小特集:感染するアジア・ホラー映画のナショナリティを超えて

特別寄稿 わたしのアジア映画研究履歴 四方田犬彦

たゞ飽きることだけが、能力だつた
あきた瞬間 ひよつくり 思ひがけないものになり替る。

折口信夫が戦後まもなく書きつけたこの二行「生滅」は、長きにわたってわたしのクレド信条であった。

何かをなし終えたら、いつまでもそこに留まっていてはいけない。困難だと思えていたものがそうでなくなったとき、問題は解けたのではない。問題を成立させている根拠が崩れてしまったのだ。もはやそれは魅力を喪失している。いつものようにと人から期待されるものを、その期待に沿って応じることはたやすい。しかし退屈だ。だから期待を裏切って、さっさと別のことに向かうべき時が来ている。

映画研究家としてのわたしは、このクレドに基づいて研究対象を次々と替えて行った。80年代初頭には、日本ではまったく知られていなかった韓国映画の存在を性急に告知することに心は囚われていた。やがて情熱は燃え拡がり、東アジア一帯の新浪潮(ニューウェイヴ)へと範囲が拡大された。わたしは香港、台湾、中国といった地域でいっせいに輩出してきたフィルムを、作家主義の審級のもとに論じ、日本の映画制作・配給・批評を挑発しようと試みた。現下において制作されている映画を、現下において論じなければならない。同時代的であること。わたしはそれを批評の道徳的基準として採用した。

作家主義への熱狂が一段落したとき、わたしはただちに逆の方向へと進みだした。国際映画祭で脚光を浴び、国境を越えることのたやすいA級映画ではなく、現地に足を向けないかぎりその存在を知ることができない、ローカルなB級映画にこそ接近すべきであると考えた。大衆映画の巨大なマトリックスは、フィルムが制作されている社会的、言語的、政治的状況を理解し、文化的伝統に一定の認識を抱いていないかぎり、けっして理解することができない。だがこれは広大な領域に立ち向かうことであって、作家主義よりもはるかに困難な作業である。日本に留まっているかぎり、映画研究家が単独で達成できることはおそろしく限られている。優れた文化人類学者と地域研究家に協力を仰ぎ、彼らとの共同研究をしないかぎり、成果を上げることはないだろう。だが現実にはスコットの『ゾミア』を読む者はジョゼ・プルノウォの『ジュランクン』を観ることがなく、王童の『紅柿子』を観る者はグナワン・モハマッドの著作に親しむことがない。

アジアのローカル映画は(きわめてオオザッパな表現になるが)、4種類に分類することができる。ホラー。メロドラマ。アクション。コメディ。国によってはそこに史劇を加え、5種類と考えてもいい。それをハリウッドのように厳密に識別することは難しく、また無意味でもある。ある一本のフィルムがホラーの範疇にありながらメロドラマでもあり、随所にお笑いドタバタの見せ場をもつといった事態の方が、むしろ一般的である。いや、この混淆形態こそがアジア映画であると考えた方がいいかもしれない。

わたしは『ブルース・リー』のなかで童星(子役)について論じ、メロドラマとアクションの本質的融合を分析した。『怪奇映画天国アジア』のなかでは、ホラー映画が体現している信仰共同体の危機とジェンダー問題について探究した。もう少し明確にいうならば、なぜ東アジアの怪奇映画では妖怪と幽霊は女性なのかという問題を、具体的に個々のフィルムに即して解こうと試みた。もっともこの意図がどこまで深く理解されたかは心もとない。日本の少なからぬオタク読者はこの二冊の書物をもっぱら情報に還元して読み、そこに自分たちがブルース・リーについて知っている知識以上のものが記されていないことに不満を抱いたようだった。彼らは表象行為が不可避的に引き寄せてしまう政治を、いつまで経っても理解することができないでいる。

ローカル映画研究に関しては、今後の研究者に、ここに提案した素朴な類型学を批判的に検討し、精緻に発展してもらいたいというのが、わたしの慎ましい希望である。日本の映画研究は古典文学研究とは正反対で、これまで先行研究を蔑ろにしてきた。一年草の草木ばかりが繁り、いつまでも樹木にまで発育しない。何とか同じ世代に鋭意の人類学者や地域研究家を見つけ、刺激的なパートナーシップを組んでいただきたいと思う。

アジア映画の類型学の見取り図を作成した後、わたしの関心はもっぱら中東に向かった。パレスチナの監督たちを論じ、ベイルートとパリを拠点にドキュメンタリー映画の制作に関わった。後者は挫折に終わり、わたしはその過程のすべてを『さらば、ベイルート』という書物に纏めた。ロラン・バルトならばこうした主題と手法の変容を「漂流」dériveというのだろうが、わたしにはとてもそのような優雅な表現は似合わない。でたとこ勝負の、青息吐息というのが実情である。職業的な映画紹介者が韓国映画や台湾映画を試写会室で見て、嬉々として映画評を書いている時代に、わたしがその後塵を拝することはないだろう。誰もが簡単にやっていることをわざわざやってみても、ただ退屈なだけではないか。

「飽きること」が繰り返されたとき、ひょんなことから探究に遡行現象が生じることも事実である。最近になったわたしは『志願兵の肖像』のなかで、皇民化運動期の朝鮮映画について論じた。長らく温めてはいたが、日本では発表の機会がなく、手稿のまま放っておいた主題である。韓国映画の喧伝から開始された映画研究が、世界を一周したあげくに、はからずも韓国へ戻って来た。まったくの偶然であるが、わたしにはこの偶然は悦ばしく思われる。

わたしが今、漠然と考えているのは、アジア映画と伝統的な大衆演劇の間の交渉史だ。だがその前に、宍戸錠と左幸子についてまとまったものを書いておかなければならない。

四方田犬彦

広報委員長:増田展大
広報委員:居村匠、岡本佳子、髙山花子、角尾宣信、福田安佐子、堀切克洋
デザイン:加藤賢策(ラボラトリーズ)・SETENV
2023年6月30日 発行