崇高のリミナリティ
本書は、古代のロンギノスから現代のド・マンまでの「崇高」概念の変容をたどった『崇高の修辞学』(2017)の著者による美学入門書だと、ひとまずは言っていいかもしれない。とはいえ、あとがきにあるように、一つの専門領域へと導き入れる入門書というより、「崇高」をめぐる多彩な境界領域を流れ歩くガイドブックであるとすべきだろう。
バークやカントらの近代美学の重要な主題たる「崇高」だが、もとをたどれば古代の弁論術・修辞学の概念であり、現代になると美学に限られず脱領域的に論じられている。崇高とされる対象も、言葉・自然・芸術、さらに技術や歴史というように、変遷を重ねてきた。本書はその消息を、まず序論において、簡にして要をえた筆致で記す。そのあと、5回の対談と50冊の読書案内でもって、「崇高」をめぐる興趣ある風景の数々を描く。5回の対談相手は、池田剛介(現代美術)、岡本源太(美学)、塩津青夏(美術史)、佐藤雄一(現代詩)、松浦寿輝(人文学)が務めている。
ガイドブックたる本書の魅力は多様なトピックを横断するところにあり、それらを敢えてまとめるのは愚かなことだろう。とはいえ、本書の興味深い洞察として、崇高を超越性というよりも境界性として捉える点には触れておきたい。もし近代が世俗化の時代であるとすれば、超越性から境界性へと変貌する今日の崇高の姿は世俗化の完成だろうか、それとも破綻だろうか。かつて梅木達郎は、現代の崇高論における弁証法的論理と誇張法的論理のせめぎあいを指摘したが(『支配なき公共性』2005)、本書はそれを継いで、崇高の境界領域の両義的なありようを精彩に描き出してくれているように思う。
(岡本源太)