表象文化論が冠している「表象」は、ミシェル・フーコーの用語であり、表象文化論とは、渡邊が参画したこのような知の改革によって生まれた学問だったのである。1991年4月から1993年4月まで刊行された日本語・フランス語のバイリンガル雑誌『ルプレザンタシオン』(全5号)、そして1992年に国外からも錚々たる知識人たちを日本に招聘して開催された国際シンポジウム「ミシェル・フーコーの世紀」は、渡邉が築いた知の架け橋を象徴するものである。小林氏が、自らの経験を踏まえて提示したのは、常に知的ムーブメントの仕掛け人・演出家として、周囲の人々を巻き込みながら、新しい場所を創造していった渡邊の姿であった。彼が人々を動かし、様々な知的改革を実現させていった原動力は、そのような新しい知に対する強い意志、そして夢だったのだと、小林氏は語った。
そして、表象文化論学科の創成期の学生であり、その初代助手も務め、現在はパフォーマンスアーティストとして活躍する高橋幸世氏から、研究者であり実作者としての渡邊の肖像について語られた。表象文化論学科の創成期には、「表象文化論とは何か」という問いについて教員と学生が皆で議論する機会が頻繁に設けられるなど、教員と学生が対等に向かい合う空間が立ち上がっていた。研究を続けつつも実作への強い興味を持っていた高橋氏にとって、彼が演出する「能ジャンクション」等の稽古場に学生を招くこともあった渡邊は、親しみを感じる存在でもあったという。彼は「学校の顔」と「現場の顔」を優れたバランス感覚で使い分けており、学者としての研究の成果をエンターテインメントとして成立するかたちで作品のなかに落とし込み、またその反対に、現場で得られた知見を学問のなかに生かしていくという非常に難しいプロセスを、巧みにこなしていた人物だった。ここで高橋氏が提示したのは、渡邊を象徴するキーワードとしての「橋掛かり」である。能舞台で使用される通路としての「橋掛かり」は、渡邊が演出する舞台で多用されるものであったが、高橋氏は、彼の実存そのものが、複数の異なる世界をつなぎ合わせそこを自由に行き来することで、新しい何かを創出していく「橋掛かり」そのものだったのではないかと述べた。そしてその「橋掛かり」としての渡邊の姿は、現在の高橋氏の活動にも大きな影響を与えるものであった。
その後、研究と実作を両立しながら、知的ムーブメントの仕掛け人として活動し、政治的なセンスを発揮して大学改革にも関わった渡邊の志を、我々の世代がどのように受け継ぐべきか、という問題について、議論がなされた。そこで重要とされたのは、渡邊が表象文化論という学問分野を創出した背景にあった、その関心の対象としてのクローデルにも、あるいはフーコーをはじめとする現代思想家にも通ずる、既存のパラダイムを脱し新たな地平を切り開こうとする挑戦心である。表象文化論が生まれた当時、人文研究は専門ごとに細分化・権威化されており、新しいメディアについて論じることができること、そしてそれを横断的に考察できること自体が、その学問体系の革新的な要素であった。それを受けて現在は、研究対象をかなり自由に選択できることが当たり前になったけれども、その研究のコアとなる理論を新しく作っていこうとする運動性が生まれていない。そのような現状を踏まえ、渡邊の志を引き継ぐことは、すでに存在する知の体系に安住するのではなく、それを常に疑い、問い直し、理論そのものをアップデートさせていくことなのではないか、という問題提起がなされた。そしてその後の質疑応答では、知の革命家でありデザイナーとしての渡邊の生のかたちを評伝というかたちで書き残す必要性についての言及がなされると共に、渡邊にとっての、そして渡邊自身による「偉大な一冊」とは何か、というトピックの提供があった。
報告者は、2009年に東大に入学し、学部から博士課程まで表象文化論コースに所属していた。もちろん当時、渡邊はすでに東大を退官しており、私をはじめとする学生たちは彼に対し、表象文化論の創設者としての伝説的なイメージを抱いていたように思う。しかし、多くの人々から「守章先生」と呼ばれ慕われる彼を、どこか身近にも感じていた。本パネルを通して、知の改革に挑み続けた「モリアキズム」に触れたことは、表象文化論という学問に関わる者として、今後どのように自らの研究を深めつつ、それを現実的な運動性にまで発展させることができるかを、改めて考えるきっかけとなった。
パネル概要
2021年に88歳で逝去した渡邊守章は、表象文化論という新たな学問分野の創設者のひとりであるとともに、ラシーヌ、マラルメ、クローデル、ジュネ、フーコーを中心とするフランス文学・哲学の研究者・翻訳家として、さらには日本古典芸能と西洋演劇とを融合した舞台で知られる演出家として、実に精力的な活動を繰り広げた。既存の学術ジャンルのみならず、研究と舞台、日本と西洋とのあいだの境界を軽やかに横断するなかで積み重ねられてきた渡邊守章の仕事は多彩かつ膨大だが、その核をなすのは〈知を上演する〉ことへの意志だったと言えるだろう。本パネルは、渡邊守章とともに東京大学における表象文化論の教育研究を牽引した小林康夫、仏文学者としての渡邊守章の薫陶を受けた石田英敬、パフォーマンスアーティストとして渡邊守章の演劇精神を受け継いだ高橋幸世の3名が、渡邊守章の活動をそれぞれ振り返りながら、そのアクチュアルな意義について考察する。
広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行
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