寄稿3 台湾ホラー映画における母性のアブジェクシオン ──ジェンダー平等へのバックラッシュ
1.はじめに──台湾ホラー映画誕生
2015年以降、台湾では、妖怪や幽霊を描いたホラー映画が次々に公開され注目を集めた*1。例えば、2015年には、死者と婚礼を挙げる台湾の習俗である冥婚*2をテーマとした日台合作映画『屍憶』(謝庭菡監督)、台湾の妖怪「魔神仔(モシナ)」が人をさらう都市伝説を改変した『紅い服の少女 第一章 神隠し』(程偉豪監督、2015年)が公開された。2年後に公開された続編『紅い服の少女 第二章 真実』(程偉豪監督2017年)は、2017年の興行収入ランキングで台湾映画の中で1位となる*3。同年の第7位は、人気作家ギデンズ・コーの映画監督作品第二作となったコメディホラー映画『怪怪怪怪物!』(2017年)だ。『怪怪怪怪物!』は、学校でのいじめの罰として地域奉仕活動先で、怪物に遭遇する高校生を描いた作品である。本作は、地域に暮らす認知症の独居老人が、旧日本軍と戦った国民党革命軍第29軍に所属していたことを除いて(彼の背景と怪物は無関係)、台湾ではなくとも成立するホラー映画だといえる。翌年、「紅い服の少女」シリーズの第3作として『人面魚THE DEVIL FISH』(莊絢維監督、2018年)も公開される。
2019年には、戦後台湾の国民党一党独裁下における白色テロ期の密告の恐怖を、学校を舞台とするゲームにした「返校」の映画化作品『返校 言葉が消えた日』(ジョン・スー監督)が公開される。映画『返校』は、2019年の台湾映画の中で興行収入一位となるとともに*4、金馬奨では5つの賞を受賞した。
白色テロ期の負の歴史を描いた劇映画は、『返校』以前にもあった。ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞した『悲情城市』(侯孝賢監督、1989年)に続き、1990年代には、『牯嶺街少年殺人事件』(エドワード・ヤン監督、1991年)、『超級大国民』(萬仁監督、1994年)などが公開されている。こうした台湾ニューシネマは国際映画祭では評価されたものの、芸術性重視の作品が増えた結果、娯楽を求める台湾人観客の期待に応えられなかった。台湾映画は低迷し、90年代後半から2000年代にかけて台湾の劇映画の制作本数は激減した。劇映画の低迷は、ドキュメンタリー映画といった新たな方向性を見い出すことに結果的にはつながっていくことになる。だが劇映画が息を吹き返すのは、敗戦による台湾からの引き揚げを日台の悲恋の物語とした魏徳聖『海角七号 君想う、国境の南』(魏徳聖監督、2008年)まで待たなければならなかった。植民地という負の歴史ではあっても自らの歴史をエンタメとして語ることにより、台湾映画史上最高収益5.3億元を記録した。その後、植民地時代最大の抗日蜂起である霧社事件を活劇化した『セデック・バレ』(魏徳聖監督、2011年)、嘉義農林学校野球部が1931年に甲子園で準優勝した実話をスポ根ドラマ化した『KANO 1931海の向こうの甲子園』(魏徳聖総指揮、馬志翔監督、2014年)も多くの観客を集め、日本統治期は台湾映画のエンタメ素材の一つとなった。
『返校』は、『海角七号』以降の台湾の歴史、文化のエンタメ映画路線を受け継ぎ、2017年の移行期正義促進条例成立の影響を受けた作品だといえる。当時の鄭麗君文化大臣も、白色テロを題材としたゲーム「返校」の映画化について、台湾固有の歴史、文化の世界への発信を全面的に支持すると表明した*5。
その後も、未知のウイルスによるパンデミックが引き起こす人間の凶暴化を描いた『哭悲 The Sadness』(ロブ・ジャバズ監督、2021年)は台湾ホラーの新たな道を拓いた。さらに、実際の事件をベースにて、「超常現象調査隊」を名乗り仲間たちと怪奇スポットを巡るYouTuberが、ある宗教施設で禁忌を破り、当時お腹にいた娘ともども呪いを受けることになる『呪詛』(ケビン・コー監督、2022年)は、POV方式で撮られたホラー映画であり、2022年の台湾映画興行収入第1位となったほか、金馬奨の多くの賞にノミネートされた。『呪詛』は、Netflixでも配信され、2022年7月には日本で最も視聴された映画第1位となったほか*6、世界でも最高3位となり、台湾映画史上Netflix最高位を記録した*7。
このように、台湾ホラー映画はわずか5年ほどの間に、台湾劇映画界において、映画祭の主役となるとともに多くの観客も集めた。国際映画祭というよりは、世界の映画市場において、台湾映画が認知されるきっかけにすらなろうとしている。
*1 2015年以前の台湾で創られ、戦後台湾で制作され、最初に人気を博したホラー映画としては、『秋燈夜雨』(姚鳳磐監督、1974年)が挙がるが、劇中に雪が降る場面もあり、台湾ではなくあくまで中国の時代劇として撮られている。二年後に撮られた『鬼嫁』(姚鳳磐監督、1976年)は、台湾大学に通う大学生が、台北で紅い封筒を拾った実話に基づく冥婚を主題とした現代劇である。その他、2000年以降の注目すべき作品としては、米台合作で、道教の伝説をモチーフに、台北で発生した猟奇連続殺人事件の謎と恐怖を描くサイコ・スリラー『ダブル・ビジョン』(陳国富監督、2002年)などがある。
*2 道端で赤い封筒を拾った男性が亡くなった未婚女性との結婚を強要される風習。
*3 國家電影中心『2018台灣電影年鑑』、2019年、76頁。なお、台湾以外の映画も合わせると28位(『2018年台灣電影年鑑』74頁)。
*4 國家電影中心『2020台灣電影年鑑』、2021年、62頁。なお、台湾以外の映画も合わせると11位。
*5 中央社「返校登大銀幕 鄭麗君:向世界說台灣故事」2017年6月22日。
*6 「Netflix 月間ランキング2022年7月」『ネトフリ.com』https://netofuli.com/news-680/(2023年5月24日確認)。
*7 「恐怖片救了台灣影視?《咒》為何能擠進Netflix」『天下雑誌』https://www.cw.com.tw/article/5122071?template=fashion(2023年5月24日確認)。
2.台湾ホラー映画の監督たちが育った時代
2.1 台湾ホラー監督世代の教育史
2015年以降の台湾ホラー映画を概観すると、①冥婚、台湾の妖怪「魔神仔」、あるいは民間信仰といった台湾の文化と濃厚な関係にあるもの、②戦後の白色テロ期を舞台とする『返校』のように台湾の歴史をテーマとしたもの、③台湾の文化的、歴史的背景がなくとも物語が成立する『怪怪怪怪物!』、『哭悲 The Sadness』の三種類に分けられる。
台湾ホラー映画を撮った監督たちの来歴を見ると、カナダ出身のRob Jabbazおよび作家のギデンズ・コー(1978-)を除き、謝庭菡(1985-)、程偉豪(1984-)、莊絢維(1983-)、ジョン・スー(1981-)ケビン・コー(1983-)といった台湾の文化、歴史に関する作品を撮った監督はいずれも1980年代以降の生まれであることに気付く。さらに、都市伝説や民間信仰、実話に基づいた台湾文化に関する作品を撮った謝庭菡、程偉豪、莊絢維、ケビン・コーの4名の監督たちは、いずれも1983年以降の生まれである。では、なぜ2015年に1980年代生まれの監督たちは台湾の文化、歴史をテーマとするホラー映画を撮ったのだろうか。
戦後の台湾では、国民党による一党独裁が続き、学校教育では、中華民国の国民を育てるべく、台湾ではなく、中国の歴史・地理・文化・文学を学ばせた。1987年に38年間続いた戒厳令が解除され、民主化とともに、台湾化が進められていく。1994年、台湾の教育部(文科省)は、中学校の学習指導要領を改正し、「台湾に立脚し、中国大陸を念頭に置き、世界に目を向ける」 ことを原則とし、中学一年生に「 認識台湾(台湾を知る)」 という科目を設置する*8。つまり、ギデンズ・コーは、学校教育で国史としての中国の歴史のみを学んだ最後の世代であり、台湾の文化をホラーとして撮った謝庭菡、程偉豪、莊絢維、ケビン・コーは、台湾の歴史を学校教育で勉強した第一世代となる。
*8 呉文星「『認識台湾(歴史篇)』の編纂と実証的台湾史研究―日本統治時代の史実解明を中心に―)」『社会科学研究』第2号、2019年、91頁。ちなみに台湾の歴史教科書『認識台湾』が採用されるのは1997年。
2.2 2010年代に新たな台湾文化表象に加わった魔神仔
「紅い服の少女」シリーズでは、連続失踪事件を、魔神仔の仕業として描いている。魔神仔とは何か。台湾の民間信仰などを専門とする林美容は、魔神仔について、広義は幽霊に属し、狭義は妖怪だと定義する*9。さらに魔神仔について、紅い服の少女や黄色いレインコートなど山に生息しているといわれ、背が小さく痩せており、幻覚を見せたりからかったりする妖怪だと述べている*10。伝承文学の研究者である伊藤龍一は、魔神仔についての様々な証言を総括し、二つの像を提起している。一つは、赤髪矮躯の少年もしくは猿のような魔神仔像、もう一つは、決して人前に姿を見せない影法師のような魔神仔像である*11。
魔神仔が初めて文献に登場したのは、『台湾日日新報』(1899年10月4日)漢文記事だという*12。その他、日本統治下の台湾で発刊されていた雑誌『民俗台湾』、『台湾風俗誌』を合わせても、報告は7件に過ぎず、迷信の一端として扱われていたそうだ*13。戦後は、1951-60年に5件、1961-80年に3件、1990年代は7件、2000年以降は急増し、2001-13年は38件にもなった*14。台湾文学研究者の倉本知明は、2000年以降の急増について「それまで否定的な意図で語られていた魔神仔をめぐる言説が単なる「迷信」として切り捨てられることなく、台湾文化の一部として受容されるようになっていった」*15と指摘している。このように、魔神仔は100年以上のルーツをたどれるものの、頻出するようになったのは2010年以降であり、これは上述した『海角七号』以降の台湾の文化、歴史のエンタメ化と軌を一にした現象だとも捉えられる。つまり、2010年以降、魔神仔は、日本統治期、白色テロに続く台湾文化表象の一つとなったといえる。
2.3 台湾ホラー映画監督世代のメディア史
『紅い服の少女』台湾版公式予告のYouTube概要欄*16には以下のように書かれている。
子どもの頃、毎週土曜日の夜、「玫瑰之夜」を必ず見たのを覚えていますか。
初めて「紅い服の少女」を見た時の不安と恐怖を覚えていますか。
17年以上にわたって忘れられることなく、動画再生回数300万回、台湾最強のあの伝説の謎が11月27日に解き明かされる!
民主化が進み、政府によるメディア規制が緩和された1990年代、テレビ局台湾電視の「玫瑰之夜(ローズナイト)」は、1991年から98年にかけて放送された大人気番組であり、中でも「ホラーコーナー」の視聴率は高く、台湾テレビホラー番組の元祖といえる*17。土曜日の夜に放送されたため、多くの子どもたちも視聴した伝説の番組で、心霊写真の解読と怪異談が構成の中心となっていた。あまりの盛況ぶりに、1997年には三立電視が「鬼影追追追」を、1998年には八大電視が「神出鬼没」など同種のホラー番組がテレビを賑わせていく*18。概要欄で紹介されている再生回数300万回を超える「紅い服の少女」の動画は、八大電視「神出鬼没」放送のものを指していると思われる*19。台湾ホラー映画の監督たちは、まさに「玫瑰之夜」などホラー番組全盛期に子ども時代を送った世代なのだ。
1990年代、ホラー番組の出現により、ホラーファンが増える中、「玫瑰之夜」終了の絶好のタイミングで、公開されたのが日本のホラー映画『リング』(中田秀夫監督、1998年)だ。台湾では1999年に公開され、日本映画としては、2016年の『君の名は』(新海誠監督、2016年)までの17年間も、台北市の興行成績第1位の座を守り続けた*20。台湾における人気日本映画のバトンは、『リング』から『君の名は』へと渡されたが、同時に、ホラー映画のバトンは、『リング』から2015年以降の台湾ホラー映画活況期へと渡されたといえる。2015年に公開されたホラー映画『屍憶』のプロデューサーを、『リング』のプロデューサーであった一瀬隆重が務めたのはその証左といえるだろう。
台湾ホラー映画の監督たちは、子どもの頃に、「玫瑰之夜」などのホラーテレビ番組で、「紅い服の少女」など魔神仔の都市伝説に恐怖を覚え、台湾の歴史を学校教育で学び、青春時代に『リング』を見た世代なのである。
*16 「電影《紅衣小女孩》正式版預告-11/27如影隨形」https://youtu.be/jKKTgYrCOHM(2023年5月21日確認)。
*17 「一張照片嚇壞觀眾!台灣經典靈異節目 經典鬼故事你記得多少?」2020年05月19日『Dailyview 網路溫度計』https://dailyview.tw/popular/detail/8538(2023年5月21日確認)。
*18 同上。
*19「靈異!!~紅衣小女孩V8-完整版網路再現絕對詭異超驚悚!!!!保證絕無僅有!!!」 https://www.youtube.com/watch?v=5E2Oau4ayYA(2023年5月21日確認)。
*20 「破鬼后貞子17年紀錄 《你的名字》稱霸台北日片票房」『自由時報』2016年11月4日、 https://ent.ltn.com.tw/news/breakingnews/1877156(2023年5月21日確認)。
3.母性愛ホラーで祟られる母親たち
3.1 台湾社会とジェンダー
日本語による包括的な台湾ホラー映画の先行研究は、恐らく晏妮「台湾ホラー映画一瞥」*21のみである。晏妮論文は、中国映画とも比較しながら、台湾ホラー映画の有名な作品について、各作品を紹介し概観している。『返校』については、丸川哲史が「「白色テロ」記憶の耐えられない曖昧さ」の中で、ホラー映画というよりも政治のエンターテイメント化について論じている*22。また、『紅い服の少女』については、陳怡蓁「《紅衣小女孩》系列電影行銷研究——論台灣恐怖片之文化元素」*23が、ジュリア・クリステヴァのアブジェクシオンの概念を参照しながら、台湾のホラー映画の新しいパターンと伝統がどのように融合され発展したのかについて分析している。
日本映画史研究者の鷲谷花は、ホラー映画における「性的差異の政治学」に注目し、「一九七〇年代以降のホラーは、多分にフェミニズムの動向を意識し、男女間の非対称的な力関係の転覆、家父長的存在の打倒、女性のエンパワメントといった、フェミニズムの目標に合致する要素を積極的に取り込んできた」*24と指摘する。さらに、「単調な反復と作り直しを超えた「新しさ」を個々の作品に付与する機能は、しばしばジェンダーとセクシュアリティの表現が引き受ける」*25という。
2019年、台湾は、アジアで初めて同性婚が法制化された。2020年のジェンダー・ギャップ指数(GGI)ランキングでは、台湾は世界29位、アジアで1位であった*26。台湾歴史研究者の洪郁如は、台湾のジェンダー平等の取組について、第一に、ジェンダー平等の動きが民間から起こったこと、第二に、台湾フェミニズム運動の主要な戦略としてジェンダー関連の法律制定が行われたこと、第三に、労働運動、先住民運動、環境保護運動など各種社会運動の横の連携がなされたことの三つの特徴を挙げたうえで、民間の動きとして、婦女新知基金会の活動を以下のように紹介している。
1998年、婦女新知基金会は小・中学校および高校教科書を対象に、ジェンダーに関わる記述の総点検を実施した。その結果、台所で夕食を作る母、居間でくつろぎながら新聞を読む父というステレオ・タイプの家庭像、あるいは女性は優しく従順、男性は勇敢で冒険精神に富む、などの記述を問題化した。社会団体、研究者の努力により、教科書改訂をはじめ、2004年にはジェンダー平等教育法が成立した。LGBTQにかかわる人権問題も早い段階から教育現場に取り入れられている*27。
このように、教育の場において、家庭におけるジェンダー平等問題についても四半世紀前から取り組んできた。さらに拙論でもすでに指摘しているが*28、台湾映画は、台湾社会において前衛としてLGBT文化を始めとするジェンダー平等を牽引してきたはずだ。
本章では、ジェンダー先進国ともいうべき台湾のホラー映画における「性的差異の政治学」について、晏妮「台湾ホラー映画一瞥」が論じていない『紅い服の少女 第二章 真実』および『呪詛』を主な分析対象として考察する。
*21 『ユリイカ』53 (9)、2021年、青土社。
*22 同上。
*23 國立臺北藝術大學電影與新媒體學院2019年修士論文。
*24 鷲谷花『姫とホモソーシャル』青土社、2022年、kindle No.147。
*25 鷲谷花、同上、kindle No.154。
*26 洪郁如「ジェンダー―「アジアの優等生の過去・現在・未来」赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための72章』明石書店、2022年、206頁。
*27 同上、208頁。
*28 赤松美和子「台湾LGBTQ映画における子どもをめぐるポリティクス」『日本台湾学会報』第24号、2022年。赤松美和子「台湾学園映画が回顧する1990年代と日本大衆文化」『大妻比較文化』第20号、2019年。
3.2 『紅い服の少女 第二章 真実』と3人の母親たち
本節では『紅い服の少女 第二章 真実』を分析対象としているが、『紅い服の少女 第一章 神隠し』(程偉豪監督、2015年)の続編であるため、まず第一章、続いて第二章の物語をジェンダーの描き方に着目しながら概観する。
まず『紅い服の少女 第一章 神隠し』を見ていく。祖母と二人暮らしの何志偉は、交際5年の沈怡君との結婚を夢見ている。何志偉が沈怡君に求婚したところ、沈怡君は怒り出し子どもを持つことを頑なに拒んだ。そんな折、山でのハイキング中に失踪した友人に続き、何志偉の祖母も失踪してしまう。心配する何志偉に送られてきたカメラには、ハイキングを楽しむ老人たちの後ろを歩く「紅い服の少女」の姿が映されていた。やがて、何志偉までもが消息を絶つ。沈怡君は、魔神仔の仕業ではないかと疑い始める。沈怡君は何志偉を奪還するために救助隊とともに山に入り、魔神仔たちと死闘を繰り広げる。お腹が膨らみ多量に出血する沈怡君を、子どもの姿をした魔神仔は「ママ、どうして私を捨てたの?どうして私を堕ろしたの?」と責めた。沈怡君は、「ごめんなさい」と謝りながら魔神仔を抱きしめるのだった。
続いて、2年後に公開された続編『紅い服の少女 第二章 真実』を3人の母を中心に見ていく。まず一人目の母は、社会局DVセンターで働く若きシングルマザーの李淑芬だ。李淑芬は、児童虐待疑いの通報を受け、二人目の母・林美華の家を訪れる。林美華は護符の文字を体に記し不気味さを漂わせ、子どもはいないと言うが、李淑芬が隙をついて家に入ると、全身に護符の文字が記され下着のみ着けた少女・林詠晴が、部屋の奥に閉じ込められていた。李淑芬は林詠晴を保護する。李淑芬が家に帰ると、高校生の娘・雅婷の妊娠が発覚、李淑芬は雅婷に中絶を強いようと病院に連れていく。「妊娠で人生を狂わせてほしくない」と娘の人生を勝手に決めてしまう母に、雅婷は「私があなたの人生を狂わせたからね」と言い返す。その後、雅婷は学校から帰宅せず行方不明となる。学校の監視カメラには、紅い服の少女に連れ去られる雅婷の姿が映っていた。李淑芬は娘の恋人・林俊凱を尋ねる。林俊凱は、廟を守る家に生まれ、道教の神・虎爺が憑依するシャーマンで、祖父と二人で住んでいた。李淑芬は、虎爺となった林俊凱、救助隊らと、娘を探しに山に入り、廃墟となった病院を見つけた。中に入ると、娘の携帯だけが見つかった。李淑芬は、なんとか娘を見つける手掛かりが欲しく、三人目の母・沈怡君(第一章登場)が同じように失踪した経験を持つことを知り、沈怡君を訪ねる。何志偉を失った沈怡君はボロボロの姿で、自分が死産した悪夢を見ていた。一方、李淑芬は、かつて望まない妊娠を経験し、無理やり中絶される幻想を見る。その幻想は娘の中絶シーンへと重なる。そこで初めて李淑芬は娘を抱きしめ、謝り、二人は救われた。二人目の母・林美華に話を戻そう。補導された詠晴は林美華の次女で、実は同じ名の長女がいた。長女の詠晴は遊園地の事故で亡くなっていた。諦められなかった母の林美華が死者を蘇らせる儀式を行った結果、長女の詠晴は魔神仔として蘇ったのだった。後に生まれた次女に母は同じく詠晴と名付ける。魔神仔となった長女詠晴は母を探して神隠しを続けていたのだった。次女詠晴が、姉の詠晴に、母親が愛している証として同じ名をつけたことを伝えると、長女の魂はようやく鎮まる。虎爺の林俊凱は、李淑芬と雅婷をヒーローのように救い出し、ラストシーンでは、雅婷が林俊凱の子を出産し、次世代が誕生して終わる。
このように、『紅い服の少女』第一章と第二章に登場する3人の母親たちはいずれも子を失ったり失いそうになる経験をしていた。一人目の母・李淑芬は若き頃望まぬ妊娠をしたため、娘が同じ道を辿ることから中絶により回避しようとしたが、支配しようとする母を娘は拒絶する。だが最終的に母は娘に謝り、娘は母を受け容れ、和解する。二人目の母・林美華もまた娘を失ったことを受け容れられず、娘の生死をもコントロールしようとした。母は、長女とも次女とも分離できずにいた。だが母が長女の死の現実を受け容れることで、次女も母から分離し自らの言葉で、魔神仔となった長女に、自分に同じ名前を付けたことが母の変わらぬ愛の証拠だと伝えた。それを訊いた長女の魂はようやく鎮まった。三人目の母・沈怡君はかつての堕胎の記憶故に、出産、結婚への恐怖と罪悪感から逃れられないでいた。第一章での人気DJの麗しい姿から、第二章では、恋人も失い堕胎した子に責められ、魔神仔に憑りつかれた沈怡君は、眉もほぼなくなり幽霊のような姿に変わり果てる。
これら3人の母親の子の父はいずれも登場せず、不在である。李淑芬の娘・雅婷の子の父となる林俊凱だけが、唯一父親として存在することになる。
大日向雅美は、「母性愛の崇高な面だけを賛美する風潮を指して「母性愛神話」」*29と呼び、「子育ては産みの母親にこそ最も適性が備わっているものだと主張し、その母の愛情を絶対的で崇高なものであると賛美してきたこれまでの母親観は、母親たちの実態とかけ離れた幻想に過ぎない」*30と断言し、「幻想をあたかも真実であるかのように思わせる母性愛神話は、人々の生活をさまざまにゆがめている」*31と指摘している。「紅い服の少女」の母親たちは、「子育ては産みの母親にこそ最も適性が備わって」おり、母親とはわが子を守り、慈愛を持って子の命と成長を守り、そのためには献身、自己犠牲は当然だという歪んだ母性愛神話の中に飼い殺しにされている。わが子の命を守れなかったこと、健やかな成長を見守ることができなかったことが、母親の罪として描かれ、祟られ続けた。
ジュリア・クリステヴァは「原初的な母への恐怖が基本的にはその生殖力への恐怖であることは明白である」*32と指摘し、禁忌しつつも魅惑される両義性をはらむおぞましいもの、あるいはそれらを棄却することをアブジェクシオンと名付けている。陳怡蓁は、劇中における子宮、血液、排泄物と「母性のアブジェクシオン」との呼応についての分析が、ジェンダー関係を読み解くことにつながると考察した*33。栖来ひかりは「母子の絆や堕胎への罪悪感など過去(そして現在も)女性が一方的に背負わされ続けてきた重荷が映画全編において強調されることは、率直にいえば無責任な表現であると言わざるを得ない」*34と指摘している。
本作の3人の母親の描き方に共通しているのは、子を失ったり、娘を支配しようとしたり、娘の死を受けいれられず、母子分離できていないような、歪んだ母性愛神話に合致しない母親たちを、まるで罪人であるかのように、魔神仔のおぞましさを以て糾弾し、苦しめ続ける点だ。一方、子との和解、あるいは鎮魂は、母の愛によってのみ成し遂げられる設定になっており、歪んだ母性愛神話を再生産し続けている。
本作で唯一の父親である林俊凱は、李淑芬と雅婷をヒーローのように救い出す。そして、雅婷が林俊凱の子を出産する場面でほのぼのと終わる。廟を代々管理し、虎爺に憑依する能力の持った林家の血が、さらに次世代に繋げられ終わることが、平和なハッピーエンドとして描かれているのである。
拙論「台湾LGBTQ映画における子どもをめぐるポリティクス」で、筆者は、2010年代に公開された台湾LGBTQ映画のハッピーエンドとしての落としどころが、子の誕生になっていることへの疑問を提し、次世代の誕生が、伝宗接代(男系による家の継承)という漢人の価値観に基づく婚姻と生殖の関係を以て同性婚の法制化に反対するバックラッシュへの応答だと読解した。ホラー映画『紅い服の少女』もまた、歪んだ母性愛神話という一方的で保守的な価値観が、生殖への畏怖と不完全な育児への非難という母性の両義的なアブジェクシオンとしてホラー映画化され、次世代の誕生という古典的なハッピーエンドと、魔神仔と虎爺という民間信仰にルーツを持つ新たな台湾文化表象でコーティングされ、発信されたといえる。
*29 大日向 雅美『増補 母性愛神話の罠 こころの科学叢書』日本評論社、2016年、kindle No.104。
*30 同上、kindle No.104-108。
*31 同上、kindle No.108。
*32 ジュリア・クリステヴァ著、枝川昌雄訳『恐怖の権力 〈アブジェクシオン〉試論』、法政大学出版局、1984年、110頁。
*33 陳怡蓁「《紅衣小女孩》系列電影行銷研究──論台灣恐怖 片之文化元素」、13頁。
*34 栖来ひかり「作品解説」『紅い服の少女』リーフレット、2022年。
3.2 『呪詛』と母親失格
今度は、『呪詛』の物語を見ていこう。本作は、POV方式で撮られており、李若男が自分と娘が呪われた経緯と過去を告白し、娘への呪いを解くために視聴者に協力を求める場面から始まる。6年前、李若男は恋人とその従弟と怪奇スポットを巡るYouTuberとして、大黒仏母という邪神を崇拝する宗教施設に潜入した。その施設は恋人の親戚によるもので、身内のみ立入が認められる。なんと李若男も恋人の子を妊娠していたため立入が許され、その場でお腹の子は陳楽瞳と命名され、大黒仏母に名を捧げることになった。その後、恋人と従弟は禁忌を破り地下道に入り中を撮影し、変死する。李若男は精神的異常を来たし養育権を剥奪され、娘は里親・謝啓明に預けられ、名を改め朵朵として育てられる。李若男は快復後、娘を取り戻し、大黒仏母に捧げた名前・陳楽瞳として育てようとしたためか、身辺で超常現象が幾度となく巻き起こり、朵朵の身体も異常をきたす。里親だった謝啓明は、朵朵の変わり果てた姿に若男を疑い、朵朵に、「ママのこと、変だと思わない?」と尋ねるのだが、朵朵は「でも私のママだよ」と答えるのだった。娘の呪いを解くために、里親だった謝啓明と再び宗教施設に向かうと、道士は祈ると同時に娘に一週間の絶食を言い渡す。若男は娘が飢えに苦しむ姿を見ることを堪え切れずパイナップルの缶詰を一切れ、娘に与えてしまう。その結果、道士夫妻も変死を遂げた。謝啓明は、李若男の恋人が宗教施設内を撮った映像データを修復するとともに、手印の意味や経文の意味を調査し、若男に説明するための動画を自撮りする中で、かつて朵朵の実母である若男に嫉妬したこと、医学的に自分の子どもが作れないこと、パパと呼ばれて嬉しかったことを告白し、直後、変死する。朵朵の体調は悪化の一途を辿った。若男は全身に経文を書き、娘を守る唯一の方法だと信じ、宗教施設の地下道に入り、自らの命を大黒仏母に捧げた。
動画を見た者が次々に変死する『呪詛』の呪いは、はまるでビデオを見て変死を遂げる『リング』を連想させる。本作に登場する男性を見ていくと、動画を撮った元恋人もその従弟も、動画を見た生殖能力のない里親の謝啓明も変死する。また、大黒仏母を祀る宗教施設では、夜な夜な儀式を行っている白のブリーフのみを着け虚ろな目をして立たされた男たちの姿が映し出された。情けない男たちは、台湾映画ではよく見られる光景で、侯孝賢映画以降の伝統だと言えるかもしれない。
一方、母親である李若男は、里親である謝啓明に嫉妬される実母であるが、出産するも、精神に異常を来たし養育権を取り上げられる母親失格の人物として描かれ、娘にも「怪物のことが怖かったから、私を捨てたの?」と責められる。母親として娘を育てられない期間があったことへの罪悪感から、なんとか母親たらんとし、娘を守ろうとするが、娘が快復することはなかった。『呪詛』の若男は、朵朵の「でも私のママだよ」と実母・産みの母親であることが強調されつつも、産みの母ならば子育ての適性が備わっていて当然とされる歪んだ母性愛神話下で、育児放棄をした挙句、娘の健康を守れない母として、何度も母親失格の烙印を押され、それ故の罪悪感を背負わされ続ける。最後は、娘を守るために自らの命を大黒仏母に捧げた。
このように『呪詛』もまた、歪んだ母性愛神話の中で、「でも私のママだよ」という崇高なる生母として生き残り畏怖されると同時に、「私を捨てた」母親失格の罪を、アブジェクシオンとしてホラー映画化し、母親を呪縛し続ける。
4.おわりに──同性婚法制化へのバックラッシュとしての母性ホラー映画
本論では、『紅い服の少女 第二章 真実』、『呪詛』を中心に、台湾ホラー映画におけるジェンダー、とりわけ母親の描き方に着目しながら分析してきた。
先述したように台湾では、学校教育など公共機関では、四半世紀前からジェンダー平等教育が進められ、2019年にはアジアで初めて同性婚が法制化された。にもかかわらず、台湾ホラー映画はなぜこれほどまでに歪んだ母性愛神話に祟られる母性のアブジェクシオンを描くのか。
先述したように、台湾では2004年にジェンダー平等教育法が法制化された。だが洪郁如が、台湾のジェンダー法研究の第一人者である陳昭如との対談で、「ジェンダー平等教育白書2.0」(教育部、2022年)について、「家庭教育と社会教育に対し、無力感を覚えているような印象を受けた」*35と語っているように、ジェンダー平等には様々な軋轢がある。2010年以降になると、学校で、宗教組織がLGBTを含むジェンダー平等教育に反対するため、保護者の身分を利用して保守的なジェンダー観を宣伝したという*36。「家族の価値と次世代の幸せを尊重する愛家団体」をモットーとするキリスト教系の下一代幸福連盟や、新興宗教の一貫道、統一教会を含む十以上の宗教団体から成る台湾宗教団体愛護家庭大連盟などの反同性愛団体により、新聞、テレビや街頭看板などで、同性婚法制化に反対する大量の広告が流された*37。それらの広告内容は、同性愛とエイズ、死を結び付けるものや、次世代が誕生せず一家が途絶える親不孝の恐怖などを煽るものもあった。結果的に、同性婚法制化前年の2018年に公民投票が行われ、民法の婚姻章において同性カップルによる婚姻関係を保障する案が否決され、同性婚法制化に否定的な投票結果となる。こうした同性婚法制化へのバックラッシュは、同性婚に反対するのみならず、保守的な家族像も社会に発信し続けることになる。
『紅い服の少女 第二章 真実』および『呪詛』には、かつてのジェンダーに対して前衛だった台湾映画の姿はない。台湾のジェンダー平等に反対する団体には、宗教団体を母体とするものが多くみられる。『紅い服の少女』では虎爺のような民間信仰、『呪詛』では謎の大黒仏母を本尊とする宗教が物語に織り込まれている。さらに物語は公共空間ではなく、基本的に家庭内で展開する。このように宗教が掛け合わされ、家族、家庭が掛け合わされた結果、台湾ホラー映画は、ジェンダー保守映画に変換されてしまったようだ。
『紅い服の少女 第二章 真実』『呪詛』は、ジェンダー平等教育法、同性婚法制化を以てジェンダー平等の道をひたすら進む台湾社会に対する恐れであり、バックラッシュだといえる。二作は、すでに台湾社会では否定されたはずの歪んだ母性愛神話に基づく母性のアブジェクシオンを、伝統的な民間信仰を内包しながらも、2010年以降に注目を浴び始めた最新の台湾文化表象である魔神仔でコーティングした作品だといえる。ジェンダー平等に対するバックラッシュが創り上げた歪んだ母性愛神話に、伝統的な民間信仰を内包した最新の台湾文化表象を掛け合わせたものこそが、2015年以降の台湾ホラー映画なのである。
*35 洪郁如「台湾のジェンダー平等教育を語る:台湾大学陳昭如教授との対談」『交流』 No.979、2022年10月、22頁。
*36 同上、23頁。
*37 鈴木賢『台湾同性婚法の誕生---アジアLGBTQ+燈台への歴程』日本評論社、2022年、173頁。劉靈均「性的少数派」赤松美和子・若松大祐編『台湾を知るための72章』、前掲、214頁。
赤松美和子(大妻女子大学)