単著

星野太

食客論

講談社
2023年3月

食客とは"parasite"のことである。ギリシア語に立ち返れば、「傍で(パラ)」「食事(シートス)」を食べるもの、を意味するこの食客(パラサイト)の形象を、本書は古代ギリシア・ローマから現代東アジアまで見渡しながら拾い集める。それらは総じて、自己と他者、友と敵、身内とよそ者といったいっけん自明な区別を揺るがす両義的で中間的な存在、「曖昧な他者」の形象である。

この脱構築的な「曖昧な他者」は時代、地域のみならず、その様態においても様々である。例えば第1章でロラン・バルトのコレージュ・ド・フランス講義から引き出されるのは、レストランの隣にたまたま居合わせてしまった「感じの悪い連中」との耐え難い「共生」のイメージである。日常に定位した、どことなくユーモラスなイメージだ。他方、第10章においてメルヴィル『バートルビー』とともに語られるのは、宿主(職場と雇い主)を「せずにすめばありがたいのですが」によって食い破るバートルビーという、規範撹乱的で秩序破壊的ですらある寄生者の姿である。また、傍らにいるのは人間だけではない。北大路魯山人を論じた第8章では、それと交わる人間に決定的な変容をもたらすものとして、芸術作品という「物」にパラサイトの名が与えられる。第9章の石原吉郎論では、それとして名指されるわけではないものの、シベリア抑留から帰還した石原を襲った饒舌や、その後の生活を支配するアルコール依存に、寄生者としての言葉、寄生者としての酒のイメージを見出したくなるだろう。さらに九鬼周造を扱う第7章においては、「形而上的な次元」での偶然性の観念が、「わたし」に取り憑くひとつのパラサイトとして主題化される。具体的人間から抽象的概念まで、フィクションにおける寄生的存在から文字通りの寄生虫(魯山人は肝臓に寄生したジストマで亡くなった)まで、議論の射程は幅広く、記述はバラエティに富む。

『食客論』の美点のひとつは、現代社会とテクストの双方に注がれた繊細かつ明晰な視線にある。それは例えば第10章の『パラサイト』(ポン・ジュノ)論によく示されている。また強調すべきは、この繊細さと明晰さによってこそ、むしろ本書の自由と大胆さが支えられていることである。同じく第10章で、パラサイトの"site"に対する誤読から「パラサイトをめぐる一般理論」を導出する手つきや、第1章における、バルトによるブリア=サヴァランの小さな読み替えから両者の大きな隔たりを見出す読解に、それが範例的にあらわれている。

本書をめぐっては、すでに書評をはじめいくつものパラテクストが書かれている。ここでは著者による自著解説をふまえながら、ひとつの論点に触れておきたい。それは「わたし」という人称についてである。著者本人が述べるように、本書には「われわれ」「わたしたち」という一人称複数の代名詞に加え、「わたし」という単数形の一人称が登場する。「わたし」はしばしば「他人と食事をすることが得意ではない」(46頁)などの個人的な述懐を漏らし、「共生」の違和を不穏なトーンで表明しているが、著者はこれを現実の著者自身の本心とみなす短絡を戒め、むしろフィクショナルな「わたし」の次元とその批評的意義に説き及ぶ(あるいはそもそも、わたしたちは常にすでに曖昧な他者との相互浸透において生きているという本書のテーゼを前に、「ひとは本心を純粋に書き伝えることができる」と──なお素朴にも──主張できるだろうか?)。

雑感を付け加えてみるならば、『食客論』での「わたし」の機能は、個人的述懐を差し挟んで記述に微妙な陰影を与えるだけではないように思われる。それは客観的論述の傍らで、ときに本書の方法を宣言的に規定し(18頁)、ときに「単純な直観」を運び入れて議論をドライブさせる(56頁)。それは論文的で匿名的な「われわれ」、共同体的な「わたしたち」のうちにこっそりと紛れ込みながら、共感的な結びつきを留保させ、議論の道筋をコントロールし、書物のジャンル規定をも曖昧化させる。一言でいえば、本書において「わたし」はまさにパラサイトとして機能しているのだ。

著者自身が語るように、何かについて書くこと、あるいは批評には、「どこか寄生的なところがある」。批評とはまさにいつのまにか作品の傍らにいつき、そこから養分を得、ときには作品を食い破りつつもその可能性の中心に迫る、まことに寄生的な営みなのだ。さらに著者が重ねるように、「宿主と食客がたえず入れかわるように、作品と批評というのも、決して安定的な関係にあるわけではない」。したがって『食客論』とそのパラテクストから開かれるのは、寄生というありかたそれ自体の脱構築と同時に、寄生的な営みとしての批評なるものの脱構築の可能性でもあるだろう。

(鈴木亘)

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年10月17日 発行