寄稿1 ホラーからはじまるもう一つの香港映画史 ──メディウムとしてのアンソニー・ウォンの身体
はじめに
香港のホラー映画が活気づくのは1970年代末からであり、香港新浪潮の登場とほぼ同時だった(蒋/刘 32)。これは偶然ではなく、むしろ必然である。なぜなら、欧米の映画から強い影響を受けた新浪潮監督が「血なまぐさく、暴力的で、吐き気がする」(同上)映像表現を持ちこみ、香港映画に新風を吹きこんだと言えるからだ。実際、彼らの初期作品には、『瘋劫』(アン・ホイ〔許鞍華〕、1979年)、『撞到正』(アン・ホイ、1980年)、『地獄無門(邦題:カニバル・カンフー/燃えよ!食人拳)』(ツイ・ハーク〔徐克〕、1980年、以下『食人拳』)、『山狗』(デニス・ユー〔余允抗〕、1980年)、『凶榜』(デニス・ユー、1981年)、『再生人』(ピーター・ユン〔翁維銓)、1981年)といったようにホラー映画(あるいはホラー映画の引用)が多い。このうち、ツイ・ハーク作品の残酷描写については拙著ですでに論じたところであり、彼の映画では人間の身体が動物の肉に変換され、カニバリズム的世界が立ち現れる。このような残酷描写を好み、香港ホラーを変革したのは何も新浪潮監督だけではない。このジャンルを支える二つのサブジャンル、すなわちキョンシー映画と南洋邪術映画がつくられはじめるのは1970年代なかばからであり、新浪潮登場よりわずかにはやい(小栗 2020;林 2022)。それはとるにたらないわずかな差かもしれないが、香港映画史を根本的に読みかえる必要性を訴えてもいる。チャンミン・ユーの論文はそのことを指摘している。ユーが注目するのは、新浪潮作品に頻出する残酷でおぞましい身体描写である。従来、新浪潮監督は①海外留学を経験し、②香港帰国後はテレビ局での映像製作を経てから映画監督デビューを果たし、③その作品においては「ロケーション撮影や地元の物語を採用し、(中略)当時人気の商業的ジャンルに新鮮でより個人的なアプローチをもたらし」(Marchetti 97)、「香港それ自体を主題として発見した」(Abbas 23)ことが香港新浪潮の条件として説明されてきた。それにたいし、ユーは「香港それ自体を身体的な主題として発見した」(Yu 139)ことが新しい香港映画の特徴であると修正を試みる。
イギリスと中国にはさまれた香港が主体化していく過程は、常に醜く残酷で、血と肉にまみれた身体的実在性(corpo-reality)に深く根づいている。このとき、身体的実在性が捉えなおすのは、萌芽期の香港人アイデンティティや香港社会におけるベトナム人と中国人の移民を人種的に隔離することにたいする想像力である。つまり、身体的実在性は我々が持つ肉体の共通性を切り開き、身体とアイデンティティが消滅し再結合する可能性に目を向けるのだ。地元民と移民は同様に、自分自身をつくりなおすための過酷な試練のなかにある。(142)
1970年代末以降の香港映画のなかには、人間を市民としてではなく動物として、あるいは食用の肉としてグロテスクに描く作品が存在する。1980年代には斜陽期にあったショウ・ブラザーズも例外ではなく、とくに今ではほとんど無視されているグワイ・チーホン〔桂治洪〕やモウ・トンフェイ〔牟敦芾〕の映画も「〔新浪潮の〕流行の一部」(138)として評価するべきだろう。ジーナ・マルケッティのように、香港の社会・文化・歴史の問題を軸に新浪潮の第一波(アン・ホイ、ツイ・ハーク、イム・ホー〔嚴浩〕、アレン・フォン〔方育平〕など)から第二波(ウォン・カーウァイ〔王家衛〕、メイベル・チャン〔張婉婷〕、スタンリー・クワン〔關錦鵬〕など)へと線を引き香港映画史を記述するのはもはや通説であるが(Marchetti 2012; Teo 1997; Cheuk 2008)、おぞましい身体描写に軸足を移せば、そうではない映画史の記述も可能なのかもしれない。このとき第一波に続く第二波は、カルト的な人気を誇る『八仙飯店之人肉叉燒飽(邦題:八仙飯店之人肉饅頭)』(ハーマン・ヤウ〔邱禮濤〕、1993年、以下『人肉饅頭』)に代表される「三級片(18歳未満鑑賞禁止)」ホラー映画の波となる。『人肉饅頭』についてはすでにいくつかの先行研究があるが、1997年を目前にした香港社会を反映する映画として読み解くものが多い(Williams 2002; Steintrager 2005; Stokes 2018; Willis 2018)。このアレゴリカルな読解では、殺人鬼である主人公が労働階級の香港人を代理表象する(アンチ)ヒーローとして解釈される。このような反映論からは、ニッチな層を狙った本作の異例の成功を説明することができる。リサ・オダム・ストークスが裏づけているのは、観客が主人公に共感できるように、監督や俳優は自覚的に演出し演技をしていたという事実である。とはいえ、作り手と受け手の一致は当然のことではない。なぜなら、1980年に製作された同様の映画には非難の目が向けられていたからである。アンディ・ウィリスは1970年代のグワイ・チーホンと1990年代のハーマン・ヤウの連続性を指摘しているが、本稿では作品受容の変化に注目する。
本稿は、超常現象というよりも現実的な事象を描くホラー映画、とりわけ人間が動物のように扱われ殺される作品に焦点を絞る。本稿ではそれをカニバル・ホラーと呼び、1970年代末の香港映画が発見した身体的主題と『人肉饅頭』でのそれを比較検討する。この比較が意味を持つのは、当初、グロテスクな身体描写はその残酷性により論争を招いたが、『人肉饅頭』はヒットを記録して続編が製作され、主演のアンソニー・ウォン〔黃秋生〕は香港電影金像奨で主演男優賞を受賞するというような変化が見られるからである。そのような変化が起きた理由を明らかにしたい。第一節ではカニバル・ホラーの第一波出現とその反応を検討し、なぜ暴力描写に批判が集まったのかを論じる。第二節では『人肉饅頭』の成功を三級制という検閲制度との関係から考察する。
1. カニバル・ホラーの第一波
新浪潮の筆頭として映画監督デビューする前から注目されていたツイ・ハークであるが、その第一作『蝶變』(1979年)は興行的に失敗におわる。第二作『食人拳』は邦題が示すとおり、当時流行していた食人ホラーとコミカル・カンフーを混ぜあわせたコミカル・ホラー・カンフー映画である。流行に乗ったはずが、これも興行的には失敗する。業を煮やしたツイ・ハークは社会にたいする怒りを前面にだした『第一類型危險(邦題:ミッドナイトエンジェル/暴力の掟)』(ツイ・ハーク、1980年、以下『暴力の掟』)を第三作として発表する。これらツイの初期三作品についてはすでに拙著で論じており、本稿では詳しい分析を省略するが、あとの二作品については当時の批評家からその過激な暴力描写に注目が寄せられた。ツイ・ハーク作品と時を同じくして、それらに比肩する暴力的な映画、すなわち『山狗』と『打蛇』(モウ・トンフェイ、1980年)が公開されており、残酷な映画がにわかに増加しつつあることの是非が問われたのである。香港映画の暴力描写にかんする論考は、1980年末から1981年はじめにかけて『電影雙周刊』に掲載されており、とくに第50期では「新しい映画と暴力」と題された特集が組まれ、第51期では香港電影文化中心で開かれたシンポジウム「香港映画の暴力についての研究討論会」での議論が紹介されている。
『山狗』は新界のとある村に兄やその友人たちとキャンプで訪れた若い女性が村の男性たちに強姦され、女性の父親が復讐するという物語である。監督のデニス・ユーは同じような物語のハリウッド映画『ジョー』(ジョン・G・アヴィルドセン、1970年)を想起しながら撮影したと言いつつ、ただ模倣するだけではなく香港の田舎で起きた事件や風習を入念にリサーチしたという(李 10)。デニス・ユーがあげている例を見ると、ある村では強姦の犯人が村長の子供だったために事件は闇に葬られたうえ、犯人はイギリスに留学したということがあり、またある村ではすべての住民が同じ姓で、16歳になった子供はオランダに送られるという習慣があったという。そうした奇妙な事例を調査していくなかで、デニス・ユーは田舎にたいして性格が悪く強欲な人が多いという印象を抱くようになる。
本作の暴力描写は女性が強姦されるシーンや父親が復讐を果たしていくシーンに見ることができる。強姦のシーンでは女性が男性たちに組み敷かれて裸体にされる。それをそばで恐れながらも窺い見るのが、ケント・チェン〔鄭則仕〕演じるモウである。彼は不良グループの一員で仲間に従順でありつつ、唯一良心が残っている人物として描かれる。この人物が多くの観客を代理していると言える。最後まで生き残る彼は暴力の現場に居あわせ続け、そして毎回目に涙をためて恐怖の表情を浮かべながら、暴力の現場にまなざしを向けてしまう【図1】。
批評家の李焯桃とデニス・ユーの対談では、本作の暴力描写が本当に必要なものであったかが執拗に問いただされている。李焯桃が例示しているのは父親が仕かけた罠によって、不良グループの一人が惨殺されるシーンである。父親はまず対象を逆さ吊りにしたあと、その真下の地面に箱を置く。その箱の内側側面には何本もの針をとりつけてあり、逆さ吊りのロープを断ち切ると、対象は頭からその箱のなかに落下する【図2、図3】。それでも死なない男性は叫びながら立ちあがる。声を聞いた仲間が駆けつけると、男は「殺してくれ」と絶叫しながら自ら箱をとりはずし、血しぶきをあげて絶命する。李焯桃は落下した時点で死なせず、その後の展開を用意したのは過剰であり、なぜそれほど観客に恐怖を与える必要があるのかと問う。それにたいし、デニス・ユーは観客だけではなく登場人物もその死にざまを目撃することが重要であると、その物語上の必要性を説く。デニス・ユーが意図していたのは、観客に第三者的立場から不良グループの混乱と恐怖を傍観しているような印象を与えることだったが、李焯桃はその演出意図に反して観客はその場面に巻きこまれてしまうと指摘する。その理由は上述したようにモウが媒介になっているからであるが、監督は観客が暴力を身体的に経験してしまうことは想定していなかったようだ。その後、二人は暴力描写について言い争う。要点を述べるにとどめておくと、新浪潮監督という自覚を持っていたデニス・ユーはそれまでの香港映画では描かれていない新しい主題を探しており、都市部の人間は知らない、田舎で実際に起きた事件を題材に劇映画を製作し、多くの香港人に香港の現実を知らしめることが目論見としてあった。そのねらいに反して、本作は「暴力によって暴力を制する」映画になっており、観客の感覚を刺激することに重きが置かれていると李焯桃は反論する。監督が過激な暴力描写もドラマ化の範疇であると主張すると、批評家は現実的ではないと応じ、二人の意見が一致を見ることはない。
『打蛇』は中国からの難民が新界の国境線付近でギャング組織に捕らえられ、そこで男女ともども衣服を剥ぎとられ、人身売買や性奴隷の暴力にさらされることになる。本作の背景には、香港の対難民政策がある。1980年10月にそれまで香港政庁が実施してきた「タッチベース政策」*1 が破棄され、中国人難民は警察に捕まると即座に本国に送還されることになった。難民へのとり締まりが強化された情勢にすばやく反応したのが『打蛇』で、公開されたのは1980年11月である。社会問題を扱った映画という側面がある一方で、本作の大部分を占めるのは暴力と凌辱の映像となっている。この映画を評したある批評家は本作を侮辱的な映画と痛烈に批判し、「書くに値しない」「ゴミ」とまで書いてのける(林 13)。
*1 新界で発見された難民は強制送還されるが、市街地まで到達できたら香港住民として認められるという政策。1974年に導入された(キャロル 275)。
『打蛇』がここまで強い批判を招いたのは、ひとえに暴力の行為者が香港人だからだろう。『山狗』も同様である。デニス・ユーが指摘しようとしているが、多くの人は香港で目を背けたくなる暴力が実際に起きていることを信じようとはしない。それゆえリサーチにもとづいて物語をつくったとしても現実的ではないと判断されてしまう。それにたいし、ツイ・ハークの映画で暴力を行使するのは、中国共産党を連想させる外部の中国人(『食人拳』)やアメリカ人(『暴力の掟』)である。1980年前後にデビューした新人監督のなかで、暴力映画を撮りながらもツイ・ハークが強い批評的関心を向けられ続けたのは、被植民者としての香港人を描いていたからかもしれない。『山狗』や『打蛇』では、同じ香港人や他者にたいし植民者のように暴力で支配しようとする香港人が登場する。被植民地の主体性を描きだす新浪潮の登場を期待していた批評家にとって、『山狗』や『打蛇』の香港人は香港人ではなかった。これらの暴力映画のなかでもっとも強い批判を受けた『打蛇』の監督モウ・トンフェイは、シンポジウムで意見を求められると、一連の暴力映画のなかで自作が一番興行的に成功した作品であることをもって正当化し、さらに文化大革命に触れながら、暴力を否定することの欺瞞を主張する(馮 54)。
モウ・トンフェイは1941年に中国で生まれ、1960年代から映画産業で仕事をしており、従来、新浪潮からは除外されていた。しかし、当然のことながら、新しい主題を求めていたのは新浪潮だけではない。ショウ・ブラザーズで監督をしていたモウ・トンフェイも同様に観客に訴求する題材を求めていたことは、『打蛇』が同時代の政治に敏感に反応していることからも明らかである。1960年代後半に話題となったチャン・チェ〔張徹〕の武俠映画やカンフー映画における暴力描写は1970年代末にはマンネリ化し、ジャッロ映画に匹敵するより刺激の強い暴力映画が求められていた。この変化について、「新監督が撮る暴力は目的か手段か?」と題された討論でだされた言葉を用いて説明すると、チャン・チェの現実から時代的にも遠く「浪漫化」された暴力から、現実に近い「写実的」な暴力への移行である(周18)。ツイ・ハークが暴力の所在を香港の対外的関係に見いだしたとすれば、デニス・ユーやモウ・トンフェイは香港人に潜む暴力をさらけだそうとした。そこにある差異は着眼点だけで方向性は同じである。
1980年の時点ではまだ恐怖の源は香港人の内にも外にも存在していた。しかし、1982年に発表された中英共同声明によって、香港映画の恐怖のまなざしは中国国家の進出と香港社会の消失に向けられることになる。すなわち、『省港旗兵(邦題:省港旗兵・九龍の獅子/クーロンズ・ソルジャー)』(ジョニー・マック〔麥當雄〕、1984年)における香港社会の治安を乱す中国人難民、『殭屍先生(邦題:霊幻道士)』(リッキー・ラウ〔劉觀偉〕、1985年)における遠い過去にかけられた呪い(99年の租借期限)の復活、『倩女幽魂(邦題:チャイニーズ・ゴースト・ストーリー)』(チン・シウトン〔程小東〕、1987年)や『胭脂扣(邦題:ルージュ)』(スタンリー・クワン、1988年)における存在が不確かで不気味な亡霊へのノスタルジックな愛情。こうした映画がヒットし、香港映画は香港人を内省的に批判する視点を見失う。返還へのリミットが近づくなか、香港人を批判的に検討するよりもまず香港人の主体性を確立することのほうが先決だったのだ*2。
*2 レオン・ポーチ〔梁普智〕監督の『夜驚魂(邦題:殺しのストッキング)』(1982年)や『生死綫』(1985年)は、第一波と第二派を中継する例外的なホラー映画である。
2. 三級制の導入と『人肉饅頭』
1988年に導入された三級制は映画製作にも影響を及ぼす。三級制とは世界各国で実施されているレイティング・システムのことでそれ自体は特別なことではない。ただ、香港ではイギリスに倣って1950年代から導入が検討されていながら、1988年まで保留にされていた点が特殊である。香港政庁がレイティング・システムの導入を目指しながらそれを先送りにしていたのは、検閲の法的根拠が実際には存在しなかったからだ。つまり、違法状態で恣意的に映画を検閲していた事実が明るみにでることを防ぐために、検閲制度の抜本的な改正を遅らせていた(Van den Troost 207-208)。香港政庁が違法状態であることを認識していながら検閲をおこなっていたことが1987年にスキャンダルとして報じられると、香港政庁はすぐに検閲制度を改革して三級制を施行する。この三級制でとくに重要なのが「三級片」、すなわち、18歳未満鑑賞禁止の分類である。
三級制が導入される前から、香港映画は人体の破壊や女性のヌードを描いていた。したがって、1988年以降にはじめて成人向け映画が誕生したというわけではない。ただし、ゾーニングされることによって、暴力描写にたいする倫理的な問題提起はなくなり、むしろ批評的に高い評価を得るようになる。
過去数十年の数字は入手できないため、1990年代にそのような映画〔成人向け映画〕の製作が本当に流行したかどうかは確認できない。しかし、たしかなことは、1988年からこれらの映画が興行成績の上位に到達し、あまつさえ香港電影金像奨で賞を獲得するなど、地元で空前の隆盛をきわめたことである。実際に三級片の映画製作がブームになってはいなかったとしても、そのような流行が起きたという印象は広く浸透していた。(Van den Troost 210)
1980年の暴力映画が論争を生んだのも、それらが他の家族向け映画と横並びに上映されていたからでもある。このような映画館の無法状態が現実社会に波及しかねないという危機感が批評家にはあった。ある批評家は『暴力の掟』が他国の検閲制度では規定に反することを指摘し、香港にも同様の検閲制度を導入して映画館を浄化することを提言している(余 39)。
遅ればせながら三級片という区分が登場することによって、映画館の無法状態は整備され、合法的に違法行為(暴力と強姦)を鑑賞することが可能になった。ダレル・ウィリアムズ・デイヴィスとユエユー・イェによれば、三級片は三つのグループ(準ポルノ、ジャンル映画、ポルノヴァイオレンス)にわけることができるという(Davis and Yeh 14-20)。性行為については依然としてハードコアな描写は禁止されたため、香港のポルノ映画は「女性の裸体とオーガズムを展示するように物語は組み立てられた」(14)。ジャンル映画とは、ギャング映画、刑事映画、ホラー映画、そしてウォン・カーウァイ監督の『春光乍洩(邦題:ブエノスアイレス)』(1997年)など作家監督によるアート映画が該当する。これらはジャンルの要請として、暴力・残酷描写や性的な場面が描かれる。最後のポルノヴァイオレンスは、強姦や連続殺人など実際の凶悪事件に着想を得た実録映画と言い換えることができる。このポルノヴァイオレンスを代表する映画が『人肉饅頭』である。
『人肉饅頭』は1985年にマカオで実際に起きた事件がもとにあり、実名を用いながら香港社会を震撼させたその猟奇的な連続殺人事件を劇映画にしている。物語は1978年の香港からはじまる。アンソニー・ウォン演じるウォンは賭け麻雀の金銭トラブルから一人の男性を殺害する。ウォンは自分の香港身分証を焼き捨て、マカオ身分証を偽造し逃亡。時間は1986年に移り、砂浜に打ちあげられた人間の手足が発見され、警察が捜査を開始する。一方、ウォンは八仙飯店の店主となり、一人の女性従業員と店を切り盛りしている。新たに一人の男性を従業員として雇うが、彼に麻雀のイカサマ行為を知られたウォンは彼を殺害したうえに、解体して饅頭の肉にしてしまう。男性従業員の突然の失踪を不審に思った女性従業員は、仕事を辞めようとするが、彼女もまた強姦されたうえに殺される。警察の捜査では事件の真相を知る容疑者としてウォンが浮上し、彼がマカオから逃走しようとする寸前で拘束する。留置所での拷問の末に彼が自白したのは、金銭トラブルから八仙飯店の店主と子供を含む一家全員を殺害したという内容である。この自白を起点に映像はフラッシュバックして一家惨殺の顛末が描かれる。遺体をどのように処理したかを問われたウォンが、饅頭の肉にしたことを告げると、その人肉饅頭を口にしていた刑事たちは吐き気を催す。現実の事件で人間の肉を調理していたことについては噂話に過ぎなかったが、本作は観客に吐き気を催させるためにカニバリズムが映画の中心に据えられ、タイトルにも人肉を掲げている。
新浪潮監督でカニバリズムを直接的に描写したのがツイ・ハークである。彼の『食人拳』は人肉食を習俗とするある孤島の村で物語が展開する。冒頭から人間の肉を切り裂き内臓をとりだすショットが登場し、吐き気を催す被害者と同様の感覚を観客も覚える。しかし、このような感覚が作品を通じて貫徹されることはない。主人公が登場してからはコミカルな語りに転じる。終盤で村から脱出するために主人公たちが村人を解体するシーンに至ると、主人公と行動をともにする泥棒が人間の肉を手にしたときに催す吐き気は彼の小心な性格を特徴づけるものに変わる。それにたいし、勇敢な主人公は血にまみれた手で額の汗をぬぐいながら解体作業に集中する【図4】。その行為は『人肉饅頭』で一家を惨殺したウォンが解体作業中に浴びた血をぬぐう行為とほとんど同じである【図5】。そして、『人肉饅頭』もウォンが中心に置かれるホラー映画的場面と、事件を捜査する刑事たちのコミカルな場面が交互に現れ、全体としてのスタイルやジャンルは一貫しておらず、雑種的に混交している。
恐怖と笑いという対極的な情動を混交させるこれらの映画は、作品としての瑕疵になるのだろうか。デイヴィッド・ボードウェルは全体で一貫しない「挿話的な構築」が「香港映画の芸術的な強み」であると論じている(Bordwell 120)。この特徴がコンティニュイティを重視するハリウッドには描けない、香港映画特有の情動を表すことを可能にするというのだ。『人肉饅頭』についてのボードウェルの評価は以下のとおりである。
より体感的には、ハーマン・ヤウの『人肉饅頭』で鍵となるフラッシュバックは、観客を共感と嫌悪のあいだに捕らえる。この映画では、食人的な殺害行為の途中に、警察チームのいいかげんな捜査が挿まれる。このサディズムと役立たずたちの狂騒において、誰かに感情移入することは難しい。しかし、殺人鬼が捕まり、警察が拷問で自白を引きだす際には、ひどく苦しんでいる狂気的な男に同情を禁じえない。そのあとに、犯人が情容赦なく一家を解体するという、我々がまだ目にしていなかった犯罪がフラッシュバックする。そして我々は共感を示す先がないままとり残される。というのも、犯人は自殺し、その罪は不気味なほどに説明されず弁解されることもないからだ。(121)
要するに、『人肉饅頭』は犯人の出自や殺人の動機を明確にせず、事件は唐突にはじまり唐突におわってしまう。観客が目にするのはただ残忍な行為と脈絡のないギャグだけで、この両者を調停し結びつけることはできない。この因果関係の希薄さが独特の不気味さを醸しだすものの、説明不足で一貫性に欠けることは否めない。しかし、本作は香港でヒットを記録し、続編が製作され、主演のアンソニー・ウォンは香港電影金像奨で主演男優賞を受賞した。前節で論じた1980年の映画よりも残忍な暴力描写があるにもかかわらず。デイヴィスとイェは『人肉饅頭』のような実録映画の成功を次のように考察している。
これらの物語は、香港人が噂話、誹謗中傷、ゴシップですでに知っている物語の再話である。人口に膾炙しているというのは、ある意味、事前に検閲されていることと同じだ。警察や裁判所による官僚的で植民地的な抑圧それ自体が、映画製作者が観客を魅了するために用いる惹句、「聞かれたくなかった物語」になる。三級片の分類自体も同じように機能する。すなわち、「見せたくない映画」とは特殊な誘惑なのだ。これは「反社会的」なものにたいする規制や検閲が誘惑に変わりうる例である。さらに、これらの物語は、とくに中国語の報道機関において、その衝撃と興奮を最大化して報じられてきた。そうした物語は都市の民間伝承として機能し、地元の抑圧された、それゆえに有名な堕落した事件にたいする共同体が共有する好奇心を利用するのである。(Davis and Yeh 20)
タブーとされている事件に向けられる好奇のまなざしは普遍的であるとしても、三級片というカテゴライズがのぞき見の快楽に法的な後ろ盾を与えた。また、1980年からのおよそ10年間で香港の政治的状況が変化したことも考慮しなければならない。この間、イギリスと中国の政府間で香港返還についての交渉が進められたが、この交渉に当事者であるはずの香港は加わることができなかった。主体的に意思決定することができない無力感と絶望。そうした香港人の立場を適確に捉えて大ヒットしたのが『英雄本色(邦題:男たちの挽歌)』(ジョン・ウー〔吳宇森〕、1986年)にはじまる香港ノワールである。そして、検閲をめぐるスキャンダルは権力にたいする不信も招いた。『人肉饅頭』の英語タイトル「知られざる物語」が暗に示すように、三級片の実録映画は腐敗した権力が抑えつけてタブーとした物語を、市民の力で暴露するという形式が第一の特徴である。それは香港人が主体性を獲得したかのような幻想を与える。
反映主義的に見れば、楽天的な警察と惨劇の舞台の演出方法における断絶は、そのまま香港社会の統治機構と市民社会の分断のアレゴリーとなる。すでに指摘があるように、本作に強い影響を与えたハリウッド映画が『羊たちの沈黙』(ジョナサン・デミ、1991年)であるが(Steintrager 169; Stokes 168)、この作品では犯罪に立ち向かうヒーロー(ジョディ・フォスター)が主人公となり、この人物が法と犯罪の二つの領域を仲介する*3。『人肉饅頭』でそのヒーロー役を担当するのは、本作のプロデューサーも兼任しているダニー・リー〔李修賢〕だろう。警察の捜査チームのリーダーも演じる彼は、人肉饅頭を一切口にしなかったため、その事実が明らかになっても吐き気を催すことはない。災難を回避する彼が後半では事件を解決に導いていく。しかし、我々観客は彼にも信用を置くことはできない。なぜなら彼は物語の序盤、事件現場や職場に愛人を連れてきたり、捜査を部下に任せて自分は愛人と遊びにでかけたりと、不真面目でふしだらな男性上司として演出されるからだ。彼の行為は職場の風紀を乱し、同僚の女性刑事にたいする男性たちの差別的態度を増長させる。『喋血雙雄(邦題:狼/男たちの挽歌・最終章)』(ジョン・ウー、1989年)などの香港ノワールで演じてきた実直なキャラクターとは正反対な造形は、ダニー・リーから「好きに撮っていい」と一任されたハーマン・ヤウ監督の意向と推測できる(くれい 143)。どちらにしろ、本作がジャンル映画の様式から作為的にずらされているのは明らかだ。つまり、本作の主題は、凶悪事件の解決というよりも、人肉饅頭が市中にでまわり香港警察もそれを口にしたかもしれないという確証のない事実の暴露である。
*3 『羊たちの沈黙』公開の翌年(『人肉饅頭』の前年)にダニー・リーが監督・製作・主演で撮影したのが『羔羊醫生』(1992年)という映画で、本作もまたカニバル・ホラーである。そのタイトル(英語タイトルは「ドクター・ラム(
香港人が殺人を犯し、人間の肉を調理した饅頭が市中にでまわっていたという噂話を具体化したことは自虐的であると当時に、その封じこめられていたタブーを暴露することは権力への反抗も意味する。もちろん、それは事実ではなく(少なくとも確証はなく)製作者たちの創造であるとすれば、本作は権力への反抗という幻想を提供し、香港人観客はそれを理解したうえで享受していたのである。撮影時にはすでに死亡していた犯人は存在していたことだけが確実で中身が不詳の人物であり、権力への抵抗を代理する媒体(メディウム)として利用された。彼は『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクターのような卓越した人物ではなく、短気で吝嗇の淪落した中年男性である。凶悪犯を演じたアンソニー・ウォンの身体はその後、憑依の媒体として機能し、『的士判官(邦題:タクシーハンター)』(ハーマン・ヤウ、1993年)では香港人の不満をとりこんで横柄なタクシー運転手を惨殺してまわり、『伊波拉病毒(邦題:エボラ・シンドローム/悪魔の殺人ウィルス』(ハーマン・ヤウ、1996年)ではまさにウィルスをまき散らす媒体となる。
おわりに
1980年につくられた暴力映画(『暴力の掟』『山狗』『打蛇』)も三級制の導入から生まれたポルノヴァイオレンス映画も、ともに香港社会に潜む暴力を暴露する映画である。ただし、両者は誰の秘密を暴露しているかで差異がある。前者は香港社会のトラウマ的記憶や恥ずべき事件を暴きだすため、統治機構や批評家から強い非難の声があがった。後者は三級制という法制度で整備された映画であるため、制約つきでの三級片作品の上映・鑑賞は、権力が隠蔽したい事実の暴露を楽しむ娯楽装置となった。したがって、後者の映画では、事実にもとづくかどうかよりも、その残忍な行為が隠蔽すべきとの判断に値するかが重要視される。たとえば、ウォンが女性従業員を強姦したあと、そばにあった箸の束をわしづかみにして膣に突き刺して殺害する。机の下に置かれたカメラは膣から大量の血が流れでるのを捉える【図6】。一家惨殺のシーンでは、一人の少女を机に仰向けで寝かせて首を切断する。また同じポジションに置かれたカメラは転がり落ちる頭部を映しだす【図7】。隠れてのぞき見るようなショットは、観客にその場に居あわせ目撃しているかのような感覚を植えつける。『山狗』とのちがいは、その場所にモウのような理性を保った人物がいるかどうかである。『人肉饅頭』は狂気に満ちたウォンに憑依するよう観客に促している。『食人拳』の主人公はまだ理性的に人体を解体しており動機も説明されていたが、『人肉饅頭』の狂気の主人公にはそれがない。ただ権力が覆い隠す恥部を暴露するだけの媒体である。1993年という文脈から生まれたこの特異な映画は狂気的な遊戯に観客を誘う。
参考文献
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雑賀広海(東京大学/日本学術振興会特別研究員PD)