翻訳

グレゴリー・ベイトソン (著)佐藤良明 (訳)

精神の生態学へ (上・中・下)

岩波文庫
2023年4月
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本書 Steps to an Ecology of Mind (1972)はグレゴリー・ベイトソンの36年間にわたる、類例のない学究活動を一冊に収めた書であり、この文庫本全三巻は、『精神の生態学』(思索社、1990)以来33年ぶりの、同一訳者による新訳である。今回の版では訳注を補充し、各巻末に「ベイトソンの歩み」という解説文を加え、より利用しやすいう「索引」を書き換え、「グレゴリー・ベイトソン全書誌」をアップデートした。

33年前の訳者の関心の重点は、ecology of mind というベイトソンの拓いた思考領域を理解して伝えることにあり、日本語の題から「Steps to」に当たる部分が欠落していることを、さほど気に留めなかった。しかし、今あらためて、ベイトソンの全軌跡と向かい合ってみると、本書の肝は、新たに題名に加えた「へ」の方にあることを強く感じる。すなわち、1930年代の英国風社会人類学からいかに逸脱し、黎明期サイバネティクスとの交わりから何を持ち込み、行動主義心理学の視野の狭さをどのように克服し、フロイト派精神分析の拠って立つ隠喩思考をいかにスルーし、ダブルバインド理論を試作してからは、学習とコミュニケーションの宇宙の体系的把握につとめると共に、生物進化を、機械論的にではなく、生きる主体の論理のもとに説明し尽くそうとしたか。それらの逃走と闘争の足取りに、本書の真の興奮がある。

各巻の分担について述べると、まず上巻が一般意味論の奥義を子供相手に咀嚼した「メタローグ」と、民族研究の題材にサイバネティックな思考を当てはめた諸論考。中巻は統合失調症の理論を中心にコンテクストの科学を確立した50年代後半の論を中心とする。下巻では、生物と進化のしくみに対する長年の洞察を、パターンとメタパターンによる世界像へと練り上げていく過程が示される。

ベイトソンのステップは、諸学域の前提を疑いながら、学会や教育機関に腰を落ち着けることなく進んだ、その意味で危なっかしいものでもあった。それに似て、といったらおこがましいが、本訳書も、なにかと出版の荒波に揺り動かされながら、ようやくここに安住の地を見いだすことができたものである。20世紀中葉の前衛の時代にcommunication と representation の根底を問うた思考が、今後より広い層に受け止められんことを願う。

(佐藤良明)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行