東京時影 1964/202X
本書『東京時影』は、1964年の東京とコロナ渦とオリンピックを経た現在の東京、そして両者の文化の比較分析を行い、都市東京の現在と過去を捉え返すことを試みた13編の論考と1編のエッセイを収めた比較文化論集である。収録の論考は音楽、マンガ、映画、写真、建築、文学、演劇といった多様なジャンルを扱い、その中でもしばしばジャンルを跨いだ議論が展開される。それに加えて「歩くこと」や「動物」といった個別テーマの論考、モノグラフ的論考、更にパスティーシュによる方法的フィクションの試みが収められた。また、執筆者たちが定期的に議論を重ねたことから、時間的な「宙吊り」、都市の「平坦さ」、「触覚」「嗅覚」といった身体的な感覚などいくつかのキーワードが共有されている。
本書企画は2019年Sセメスター開講の桑田ゼミでの成果を形にするために開始されたが、紆余曲折を経る間にCOVID-19の世界的な感染拡大が生じたことで一時頓挫し、その後執筆者陣が議論を重ね新たな視点で再出発したものである。2020年からのコロナ禍とそれに関連する行動制限のために、都市とそこでの生活が大きな変容を余儀なくされる一方で、およそ半世紀ぶりの東京オリンピックを軸に再組織されようとした成長の神話はほころびを見せ、むしろ様々な矛盾や痛みが露になった。本書の目指すところは、このCOVID-19の世界的な感染拡大の渦中で、諸々の社会生活が一時停止を余儀なくされた特別な期間、この「宙吊りの時間」にしかとりえない視点から、非常時においてのみ描き出しうる、都市東京を舞台とした複数の歴史と現在を記録することである。それゆえ、各論考ではコロナ禍中の主観的な諸々の実感を敢えて排除せず、後記を加える形で企画から刊行までの3年間の紆余曲折を織り込んだ。
本書のタイトル「東京時影」には、忘却の影に消えつつある「宙吊りの時間」の痕跡という意味が込められている。すでに観光客の姿を見かけるようになって久しく、事実3年前の風景は記憶の中でぼんやりと輪郭を失っている。本書が都市東京の過去と現在を、そしてそれがコロナ禍中に見せた束の間の表情を捉え返す一助になれば幸いである。
(田口仁)